コラム

政策形成の「L」と「R」で高額療養費の見直しを再考する-意思決定過程を詳しく検討し、問題の真の原因を探る

2025年02月17日

(三原 岳) 医療

4|次元の異なる少子化対策からの要請というホンネ
もう1つが少子化対策からの要請です。これを検討する上では、2024年度予算編成を振り返る必要があります。この時、岸田文雄内閣が重視した「次元の異なる少子化対策」が焦点となり、児童手当の所得制限撤廃などが決まった一方、約3兆2,000億円に上る財源の確保策について、岸田首相は「新たな国民負担は増やさない」と言明し、増税論議が封印されました。その前年に防衛費増税が決まっていたので、「二正面作戦は取りにくい」と考えられたのではないか、と推測します。
結局、約3兆2,000億円は歳出の組み換えや給付抑制で賄うことになりました。当時、政府が示していた全体像は図表2の通りです。この時、歳出抑制を単なる「空証文」に終わらせないため、政府は2023年12月に「全世代型社会保障構築を目指す改革の道筋(改革工程)」(以下、改革工程)を作りました。つまり、歳出抑制のメニューを並べることで、2兆円強を歳出抑制で賄うとした図表2の具体化を図ろうとしたわけです。実は、ここに高額療養費の見直しが盛り込まれています。
 
「新経済・財政再生計画改革工程表2022」において「世代間・世代内での負担の公平を図り、負担能力に応じた負担を求める観点からの検討」を行う事項として位置付けられている高額療養費制度の在り方について、賃金等の動向との整合性等の観点から、必要な見直しの検討を行う。

ここで言う「新経済・財政再生計画改革工程表」とは毎年末、経済財政諮問会議を中心に決める歳出改革の工程表であり、2022年版を引用しつつ、高額療養費の見直しが言及されていたわけです8

以上の経過を踏まえると、このような点を指摘できると思います。まず、タテマエの見直しの理由として、政府が「実効負担率の減少」「賃上げの影響」などを挙げている点。次に、「予算編成上の要請」「少子化対策の財源確保」というホンネが隠されている可能性、そして後者では2023年12月の改革工程で方向性が示されており、予算編成過程で具体化したという経過です。

付言すると、下衆の勘繰りと批判されるかもしれないですが、5,000億円規模という数字ありきで見直し案が作られているようにも見えます。さらに、「見直し方針は3年前に示され、2年前には閣議でも決めているんだし、負担増は既定路線」という関係者の心の声さえ聞こえるような気がします。
 
8 なお、「新経済・財政再生計画改革工程表」では向こう3年間の方針が示されており、2022年版と2023年版では見直し項目として、「高額療養費制度の在り方」が言及されているが、いずれも3カ年で取り組む事項は空欄になっている。

4――政策形成過程の問題点

1|高額療養費の見直し論議で合意形成は十分だったのか?
しかし、やはり突っ込みどころは多いと思います。まず、「高額療養費の見直し論議に関して、合意形成の努力は十分だったのか?」という点です。確かに見直しの方向性は2年前の閣議決定文書などに盛り込まれているのですが、詳細が決まっていたわけではありませんし、漢文みたいに漢字が並ぶ政府文書を読み込む人は筆者のようなマニアに過ぎません。実際、多くの人は「寝耳に水」「少子化対策のカネをどうして患者負担で賄うの?」と受け止めたのではないでしょうか。

このため、上記の案が決まる過程で患者団体の意見を聴くタイミングがあれば、例えば特定の疾病については見直し案の対象から外すとか、多数回該当に関わる患者負担の年額上限を設定するなど、別のアイデアが浮上した可能性もあります。全ての人の理解を得るのは難しいにしても、合意形成の努力が不十分だったと言わざるを得ません。
2|「改革工程」の検討過程は十分だったのか?
さらに、議論の前提となっている改革工程の検討過程の不十分さも浮き彫りになります。関係各省や与党、関係団体と十分に調整されたと思えないためです。

