2021年5月19日に埼玉・所沢の「西武園ゆうえんち」が、開業70周年記念事業でリニューアル開業する。今回のリニューアルでは "心あたたまる幸福感に包まれる世界"がコンセプトに掲げられ、1960年代の日本が舞台に世界観が構築されている。園内には、生きた昭和の熱気を感じられる「夕日の丘商店街」と呼ばれる商店街が作られ、昔懐かしい町並みが再現されている。来園者はそこで昭和レトロな街並みや、懐かしさが口に広がるライスオムレツ、クロケット(コロッケ)といったメニューを楽しむことで、当時の日本にタイムスリップしてきたかのような気分を味わえる。まさに日本人のノスタルジア(哀愁)を刺激する施設といえるだろう。
ノスタルジア(nostalgia)という言葉は、ギリシャ語の nostos(家へ帰る)と algia(苦しんでいる状態=苦痛)に由来している。つまり、故郷へ帰りたいと切なく恋焦がれるという意味を持つ。元々17世紀後半に故国から遠く離れて、ヨーロッパのどこかの専制君主国の軍隊に所属し、戦っていたスイス人傭兵によく見られる「病気」として認識されており、抑うつ、食欲不振などの症状を指していた。この「帰郷の痛み」は 19 世紀に至るまで主に精神的な病として、発症要因や精神的、身体的諸症状の分析と処方についての研究が行われてきたが、昨今では当時のような"病気"としての意味合いで用いられることはほとんどなくなっている。
ノスタルジア研究の第一人者である社会学者フレッド・デーヴィスによれば、ノスタルジアは、「自分とは誰なのか、なにをしようとしているのか、どこへいこうとしているのか」というアイデンティティの構成、維持、再構成と深く結びついているという。人生におけるライフステージの移行期に、その変化に順応する過程の中で顕著に現れる。ノスタルジアは、変化する環境の中で自分自身のアイデンティティ自体は連続し、同一であるということを保証し、安寧を与える機能を持つのである。「思い出」と異なるのは、思い出が記憶の断片である一方で、ノスタルジアは「過去に焦がれる」という感情の揺さぶりそのものを意味しており、過去の断片的な記憶や記号が過去を美化し、
あのすばらしい時代には戻れないという現実に対して哀愁を感じることなのである。例えば昨今使われる「思い出補正」という言葉がある通り、変哲もないものに思い出という付加価値が付くことで、他者には知りえない意味がうまれることも一種のノスタルジアと言えるだろう。現在では主に「良き時代への懐古」としての意味合いが強くなっている。
西武ゆうえんちでは、今回のリニューアルに際し、世界初となるゴジラの大型ライドアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦」が稼働する。このライドアトラクションには、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズを手掛けた映画監督山崎貴氏も携わっている。『ALWAYS 三丁目の夕日』は当に人々が共有する昭和30年代の日本に対する「懐かしさ」に訴求した作品であった。団塊世代が幼少期を過ごした昭和30年代は「もはや戦後ではない」という言葉が流行語になった通り、日本が戦後から復興して、高度経済成長を迎え、大衆消費社会が幕を開けた時期であった。この時期は東京タワーの建設、東京オリンピックの開催など日本が終戦後以降豊かさを実感しながら成長していった時代であるのは間違いないが、あの時代に生きた人々であっても、居住地によっては復興度合いや発展状況は異なる。つまり、『ALWAYS 三丁目の夕日』と言う映画はその時代を生きた人々たちが持つそれぞれの「昭和30年代」を引用し、集約させ再生産した一種のシミュラークル(虚構)なのである。言い換えると、その時代を生きた視聴者の多くがスクリーンに映し出された昭和30年代の懐かしさを引き出す記号が集約された「
当時風の日本」に対してノスタルジアを感じていたといえるだろう。またこの時代以降に生まれた世代にとっては現代日本とはかけ離れた生活水準である傍ら、新幹線や東京タワーと言ったランドマークが面影を残し、そのギャップが一種のファンタジーの世界のように幻想的なモノとして受容された。『ALWAYS 三丁目の夕日』の映画公開以降「昭和レトロ」は注目を浴び、日本人がノスタルジアを感じる一つのイメージ(時代)として幅広い世代に定着した。
2――実現した「20世紀博」