ここで1つ質問をしよう。今、あなたはコーヒーを飲みたいとする。そのとき、無名ながら1缶35円の缶コーヒーと、スターバックスのチルドコーヒー(希望小売価格 ¥237)が並んでいたら、どちらを選ぶだろうか。安価で「コーヒーはコーヒー」と割り切って前者を選ぶ人もいれば、ブランドに魅力を感じて後者を選ぶ人もいるだろう。
実際のところ、スターバックスのチルドコーヒーは店頭でバリスタが淹れるコーヒーとは別物である。製造はタカナシ乳業、総発売元はサントリー食品インターナショナルが担っている
2。しかし、この事実を意識している消費者は多くない。重要なのは、中身そのものではなく「スターバックス」というブランドが保証する価値である。消費者がお金を払っている対象は単なる飲料ではなく、「スターバックス」という名称やロゴが保証するブランド価値そのものなのだ。だからこそ、この思考で商品が選択される場合、タカナシ乳業が販売する別のコーヒーでは、スターバックスのチルドコーヒーの代替にはならないのである。
同じ「コーヒー」という飲料を選ぶにしても、その背景には次のような要因が複雑に絡み合っている。
・味
・購入経路の利便性
・価格
・企業や製造元を知っているかどうか
・ブランドや企業への信頼
・商品自体のイメージ
・パッケージのデザインや印象
・購入・消費することで付与される消費者自身のイメージ
こうした要素が重なり合い、最終的な消費の選択(意思決定)が形づくられる。つまり、消費とは単なる商品そのものを選ぶ行為ではなく、そこに付随する意味や価値、象徴をも選び取る行為なのである。そして、その結果得られる満足や失望は、すべて自らの選択に帰属する。他人のせいにも、環境のせいにもできない。消費とは最終的には常に、自らが背負うべき責任そのものなのである
3。
では、それぞれの要素における選択される要因について考えてみよう。まず、味については言うまでもなく、おいしいものを選びたいという志向が働く。合理的に考えれば、まずいものをあえて選ぶ人はまずいない
4。
次に、購入経路の利便性である。スーパーの方が価格が安い場合が多いにもかかわらず、コンビニでコーヒーを買うことがある。これは、コンビニが身近にあって店を探す手間が省けたり、弁当を買うついでに一緒に購入できたりするからである。比較的新商品の流通が速いことや、一過性で販売されるような商品との出会いを求めてコンビニを選好するものもいるだろう。また、「より冷えているものが欲しい」という動機から、割高でも自動販売機を選ぶこともある。極端な例として、富士登山の途中で出会う自動販売機の飲料は非常に高価だが、その場所に運ばれるコストや他に代替手段がないことから、その価格はむしろ正当なものとして受け入れられる。このように、いつ・どこで・どのようなタイミングで購入するかが選択に大きく影響を及ぼす。
価格については、合理的に考えれば安い方が優先されるのが一般的である。しかし、逆に「高いこと」そのものに価値が見いだされる場合もある。高価格は品質の高さや希少性の象徴となり、それを選ぶことで自己満足や社会的評価を得られることがあるからだ。
企業や製造元の認知、そしてブランドや企業への信頼も重要である。消費者は「失敗したくない」という心理に従い、知っているブランドを選択する傾向が強い。情報の多いものは安心感を与えるためだ。旅行者が知らない土地でマクドナルドの看板を見つけてほっとする感覚が、その典型例といえる。ブランドを知っていること、そこに好印象や信頼を持っていることが、選択を後押しする。
商品に付随するイメージもまた、消費者の選択に大きな影響を与える。ある商品がどの層に支持され、どのような広告やプロモーションでターゲティングされているかによって、その商品自体に想定される消費者のペルソナやステータスが付与される。そして消費者は、そのイメージを自分自身と重ね合わせることで、自らの価値観やアイデンティティを表現する手段として商品を選択する。一方で、そのイメージが自らの理想像と乖離していると感じた場合、それは「選ばない理由」として働くこともある。
同様に、パッケージデザインも選択を左右する要因である。たとえば、ファミリーマートが販売する「生チョコを凍らせたようなアイス」は、かつて「もはや生チョコ」と大きく強調したキャッチコピーでポップさと勢いを前面に出し、カジュアルな印象を与えていた。しかし現在のパッケージは、青のグラデーションにゴールドのフォークを添えた落ち着いたデザインに刷新され、高級感や安心感を打ち出すことで「大人のスイーツ」として好評を得ている。
さらに、商品を所有することで付与されるイメージも消費選択に影響する。ベンツを所有していれば「富裕層」と見なされ、無印良品を好む人は「丁寧な暮らし」をしている、といった具合に、ブランドや商品は消費者自身に社会的な意味を付与する。これは単なる機能的価値を超えて、消費者が「どう見られたいか」「どう演出したいか」に直結するものである。たとえば、表参道を缶コーヒー片手に歩くのと、スターバックスのタンブラーを持って歩くのとでは、他人の視線や自己演出としての意味が大きく異なる。この現象は、筆者が以前のレポートで触れたプロップス消費の一端でもある。
このように、消費の選択・非選択は、味や価格といった実利的な要因だけでなく、商品に付随するイメージ、デザイン、さらには他者や社会から付与される意味にまで左右されているのである。
2 「スターバックス コーポレーション、サントリー 日本におけるRTDコーヒー製品の事業展開について業務提携を締結― 年内にチルドカップコーヒーを発売予定」2005/05/31 https://www.starbucks.co.jp/press_release/pr2005-302.php?srsltid=AfmBOop0rDx3_jXiCGvjz8sIwZJLFZ2rs0FQEjUF1HwPPUns15oKGlIA (2025年9月24日閲覧)
3 たとえば、子どもがお菓子を欲しがり親に買ってもらい、それを食べて「まずい」と感じたとしよう。金を払ったのは親だから一見すると責任は親が負っているように見える。しかし「食べて不満足だった」という事実は消費した本人の体験であり、逃れようのない選択の結果である。そして、もし親がまずかったことを理由で代わりのお菓子を買ってくれなかったとすれば、子どもはなおさら自らの選択の結果に責任を負うことになる。満足であれ不満足であれ、消費の帰結は最終的に選んだ本人に突き返されるのだ。
4 間々田孝夫の「消費三相理論」における第二の消費文化の第2原則は「非機能的な消費行為または非慣習的な消費行為を自己目的的に追求する」とある。合理的効用の欠如を、逆に文化的・社会的な意味に変換して楽しむ消費形態とも言える。現代消費社会においては「まずい」ということが分かっていながらもその「非合理性」楽しむような消費も行われるため、怖いもの見たさで消費されることもある。
4――如何にして消費者に選択してもらうか