ここで少しだけ当時の経緯を振り返る9と、次元の異なる少子化対策は元々、岸田首相が2021年9月の自民党総裁選で、「子どもを含む家族を支援する政府予算の倍増」に賛意を示した辺りから始まります。その後、「予算倍増」の実現に向けて、主に2023年に検討が進みましたが、財源確保の詳細は議論されず、改革工程についても、与党や関係団体と調整した形跡が見受けられません。このため、筆者は当時、「泥縄」「付け刃」などと批判していました。

実際問題として、改革工程は策定過程で修正を余儀なくされました。並行して検討されていた介護保険の2割負担拡大が先送りされた10ことで、わずか2週間で文案が修正されたのです。その上、今回の高額療養費の見直しで混乱を招いた点を考えると、改革工程の策定過程が如何に杜撰だったか分かります。その意味では、今回の混乱を作り出した真の原因は改革工程にあると言えます。
 
9 次元の異なる少子化対策の経緯や改革工程の問題点については、2024年2月14日拙稿「2024年度の社会保障予算の内容と過程を問う(下)」、同月1日拙稿「2024年度の社会保障予算の内容と過程を問う(中)」を参照。
10 この経緯については、2024年3月1日拙稿「介護保険の2割負担拡大、相次ぐ先送りの経緯と背景は?」を参照。

5――「L」と「R」で考えると…

1|高額療養費を巡る「L」と「R」
こうしたプロセスを政策形成過程で使われる「L」と「R」で再検討すると、問題点が一層、浮き彫りになります。冒頭に述べた通り、前者は正統性(legitimacy)、後者は「正当性」(Rightness)を意味します10。いずれも読み方は「せいとうせい」、翻訳は「正しさ」ですが、2つの意味は大きく異なります。つまり、前者は「正しい」手続きで政策が決まったか、を意味します。今回の件で言うと、「改革工程に盛り込まれた」「専門家の審議会」「4回の議論」という説明が「L」になります。

一方、「R」の「正当性」は「正しい政策」であり、「なぜ必要か?」という専門性や合理性に基づく議論です。ここで注意する必要があるのは、「R」の正しさが多様な点です。例えば、今回の高額療養費の見直し論議では、実効負担率の上昇を問題視しつつ、医療保険に投じられる税金や保険料の負担を抑制したいという考え方自体は間違いとは言い切れないし、「治療を諦め死なねばならないのかと絶望している」という多数回該当の患者の悲痛な声も正しさを有しています。

つまり、「R」の「正しさ」は1つではなく、審議会やメディアなどの機会で議論を重ね、できるだけ多くの人が納得できる合意形成プロセスが欠かせないことになります。これは18世紀フランスの哲学者、ルソーが提唱した「一般意志」を作り上げる過程になります11

ただ、今回の議論は「L」に著しく傾斜しています。その証左として、見直し論議が浮上した2024年11月21日の医療保険部会資料では、下記のように書かれています(一部文言を省略)。
 
改革工程に「高額療養費の自己負担限度額の見直し」が盛り込まれており、(注:2024年)11月15日に開催された「全世代型社会保障構築会議」においても、複数の委員から、年齢ではなく負担能力に応じた負担という全世代型社会保障の理念や、保険料負担の軽減等といった観点から、見直しを早急に求める意見があったことを踏まえ、必要な見直しを検討していくべきではないか。

この後、見直しの視点として、「実効負担率の減少」「賃上げの影響」などが言及されているのですが、主たる根拠は改革工程とか、全世代型社会保障構築会議の意見に置かれています。これらは全て「L」であり、厚生労働省が考える「R」は完全に後回しになっています。
 
10 政策形成に関する「L」と「R」の議論は法哲学を中心に様々な議論が展開されているが、本稿は2019年3月公表のPHP総研報告書「統治機構改革1.5&2.0」を主に参照した。筆者は次元の異なる少子化対策について、この枠組みで批判している。詳細については、2024年1月23日拙稿「政策形成の『L』と『R』で考える少子化対策の問題点」を参照。
11 ルソーの訳本や解説書は多いが、桑原武夫ほか訳(1954)『社会契約論』岩波文庫を参照。
2|改革工程を巡る「L」と「R」
改革工程に関しても、同じことが言えます。そもそも今回の案件に限らず、歳出抑制は「総論賛成、各論反対」になるのが当たり前であり、検討過程では関係団体との調整や国民への説明が不可欠です。

