欧州経済見通し-緩慢な回復、取り巻く不確実性は大きい

2025年03月17日

(伊藤 さゆり)

(高山 武士)

(財政政策:財政スタンス緩和の動きが急進展)
財政スタンスは、コロナ禍やエネルギー危機を受けた緩和姿勢からの段階的な健全化が目指されてきたが、米国が欧州に対して防衛費増額の圧力を強めるなかで、再び緩和される可能性が高まっている。

欧州委員会は8000億ユーロ(EU27か国の名目GDP比で4.5%)規模の防衛力強化計画(欧州再軍備計画:ReArm Europe)を提案、欧州理事会で検討を進めることが合意された4。これは財政ルールの適用を除外される6500億ユーロ5および、防衛投資のための1500億ユーロの融資枠からなる。また、ドイツでは2月に総選挙が実施され、第一党となった中道右派のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と連立候補である中道左派の社会民主党(SPD)が、国防費に関連した「債務ブレーキ」の柔軟化6および、(防衛とは別の)5000億ユーロ(ユーロ圏の名目GDP比で3.3%、ドイツの名目GDP比で11.6%)のインフラ基金の創設(運用期間は10年の想定)を検討している。

いずれも、トランプ政権の発足を受けて急速に検討が進められており、これらの政策が具体化され、財政スタンスが緩和されればユーロ圏経済の下支えに寄与することになるだろう。ただし、経済の下支え効果については不透明な点も残る。特に欧州レベルでの防衛力強化計画では、実際に各加盟国が財政ルールの例外規定を使い、どの程度国防費を増やすのかが重要になる7
 
4 European Coomission, Press statement by President von der Leyen on the defence package, Mar 4, 2025(25年3月14日アクセス)、Letter by President von der Leyen on defence to the European Council ahead of its meeting on Thursday, 6 March 2025, Mar 4, 2025(25年3月14日アクセス)、European Council, European Council conclusions on European defence, 6 March 2025(25年3月14日アクセス)
5 国家免責条項(national escape clause)の発動が想定されている。欧州委員会は各加盟国が防衛費をGDP比で1.5%増やすと4年間で6500億ユーロ規模になると指摘している。
6 債務ブレーキは政府債務をGDPの0.35%未満に抑えるとするルール。ドイツの憲法にあたる基本法に定められている。コロナ禍の影響等で20年以降は適用が停止されていたが、24年に復活した。緩和案はGDP比で1%を超える国防費を債務ブレーキの対象から外すという内容。
7 なお、ドイツの債務ブレーキを緩和するにあたっては基本法を改正する必要がある。基本法改正には議会の3分の2の賛成が必要だが、総選挙を受けて発足する新議会(3月25日に召集予定)では反対派の議席が3分の1を上回る見通しとなっている。そのため、新議会発足前の旧議会での改正を目指している。旧議会でも債務ブレーキ緩和を支持する第三党の協力が必要な状況にあるが、緑の党が、インフラ基金から気候変動対策等に1000億ユーロを割り当てるなど環境政策の推進も含めることで改正に合意した。
(金融政策・金利:財政緩和観測から長期金利が上昇)
ECBは24年央から制限的な金融政策からの緩和に着手、最近はインフレの下振れリスクにも配慮し、3月会合まで5会合連続の利下げを実施してきた。政策金利(預金ファシリティ金利)はピークの4.0%から2.5%まで下げられている(図表16)。
金融政策の運営については、従来通り、政策金利の経路を事前に確約することなく、(1)最新の経済・金融データに照らしたインフレ見通しの評価、(2)基調的なインフレ動向、(3)金融政策の伝達状況を評価し、データ依存で会合毎に判断・決定するアプローチを採るとしている。特に3月会合ではトランプ政権発足後の不確実性が高まっていることから、よりデータ依存、会合毎に政策を決定していく点が強調された。

ユーロ圏の長期金利は、金融政策やインフレ関連データ、米金利の動向に左右される展開が続いてきたが、3月に入りEUの再軍備計画やドイツの債務ブレーキ緩和、インフラ基金設立といった報道を受け、財政拡大観測の高まりから上昇圧力が急激に強まった。足もとドイツの長期金利は2%台後半で推移している(図表16)。なお、周辺国の長期金利も合わせて上昇したため、対独スプレッドは安定している。

