1|戦略的自立への指向を強めるEU
19年12月に就任したフォンデアライエン欧州委員会委員長は、自らの率いる欧州委員会を「地政学的欧州委員会」と位置づけている。
EUにとって、地政学的な最大の脅威はロシアだが、地経学的な警戒の対象は中国にある。中国の世界経済におけるプレゼンスは、2001年12月の世界貿易機関(WTO)加盟を機に拡大傾向が定着し、世界金融危機後、欧米が低成長に陥ったことで、その差を一気に縮めた。EUの単一市場における影響力も、財の輸出に留まらず、M&Aを通じた技術力のある欧州企業の買収、習近平政権が2013年秋に打ち出した「一帯一路」の展開、2012年に中国がEU加盟国を含む中東欧16カ国と立ち上げた協力のための枠組み「16+1」(後にギリシャが参加し「17+1」)などを通じて目に見えるようになった。「一帯一路」と「16+1」について、西欧では、当初からEUを分断し、政治的な影響力を拡大しようとするする戦略との懐疑的な見方が存在したが、ギリシャや中東欧では、世界金融危機、ユーロ危機による経済低迷期に中国資本への期待を高めていた。しかし、ギリシャや中東欧においても投資計画の多くが遅延ないし未着工であるなど期待を裏切る結果となっている
9。「債務のわな」の問題化や、中国が自国の戦略的利益を維持・拡大する手段として経済的な依存度を高めた国々に経済制裁を頻繁に発動するようになったことも
10、中国に対する不信感を高める結果となっている。
EUが、中国経済の強大化、EUの単一市場における影響力の拡大と共に、地経学的な警戒を強めた様子は政策文書から確認できる。中国とEUは、1975年に正式に外交関係を樹立、経済、特に通商面を中心に関係を深めてきた。2003年には広範囲で協力関係を強める「戦略的パートナーシップ」を締結、2013年の「EU-中国2020戦略アジェンダ」
11でも、平和と安全保障、繁栄(経済協力)、持続可能な発展、文化交流を4つの重点分野として「戦略的なパートナーシップ」を深めることを確認している。しかし、ドイツ産業用ロボット企業の中国企業による買収などが衝撃となり、2016年の政策文書「新たなEUの中国戦略の要素」
12では、習近平体制始動前と比べた中国の変容とグローバルなレベルでのより大きな役割を求め、グローバル・ガバナンスへの影響力を行使しようとしていることへの警戒を示し、EU独自の戦略が必要との認識を示した。そして、2019年3月に採択した政策文書「EU-中国の戦略的展望」
13で、「中国の経済力と政治的影響力は、世界の大国になるとの野心を反映し、前例のない規模とスピードで増大」しており「もはや途上国ではない」、「ルールに基づく国際秩序を維持するためのより大きな責任、より大きな相互主義、無差別、開放性を伴うべき」という認識を示した。その上で、現在に至るEUの基本姿勢である「共通の目標を有する協力のためのパートナー」、「利益のバランスを見出す必要がある交渉のパートナー」であると共に「技術的主導権をめぐる経済的競争相手」であり「ガバナンスに関する異なるモデルを推進する体制上のライバル」と中国を位置付けた。
コロナ禍によって、医療防護具等の中国依存のリスクが露呈したこと、コロナ禍の起源や政策対応の巧拙を巡って、中国が自己主張を強め、体制上の優位性を強調するようになったことで、「体制上のライバル」としての中国を強く意識せざるを得ない状況となっている。
EUの政策スタンスを理解するキーワードは「開かれた戦略的自立(または自律)」である。戦略的自立は、1990年代の旧ユーゴ紛争を契機に安全保障の領域で対米関係の文脈で論じられてきたが、英国がEU離脱を選択し、米国で「米国第一主義」のトランプ政権が誕生した2016年頃から改めて重要性が強調されるようになった
14。EUの価値観を守り、競争条件の公平化を実現する手段として、単一市場のためのルールメーキングで培われたグローバルなルールメーカーとしての影響力を積極的に行使するようになっている。
フォンデアライエン委員長率いる欧州委員会は、新たな成長戦略として「欧州グリーン・ディール」
15を立ち上げ、2050年の温暖化ガス排出ゼロを目標に、持続可能な経済・社会への転換を実現すべく、包括的な政策の見直しを進めている。すべての領域において、EUの「開かれた戦略的自立」と域外との「競争条件の公平化」を目指す方針は一貫している。
産業面では、20年3月に「新産業戦略」
16で、(1)欧州産業の国際競争力と公平な競争条件の維持、(2)気候中立化に道を拓く、(3)デジタルの未来を形作ることを優先課題とした。(1)の実現は、保護主義的措置ではなく適切な条件の設定と、単一市場の影響力、規模、統合を活用し、欧州の価値と原則を象徴する高い国際基準を設定することによる。21年5月の「2020新産業戦略アップデート」
17では、輸入依存度が高くかつ調達先の多様化や域内代替が難しい品目を特定し、戦略的に重要な分野でのアライアンスを強化することで脆弱性を克服する方針を示した。同文書では、輸入に依存する原材料や医薬品原料、グリーン移行やデジタル移行に必要なセンシティブな137の品目の調達先を分析し、52%という圧倒的シェアを中国が占めることも明らかにしている。バッテリー、循環型プラスチック、原材料、クリーン水素、半導体などの分野で調達先を分散し、エコシステムを強靭化する戦略的自立に資するアライアンスの促進のため、国家補助ルールの適用除外とする「欧州の共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」を積極的に認定する方針である。アライアンスでは「可能な限り、志を同じくするパートナーとの協力を追求」するとして「開放性」と「公平性」を強調している。実際、始動済みのアライアンスには、日本のほか、米加豪韓や新興国も含めたEU域外の企業等も参加している。しかし、中国、ロシアの企業等は参加しておらず、権威主義国家への依存度の引き下げが指向されていることがわかる。
通商政策もEUの戦略的利益のために活用する
18。21年2月公表の「通商政策レビュー」
19では、中国のEU内外の環境変化への対応として「開かれた、持続可能かつ積極的な通商政策」を目指す方針を示した。通商政策の重点課題としては、(1)WTO改革、(2)WTOや通商協定、国境炭素税を通じたグリーン移行の支援、責任ある持続可能なバリューチェーンの促進、(3)デジタル化とサービス貿易の支援、(4)EUの規制の影響力の強化、(5)近隣諸国とアフリカとの関係の強化、(6)通商協定の実施・執行を強化し、競争条件の公平性を確保するという6項目を挙げている。