(2)製造や研究開発のスマート化
AIが人間の知能を超えるという「シンギュラリティ(Singularity:技術的特異点)」と関連付けて、「AIは大量の雇用を奪う」との見方も根強いが、AIを活用した未来社会がどのようなものになるかを決めるのは、AIではなく、それを開発・進化させる科学者やそれをツールとして社会に実装・活用する経営者など、人間自身であるはずだ。筆者は、AIを単なる人員削減のための道具として使うのではなく、AIが人間に寄り添いサポートする役割やAIにしか出来ない役割をAIに担わせるように、人間自身が強い意思を持って導くことが重要であり、AIの活用によって、人間はより創造的な業務を行ったり、創造的な時間を享受したりすることが在るべき姿だと考える。
製造業の現場でも、人件費削減ありきではなく、人間が分析・判断するには限界があるほどの膨大な工場関連データや研究開発関連データなどを業務に活かすためにこそAIを活用すべきであり、それによって、フィジカル空間では、ビッグデータの分析時間の短縮(ワーカーは浮いた時間を創造的な活動に回せる)、判断ミスの防止、精緻な予知・予測といったアウトカムがもたらされるだろう。
工場のスマート化では、最終フェーズでは、ドイツが目指すインダストリー4.0のように、機械装置に取り付けられたセンサー等で収集したビッグデータを企業間など組織の枠を越えて活用し、複数の企業間で「つながる工場」を実現することが望ましいが、いきなりそこに到達するのはハードルが高いため、まずはフェーズ1として、自社の工場エリア内でのIoT・ビッグデータ・AI活用の取り組みを早急に進めるべきではないだろうか。先進的な大企業の中には、そのような取組を始める事例が出てきている。
東芝では、半導体のNAND 型フラッシュメモリー事業を担う四日市工場において、制御対象の200機種・5,000台の製造装置や検査装置などが出力する1日20億件超のビッグデータをリアルタイムで収集している
26。例えば、欠陥検査工程では、SEM(走査型電子顕微鏡)画像データを1日30万枚取得しているが、これまで人間中心で判定していた分類作業にAIのディープラーニング(深層学習)を2016年春から適用し、自動化率が約30%向上し、分類作業の効率化、属人性を減らし検査品質の安定化に寄与したという。これにより、工程内問題の早期発見と原因特定を行い、歩留まり改善につながったという。
化学大手の三井化学と大手ITベンダーのNTTコミュニケーションズは、ガス製品製造過程において、原料や炉の状態などの51種類のプロセスデータと、ガス製品の品質を示すガス濃度との関係を、AIのディープラーニングを用いてモデル化することにより、プロセスデータ収集時から20分後のガス製品の品質を高精度で予測することに成功したと、16年9月に発表した
27。三井化学は、プラント設備の信頼性向上(安全・安定運転)、運転効率化、プラント保全のスマート化を目指し、IoT、ビッグデータ、AIなどを用いた次世代生産技術の活用検討を進めるという。
以上の2つの事例は、AI活用によりプロセス・イノベーションに取り組む事例だ。
一方、製造現場だけでなく、大手化学メーカーなどが手掛ける高度部材である機能性材料の設計・開発工程といった研究開発業務にも、ビッグデータやAIの活用を取り入れようとする動きが出て来つつある。これは「マテリアルズ・インフォマティクス(materials informatics)」と呼ばれる、最適な材料設計のための新たな方法論であり、科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)によれば、「計算機科学(データ科学、計算科学)と物質・材料の物理的・化学的性質に関する多様で膨大なデータとを駆使して、物質・材料科学の諸問題を解明するための科学技術的手法」と定義される。「従来の機能性材料開発は、これまで蓄積してきた多くの組成、構造、物性データをもとに「勘と経験」に基づく仮説をたてて、それを実験によって検証するといったプロセスを繰り返すことで最適な組成、構造を導き出してきた。そのため多くの試作回数、長い開発期間を要してきた。このような非効率な開発プロセスを刷新し、高速な材料開発基盤技術を構築することが我が国素材産業の提案力の高度化、ひいては産業全体の競争力強化につながる」
28と考えられている。マテリアルズ・インフォマティクスの狙いは、高速な材料設計によるプロセス・イノベーションとともに、新規材料の探索によるプロダクト・イノベーションの創出だ。
本節にて前述の通り、複数の企業間でIoTにより「つながる工場」を実現するのは、ハードルが高いと述べたが、実は、サポーティングインダストリーを担う危機意識の強い一部の中小企業の間では、つながる工場に向けた取組が進展しており、自前主義や守秘義務への意識が強い大企業より進捗しているように思われる。政府も「第4次産業革命を我が国全体に普及させる鍵は、中堅・中小企業である」(日本再興戦略 2016)と考えている。
例えば、東京都江戸川区では、ステンレス加工、溶接、組み立てといった異なる技術を持つ3つの町工場が「つながる町工場プロジェクト」を推進している
29。このプロジェクトでは、インターネットを使った共通のシステムを導入することで、互いの生産工程を一元化し、3つの町工場があたかも1つの工場のように稼働することで、各々の技術を活かした付加価値のある部品を作るのが狙いだ。新たなシステムでは、各工場の作業状況がリアルタイムで見えるため、納期変更に備えた余計な予備日が必要なくなり、これがコストを抑えることにつながるという。また、これまでは大手メーカーの求める製品のみを作ってきたが、プロジェクト効果で捻出された空いた時間で、3社のオリジナル製品の開発も進めているという。
プロセス・イノベーションにとどまらず、プロダクト・イノベーションにもつながり得る取組であると評価できる。本章3節で述べた「サポーティングインダストリーにおける企業間連携」による共同受注・共同開発の体制をさらに進化させた取組と言えよう。
26 東芝の四日市工場に関わる以下の記述は、同社HP「四日市工場のご説明」(2016年12月7日)に拠っている。
27 三井化学、NTTコミュニケーションズの本件に関わるリリース資料(2016年9月15 日)を参照した。
28 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「『マテリアルズ・インフォマティクス等に関する周辺動向調査』に係る公募要領」(2016年6月20日)から引用。
29 つながる町工場プロジェクトに関わる以下の記述は、NHKおはよう日本(2016年10月24日)「ITで激変!中小企業のモノ作り」に拠っている。