筆者がひとつ、注目していることがある。それは、言葉の使い方だ。例えば、同じような言葉で「高齢
者」と「高齢
期」という表現がある。もしも、本や新聞、ウェブなどの記事に「高齢
者は~」と書かれていると、65歳以上や、それに近い人にとっては自分事として興味を持ちやすいが、若年層から見ると関係ない話のように映り、興味が逸れるかもしれない。さらには、年齢で境界を引くことによって、社会保障の「支える側」と「支えられる側」というような分断を社会に招き、利害衝突を起こしかねない。これに対し、もしも記事に「高齢
期は~」と書かれていると、若年層にとっても、他人の話ではなく、「いつか行く道」と受け止めることができる。
実は、内閣府が高齢社会対策基本法に基づいて毎年策定している「高齢社会白書」は、平成30年版から、「高齢
者」に代わって、「高齢
期」という表現を多用している。例えば、「平成29年版高齢社会白書」には、「高齢
者の暮らし」というタイトルの節があり、経済状態や生活環境について取り上げているが、「平成30年版高齢社会白書」では、「高齢
期の暮らしの動向」というタイトルに変わっている。以降ずっと、「高齢
期」という表現が用いられている。
現在、40歳代の筆者から見ても、「高齢
者の暮らし」と書かれているよりも、「高齢
期の暮らし」と書かれている方が、同じ内容であっても、より関心が持てる。「高齢
者」という表現だと、特定の属性のグループを指すため、該当しない人にとっては他人事だが、「高齢
期」という表現だと、ライフステージを指すため、自分事になるからだ。一字違うだけだが、語感の違いは、与える印象を変える。
同じように、「シングル」という言葉も、独り身のグループを指すのではなく、「幼児期」や「学齢期」、「更年期」のように、ライフステージの一つだと認識されるようになれば、より多くの人が、自分事として捉えやすくなるのではないだろうか。もちろん、正確には、全員がシングルを経験するわけではないのだが、日本人の誰もが例外とは言えず、特に女性は、65歳以上の2人に1人がシングルなのだから、「いつか行く道」という意識を持っていた方が、備えに身が入るのではないだろうか。また、政策立案者や経営者にもそのような意識が広まれば、女性の雇用・社会保障政策、働く女性のキャリア支援についても、議論が活発化し、取組も充実するのではないだろうか。
シングルは独り身の集団を指すのではなく、誰もが通過するかもしれない、私たちの最後のライフステージ――。そう捉えることが、安心できる「長寿・おひとりさま社会」を迎えるための、第一歩のように感じられる。