2.経済・金融環境の見通し

2.経済・金融環境の見通し

(見通し:消費主導の緩やかな成長継続を想定、しかし不確実性は大きい)
今後については、引き続き所得環境の改善を受けた消費主導の回復が続き、政策金利も中立金利まで引き下げられることが成長を促すとみられる。ただし、特に米国の関税政策に関連した先行きの不確実性はかなり大きい。見通し数値においては、すでに発動された関税政策のみ織り込んでいる。また、財政面については防衛・インフラの財政支出により財政スタンスがやや緩和されると想定している。

関税政策に関連して、トランプ大統領はEUに対して25%の関税引き上げの意向を示している。ユーロ圏の米国への輸出額は対GDP比で3.2%で、域外の輸出市場としての存在感は相対的に大きい(図表17、非ユーロ圏輸出の16.8%を占める)ため、関税による成長率の押し下げ圧力も強いと考えられる。また、トランプ大統領は品目別に自動車、半導体、医薬品、鉄鋼、アルミなどへの関税を引き上げる方針を示している。ユーロ圏にとっては医薬品、自動車、半導体といった品目が米国への主要輸出品であることから(図表18)、これらの品目への関税引き上げもマイナスの影響が大きくなる。
本稿執筆時点で発動されている関税は、これらのうち鉄鋼およびアルミ関税のみであり、現時点ではユーロ圏経済への影響は相対的に小さい。また、自動車輸出に関連してメキシコを生産拠点としているメーカーにとっては、メキシコへの関税発動(25%引き上げ)によるマイナスの影響が生じているが、USMCAの原産地規則を満たすことで関税引き上げから除外される例外が設けられているため、こちらも悪影響が軽減されている。なお、EUは鉄鋼・アルミ関税に対する報復措置として、米国からの輸入品の一部(金額ベースでほぼ同額)に対する関税引き上げを公表しており、4月以降に実施される予定となっている8

全体として、見通し数値(後掲図表20)に織り込まれている関税の直接的な影響は限定されている(ただし、貿易の不確実性が増すことによる輸出の抑制という間接的な影響は勘案されている)。
上記の前提のもと、先行きの消費は、雇用環境が安定するなか実質所得の改善が続いており、これに遅れる形で消費の回復も継続すると予想する(図表19)。ただし、経済や政治をとりまく不確実性が高く、景況感の大幅な改善や貯蓄率の速やかな低下は見込みにくく、消費の回復力は弱いものになるだろう。

投資は、競争力の低下を背景に生産や輸出が伸び悩み、経済の不確実性が高まっていることが民間投資を妨げる要因になるだろう。一方、公的投資は、防衛・インフラ関連の財政拡大余地が高まることが、復興基金による資金支援とともに押し上げ要因となるだろう。なお、ECBの利下げは資金調達環境の改善に寄与するものの、長期金利が上昇(タームプレミアムが拡大)したことは、さらなる利下げによる景気下支え効果を一部相殺するだろう。

域外経済は、域外需要の緩やかな回復を見込んでいるが、トランプ政権下で保護主義的な貿易政策が強まっていることが逆風となる。ユーロ圏の輸出は米国向けが支えている状態だが(前掲図表9)、米国では、トランプ大統領のすでに実施された政策や、今後の不確実性の拡大から景気減速懸念が強まっているため、ユーロ圏にとっては輸出の重荷になる。そのため、輸出の伸びはかなり緩慢なものになるだろう。
上記を踏まえて、暦年でみた欧州経済の成長率は25年1.0%、26年1.3%になると予想する(図表20)。
インフレ率は、名目賃金上昇率やサービスインフレの鈍化が鮮明になることを受けて鎮静化が進み25年2.2%、26年2.0%と予想する。また、ディスインフレの継続を受けて、ECBは中立金利と見られる2.0%まであと2回の利下げを行うと予想する(表紙図表2、図表20)。ただし、インフレ率にも上下双方の不確実性が見られること、すでに中立金利付近まで利下げが行われたことを受け、今後は利下げの経済への影響評価に時間をかけ、一時停止をはさみ、利下げは6月および9月を予想している。ただし、データ次第の原則のもと、ディスインフレが想定以上に進行する場合は利下げペースの加速させる調整がなされるだろう。

