3――賃金上昇にはインフレではなく賃金改革こそが必要
春闘での久方ぶりの賃上げ実現については、インフレが背景とされるものの、インフレを上回る実質賃金の持続的な上昇のためには、生産性の持続的な上昇が必要との認識も広まってきている。また生産性の上昇のためには従来のようなコストカットではなく収益性の向上・高付加価値化が重要との認識も広まってきている。一方、好循環論のようにインフレを賃金上昇の主因とする議論では、実質賃金の上昇のためには、インフレが生産性を上昇させることを論証しなくてはならないが、そのような論証は見当たらない。また実質ベースでの賃金上昇のためには生産性上昇が必要とされる(生産性上昇→賃金上昇の因果)が、最近ではわが国の現状を踏まえて、低賃金が低生産性を生み出しているとの指摘もされている。この指摘に従えば、生産性の上昇のためにはまず先行した賃金上昇が必要(賃金上昇→生産性上昇の因果)となる。
低賃金であれば、雇用者も従業員に高い生産性を要求しない。高賃金であれば、従業員に高い生産性を要求し、そのためにデジタル化などの設備を整え、人財投資を行うことなどが考えられる。
わが国経済の問題は、(潜在)成長力の低下であり、この背景である少子高齢化という人口問題は最大の課題である。生産性上昇はこれを緩和する方策のひとつである。
わが国の過去20年余の雇用情勢を振り返ると、雇用が増加する一方で賃金上昇率は低位に留まっている
6。低賃金の継続と成長力の低迷が併存することは、両者の関係性(低賃金が低生産性と成長力の低迷を招いてきた可能性)を示唆しているように思える。
筆者は、わが国で必要とされるのは、デフレのノルムよりも低賃金のノルムの打破ではないかと指摘した
7。低賃金のノルムを打破することは、デフレマインドの脱却よりも重要であろう。それでは低賃金体制を脱却するにはどうしたらいいのだろうか。わが国では依然、経済全体とは言わずとも業界横並びの同調的な賃上げ姿勢が根強いが、企業は本来、個別の収益性に基づき賃金を決定すべきだろう。賃金政策は将来をにらんだ人財投資という重要な経営戦略である。
また労働政策として非正規雇用の問題の是正も、成長戦略の視点からも重要ではないだろうか。現行の非正規雇用制度は低賃金を生み出し、正規雇用も含めて賃金抑制の圧力となっている
8。わが国の労働市場の現状は、長時間労働で時間面での柔軟性の乏しい正規雇用と低賃金の非正規雇用の併存であり、これが経済面を超えて、生活面での満足度を低め労働意欲も低下させているように思える。これはまた生活満足度の低下から人口問題などにも悪影響を与えている。同一労働・同一賃金の徹底と正規・非正規の区別のない(むろん男女格差のない)時間給の採用を基本とする柔軟で満足度の高まる労働市場改革こそ必要とされているのではないだろうか。社会でますます必要とされているエッセンシャルワーカーの雇用環境が悪いことなど、わが国労働市場の歪みは大きい
9。インフレ重視の好循環論は実質賃金上昇への論拠も薄弱な面もあり、またデフレこそ経済の最大の問題とすることはより重要な人口問題や労働問題から目をそらしかねないことも懸念されてしまう。
6 二宮・得田(2024)
7 例えば高橋(2023a)
8 深尾(2023)は低賃金による非正規雇用の増加が人的資本の蓄積を阻害していることを指摘している。これは雇用の増加が潜在成長力の上昇をもたらさなかった背景を説明しているように思える。
9 本節については田中(2024)による提言等が参考になった。田中(2023)によるエッセンシャルワーカーの問題、ドイツの事例も大変参考になる。