例えば、小泉純一郎政権期の2006年に歳出・歳入一体改革が盛り上がった際、政府内では「増税を優先すべき」「経済成長と歳出削減を先に進めるべし」という意見が鋭く対立。結局、小泉首相の指示で、自民党が歳出改革を作る異例の展開となりました12。筆者は当時、この過程を記者として取材していましたが、自民党で毎日のように歳出改革のプロジェクトチームが開かれたのを覚えています。その結果、最低でも11.4兆円の歳出を5年間で削る方針が決まりました。つまり、「R」を紡ぐ努力が政府・与党で交わされたわけです。

それにもかかわらず、この時の歳出抑制策はリーマンショックの影響もあり、わずか2年で事実上の撤回となりました。つまり、歳出抑制策は検討だけではなく、実行も簡単ではないのです。

一方、改革工程に関しては、こうした形で「R」を形成するプロセスが不十分であり、むしろ「首相の意向」という「L」をタテに作成されたと考えられます。このため、杜撰な改革工程を根拠にした「L」の議論を続ける限り、同じような混乱は繰り返される可能性が高いと思います。
 
12 小泉政権の経緯については、清水真人(2007)『経済財政戦記』日本経済新聞出版社などを参照。

6――超党派での議論を

最後に一つ提案したいと思います。筆者自身は「年齢で区分された患者負担は合理的ではない」13と考えており、子どもを除く部分は原則として3割負担に統一するとともに、医療費を多く使う人には高額療養費で負担を軽減する形が合理的と思っています。政府自身も2024年9月に決まった「高齢社会対策大綱」で、「年齢に関わりなく、能力に応じて支え合う」という考え方を示しています。

一方、2024年10月の総選挙でキャスティングボートを握った国民民主、日本維新の会は公約で、高齢者の患者負担見直しに言及しており、一部の野党とは足並みが揃っています。

そこで、政府・与党には是非、高額療養費を含めた患者負担の在り方を話し合う政党間協議を提唱し、高齢者の患者負担引き上げに関する方向性とか、患者負担と高額療養費の役割分担などについて、少しでも合意形成を積み重ねて欲しいと思います。
 
13 70歳以上は原則1割、一定程度の所得以上の75歳以上高齢者は2割となっている。高齢者に関わる患者負担の経緯については、2022年1月12日拙稿「10月に予定されている高齢者の患者負担増を考える」を参照。

7――おわりに

今回は高額療養費の見直しに関する内容や経過を検討するとともに、合意形成が不十分な点を批判的に論じました。さらに、政策形成で使われる「L」と「R」という考え方を使い、その問題点も検討しました。

言うまでもなく、「L」は民主的な手続きという点で非常に重要ですが、「L」に偏重し過ぎると、正統性を持つ人の正しさだけで政策が決まり、今回の患者の声のような少数の「R」が軽視されます。付言すると、「L」とは民意を背景にして人を動かす「力」であり、多くの人が「正しさ」を巡って対話することなく、「力」だけで政策を決めると、19世紀英国の思想家、ジョン・スチュワート・ミルが指摘した「多数の専制」に繋がります14。実際、今回の過程では、多数回該当の長期療養患者の「R」が置き去りになったわけで、「L」や「力」に偏重する政策決定の弊害が明らかになったのではないでしょうか。

今回に限らず、最近の政策形成では「L」に偏る傾向が多く見られますが、「R」の過程を経ていない杜撰な改革工程を根拠にしつつ、歳出改革の議論を進めた場合、同様の問題が起きかねないと考えています。
 
14 ミルの邦訳や解説本が多いが、塩尻公明ほか訳(1971)『自由論』岩波文庫を参照。

保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳(みはら たかし)

研究領域:

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴

プロフィール
【職歴】
 1995年4月~ 時事通信社
 2011年4月~ 東京財団研究員
 2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
 2023年7月から現職

【加入団体等】
・社会政策学会
・日本財政学会
・日本地方財政学会
・自治体学会
・日本ケアマネジメント学会

【講演等】
・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

【主な著書・寄稿など】
・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

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