長期金利はECBの利下げを受けてやや低下すると見込むが、予測期間にわたって従来よりタームプレミアムが拡大した状況が継続すると予想する。ドイツ10年債金利は、25年平均2.5%、26年平均2.4%を予想している(表紙図表2、図表20)。なお、ドイツやEUレベルで従来よりも財政ルールが緩和されると想定されるが、節度ある財政赤字の拡大にとどまり、さらなる金利上昇は見込んでいない。またPEPPの償還再投資の終了に伴い、25年からは「分断化」防止手段は制約されるが、見通し期間にわたってECBの介入を必要とするような金利の急上昇も想定していない。
 
政治面では財政スタンスの緩和に加えて、第二次フォンデアライエン体制で発表された競争力強化策(「競争力コンパス(Competitiveness Compass)」)の進捗も注目される9。ここでは「イノベーション」「脱炭素化」「安全保障」を中核領域とし、簡素化、単一市場への障壁低減、競争力のある資金調達、技能・質の高い雇用促進、EUおよび国家レベルでのよりよい政策協調、といった領域横断の手段が提示されている10

ドイツは上述の通り、2月の総選挙でCDU/CSUが第一党となった。事前の予想通り、極右のドイツのための選択肢(AfD)も大幅に議席を増やしたが、CDU/CSUとSPDの連立で過半数の議席は維持でき、連立交渉が進められている。連立崩壊以降、政治の不安定化リスクが高まっていたが、選挙を経てリスクは後退したと見られる。
 
8 European Commission, Commission responds to unjustified US steel and aluminium tariffs with countermeasures, Mar 12, 2025(25年3月14日アクセス)。欧州委員会はEUの米国向け輸出のうち鉄鋼・アルミ関税の対象が280億ユーロ(EUの名目GDP比で0.16%)相当とし、報復措置は最大260億ユーロ(同0.14%)の規模で課されるとしている。
9 European Commission, An EU Compass to regain competitiveness and secure sustainable prosperity, Jan 29, 2025(25年3月14日アクセス)。
10 簡素化に関連し、欧州委員会は、人権・環境デューデリジェンス分野における義務を簡素化する法案を公表している。European Commission, Commission proposes to cut red tape and simplify business environment, 26 February 2025(25年3月14日アクセス)。
(リスク:米国の関税政策が当面の大きなリスク)
当面は、米国の関税政策が大きなリスクになるだろう。

上述の通り、EUに対する一律の関税引き上げや、医薬品、自動車、半導体への関税引き上げが実施されれば、成長率に対する下振れ圧力はかなり大きくなる。

その他の成長率に対するリスク要因としては、(関税を含む)政策や地政学的な不確実性が高まっていること自体が、域内の生産・投資の伸び悩みを予想以上に深刻化させる可能性がある。

他方、上振れリスクとしては、インフレ低下や所得回復に伴う景況感の改善や貯蓄率の低下によって消費がさらに活性化する可能性を指摘できる。ただし、全体で見れば、成長率に対するリスクは下振れ方向に傾いていると考えられる。
 
関税政策は、インフレ率にも影響を及ぼすと見られる。ただし、押し上げ要因(例えば、米国の関税引き上げへの対抗措置としてのEUの対米関税の引き上げは輸入コスト増となる)と押し下げ要因(中国から米国への貿易が縮小することで、安価な中国製品の輸入が拡大する)の双方が想定され、現時点ではいずれのリスクが大きいのかは評価し難い。

関税政策以外のインフレ上振れリスクとしては、賃金上昇圧力の高止まりによるインフレ圧力の継続や地政学的緊張の高まりによる商品価格の再高騰、悪天候による農作物価格の上昇、通貨安による輸入物価の押し上げが挙げられる。ただし、このうち賃金上昇率が高止まるリスクはディスインフレの進展により軽減されており、為替レートはユーロ高圧力が強まっていることから、通貨安によるインフレリスクは低下していると見られる。

一方の下振れリスクとしては、域外・域内経済の減速によって、ディスインフレ傾向が想定以上に強まる可能性があるだろう。
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