2-2│「OL」にとっての「義理チョコ」~先行研究のレビューより~
次に、義理チョコの意味と役割を明らかにするために、前述した筆者のコラムでも取り上げた、小笠原祐子氏著『OLたちの<レジスタンス>』(1998年、中公新書)の中から、「OL」とバレンタインデーに関する分析をレビューする。なお、同書の内容に関する説明には、筆者の解釈が含まれていることを、あらかじめお断りしたい。また、「OL」という用語は、現在では死語だと思うが、同書のレビューの際には、便宜上、用いることとする。
同書で小笠原氏は、聞き取り調査などを基に、均等法施行後のOLたちの職場での行動をリアルに描いた。それによると、当時のOLたちは、結婚・出産退職による短期雇用が想定されていたため、会社では昇進・昇給も殆ど無く、出世競争の蚊帳の外に置かれていた。頑張って仕事をしても、しなくても、どうせ考課には反映されないので、予め決まった仕事以上のことを頼まれたら、それに応えるかどうかは「サービス」という感覚だった、と説明している。
そのようなOLたちにとって、年に一度のバレンタインデーで、男性の上司や同僚に贈るチョコレートは、自発的な"贈答品"という恰好を取りながら、その実、相手によってモノや贈り方に差をつけることで、普段のうっぷんを晴らしたり、感謝の気持ちを表したりする絶好の手段になっていた。
例えば、職場のほとんどの男性社員に対しては、OL1人から1個ずつチョコレートを渡すのに、嫌いな上司には、OL同士が相談の上、3人から1個にして総数を減らしたり、わざと渡す時間を遅らせて不安にさせたりと、相手によって差をつけて、反応を楽しむことがあったという。中には、包装の上から指でぼこぼこに押して、こなごなにしたチョコレートを渡した事例もあったというのだ。
その結果、日本のような仕切りの無い大部屋の職場環境では、人気のある男性社員とない男性社員の差が一目瞭然になった。「人気のある男性には、それこそ大きな段ボール箱をも埋め尽くすかと思われるほどのチョコレートが来たりするのに、人気のない男性には、超義理チョコという感じのチョコレートが数個来るだけ」と同書は描写している。
このように書くと、「OLは怖い」と感じる男性もいるかもしれないが、これらの行動は、職場でのOLたちの立場の弱さ、すなわち「構造的劣位」から生じていると小笠原氏は分析している。その行動の特徴として、小笠原氏は「匿名性」と「多義性」という2点を指摘し、それらは、社会的弱者が「抵抗」のメッセージを隠ぺいするために用いられる手段だと説明している。
すなわち、ある男性社員が受け取るチョコレートの総数が少なくても、その判断は、職場のOLたちの"意思の総和"として現れたものであるため、特定のOLの責任にすることができないということ(=「匿名性」)。また、OLたちがたとえチョコレートに復讐の気持ちを込めていても、あるいは感謝や愛情をこめていても、表面上は同じ媒体(チョコレート)であるため、男性側からは、本音を特定できないということ(=多義性)だ。このように、敵意または好意をチョコレートの中に包み隠し、あえて曖昧さを残したまま、相手に手渡しているのだ。
小笠原氏の分析を改めてまとめると、会社から短期雇用を想定されているOLたちは、普段、仕事の成果を期待も評価もされない弱者の立場にある。自分たちの力ではその状況を変えることはできない。でも本当は、もっと一人ひとりを尊重してほしい。また、お返しなどを通して具体的に表現してほしい――。そのような思いが表出したものが義理チョコだと言える。
これらの分析から、義理チョコという日本独自の習慣が生まれた背景には、職場の大きな男女格差と、OLたちがその事実を受け止めた上で、職場に適応し、自分なりに楽しもうとする内発的動機があったと言える。言い換えれば、ジェンダーギャップの大きい職場だからこそ、OLたちによる贈答イベントが生まれる必然性があったのだ。そこに、製菓業界や小売りが売り込んだバレンタインデーというフレームが合致した。つまり、組織風土に限界を抱える中で、OLたちが、何とか自分たちに有利な状況を引き出そうとするアピールが、義理チョコという形に昇華されたと言えるのではないだろうか。
3――バレンタインデーにおける女性会社員の行動の変遷