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年齢だけに着目した不合理なシステムの部分修正
一方、年齢だけに着目した不合理なシステムの部分修正というプラス面も指摘できる。人間は加齢に伴って医療サービスを多く使うことは避けられないが、全世代型会議の中間報告で述べていた通り、高齢者と言っても生活や所得は様々であり、年齢で一律に区切る意味を感じない
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しかも、既に引用した健保連の発言に見られる通り、高額療養費で自己負担を抑えられる分、医療ニーズが高い人に対する配慮は一定程度、担保できることを考えると、年齢で区切るシステムは合理性を持たない。このため、今回の制度改正は不合理なシステムの部分的な修正と位置付けられる。
しかし、あくまでも「部分修正」である。むしろ、自己負担引き上げは政治問題になりやすく、「政治的なシンボル」としての側面が強い。実際、高齢者医療費の自己負担は選挙戦などで争点になりやすく、過去には政治的な思惑に左右されて来た。
元々、年齢に着目した自己負担の軽減は1973年の老人医療無料化に遡る。この時、政府は70歳以上の医療費をゼロとしたが、無料化を決断した佐藤栄作内閣としては、福祉の充実を迫る野党や革新自治体の攻勢、世論に配慮する意味合いがあった。例えば、当時の国会会議録では37都道府県、6政令市で同種の施策が実施されているとして、「飛躍的拡充どころか、これまでの施策の立ちおくれを追認したに過ぎない」という政府批判の発言が残されている
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実際、当時は年金制度が成熟しておらず、給付額も十分とは言えない事情があり、医療費の負担軽減を求める声が強かったのも事実である。例えば、内田常雄厚相の発案で、1970年9月に開催された「豊かな老後のための国民会議」の報告書では「老人医療費は全額公費で負担すべきだ」といった意見が取りまとめられている
5。しかも、会議にはメディア関係者、経済界、労働界、日医、有識者などが数多く参加しており、特定の偏った意見を拾った形跡は見受けられない。つまり、今でこそ老人医療費無料化は「田中角栄内閣で実施された『バラマキの象徴』」と見られているが、当時は一定の合理性を有すると見られていた。
しかし、この時の判断は現在も尾を引いている。その後、年金給付額の引き上げが図られた半面、病院が高齢者のサロンと化すなど老人医療費無料化の弊害も浮き彫りとなったにもかかわらず、制度の見直しは遅々として進まなかったためである。具体的には、自民党や日医、健保連との厳しい調整を経て、1983年にスタートした老人保健制度で70歳以上高齢者の自己負担が漸く導入されたが、僅かな定額負担にとどまった。さらに、同じように関係者の利害調整を経て、後期高齢者医療制度の導入を柱とした2008年度の医療制度改革が実施され、現行制度がスタートしたが、導入時点では国民の不評を招き、2007年7月の参院選、2009年8月の総選挙で自民党が敗北する一因となった
6。つまり、高齢者医療費の負担引き上げは選挙戦などで争点化しやすく、政治家の関心も高い。
言い換えると、高額療養費で自己負担を抑制できる点を考えれば、実質的な意味合いが少ないにもかかわらず、政治的なシンボル性が強いため、半世紀前の政策の軌道修正が今もなお続いている形だ。
3 ここでは詳しく触れないが、環境や所得が健康状態を左右するという健康の社会的決定要因((Social Determinants of Health))という考え方に立てば、逆に不健康になるリスクが高い低所得者に対しては、年齢とは無関係に医療サービスへのアクセス改善を図る必要がある。健康の社会的決定要因については、近藤克則(2017)『健康格差社会への処方箋』医学書院などを参照。
4 第68回国会会議録1972年2月2日参議院本会議における二宮文造参院議員の発言。
5 豊かな老後のための国民会議委員会が1971年1月に編集・発行した「豊かな老後のために 国民会議報告書」。
6 ここでは詳しく触れないが、70~74歳の自己負担を巡る議論も錯綜した。2007年7月の参院選で自民党が大敗を喫し、福田康夫政権は2割と定めた法律上の規定を維持したまま、負担割合を1割に軽減することを決めた。これは民主党への政権交代、自民党の政権復帰を挟んでも続いたが、2014年4月以降に70歳に達する高齢者から2割に引き上げられた。
5――おわりに