もう一つが「行政中心アプローチへの回帰」です。やや大仰に映るかもしれませんが、冷戦崩壊後、世界的に進んだ現象は「脱国家化」であり、日本でも規制緩和や民営化、地方分権、市民参加が進められました。つまり、自治体や民間企業、市民など様々な主体が公共に関わる機会を増やすことで、「統治の質」を高めようとしたわけです。その背景には国家財政の悪化だけでなく、ライフスタイルや価値観の多様化があり、「国だけが社会の行方を決めるのは難しい」という判断がありました。
行政学で「ガバメント(government)からガバナンス(governance)へ」という言葉が使われていたのも、こうした文脈で理解できます。ガバナンスには国家や政府の存在を前提に論じる「国家中心アプローチ」と、民間セクターも含めて、多様な関係者同士の水平な関係性を重視する「社会中心アプローチ」の2つがあり、「ガバメントからガバナンスへ」という考え方は後者を重視しています
6。
医療行政に関しても、こうした傾向が見受けられます。例えば、欧州の医療制度改革に関する資料や書籍を見ていると、「decentralization(分権化、脱集権化)」という言葉を頻繁に見掛けますし、日本でも医療行政に関する都道府県の役割を大きくする「医療行政の都道府県化」が近年、意識されていました。高齢化率や人口減少のスピードが都道府県ごとに異なるため、全国一律による対策が難しくなっているため、都道府県の裁量を大きくしようとしていたわけです。
例えば、先に触れた地域医療構想では、都道府県が地域の実情に応じて医療提供体制を改革することが意識されており、関係者との合意形成が重視されているほか、今年4月からは都道府県を中心に医師偏在是正もスタートする
7など、医療提供体制改革における都道府県の役割が強化されています。さらに、2018年4月から国民健康保険の運営単位が都道府県化
8したことで、財政運営の責任も大きくなっており、昨年末に取りまとめられた全世代型社会保障検討会議の中間報告でも、今秋を目指して都道府県の役割を強化するための制度改正を議論する方針が盛り込まれていました。こうした一連の施策は「分権化、脱集権化」「ガバメントからガバナンスへ」を志向していたと言えます。
ただ、新型コロナウイルスが状況を一変させました。感染症対策に関しては、行政が「公共の利益」のために私権を制限する場面が増えます。さらに短期間に判断を下す必要に迫られる分、行政が民主的な合意形成プロセスを経る時間もなくなります。例えば、他国では都市封鎖(ロックダウン)も含めて、市民の権利を中央政府が厳しく制限しており、日本でも臨時病院の設置などに関して私権制限を可能とする「緊急事態宣言」が新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づいて発令されました。
これらの事象に関しては、「パンデミックと戦うには大きな政府(Big government)が求められている」「第2次世界大戦以降、最も大規模に国家の役割が大きくなっている」という英『エコノミスト誌』のコラム
9と符合しています。さらに、スペイン風邪に関する歴史書
10も「(注:大規模感染症の時は)民主主義もきわめて危険な政治形態となりうる。本当に必要とされるのは(略)すべてを掌握する、強力な中央集権である」と論じており、行政中心アプローチは感染症対策の共通点と言えます。
日本の場合、外出規制などの制限が緩やかであり、新型インフルエンザ等対策特別措置法も都道府県に実効権限を委ねているため、国が前面に出ているわけではありませんが、それでも休業しないパチンコ店の名前公表、越境者に対する任意での体温検査、予算・条例の専決処分など、自治体が公権力を行使する場面が増えています。筆者自身、平時モードの医療政策では関係者の合意形成や地方分権を重視していますが、感染症対策に対処しなければならない現在は「ガバナンスからがガバメントへ」という逆の流れが必要になっているわけです。
では、医療制度改革をどう軌道修正すればいいのでしょうか。以下、「2つの回帰」を踏まえて、「短期的な影響」と、3年程度を見据えた「中長期的な影響」に分けて、地域医療構想の行方を考えます。
6 岩崎正洋(2011)「ガバナンス研究の現在」岩崎正洋編著『ガバナンス論の現在』勁草書房を参照。
7 医師偏在是正については、2020年2~3月の「医師偏在是正に向けた2つの計画はどこまで有効か」(2回シリーズ、リンク先は第1回)を参照。
8 国民健康保険の都道府県化に関しては、2018年4月の拙稿「国保の都道府県化で何が変わるのか」(全3回、リンク先は第1回)を参照。
9 "The Economist"2020年3月28日号に掲載された′Everything's under control′という記事。
10 アルフレッド・クロスビー(2009)『史上最悪のインフルエンザ』西村秀一訳、みすず書房。