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コラム

「最低賃金上昇×中小企業=成長の好循環」となるか?-中小企業に託す賃上げと成長の好循環の行方

2025年09月17日

(新美 隆宏) 成長戦略・地方創生

石破政権が取り纏めた「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2025年改訂版(新しい資本主義実行計画)」や「経済財政運営と改革の基本方針2025(骨太の方針)」では、「賃上げは成長戦略の要」と位置付けており、これは新政権になっても変わらないだろう。特に最低賃金については、「2020年代に全国平均1,500円」との高い目標を掲げている。このような中、本年8月4日に開催された厚生労働省の中央最低賃金審議会において、今年度の地域別最低賃金額改定の目安についての答申が出された。各都道府県の引き上げ額の目安は63~64円で、全ての都道府県で最低賃金は1,000円を超え、全国平均は1,118円となった。

賃上げが成長戦略に繋がるためには、プラスの実質賃金が定着し、下図のような好循環が生じる必要がある(図表1)。中小企業白書1によると、日本の企業数の99.7%、従業員数の69.7%は中小企業となっており、このような好循環を持続するためには、中小企業における賃上げとこれを継続可能とする安定的な利益の確保が必要である。

そこで本稿では、中小企業の賃上げと価格転嫁の状況の確認・分析、および価格転嫁における企業規模(大企業を中小企業)の比較を行い、賃上げと成長の好循環の実現可能性と課題について考える。
最初に、最低賃金の引き上げ状況について確認したい。本年8月4日の中央最低賃金審議会の答申を踏まえ、次のステップとして各都道府県の審議会による答申が出された。人材確保のために近隣県の水準を踏まえて検討したことなどにより、39道府県で中央最低賃金審議会の答申(63~64円)を上回る水準となり、全国平均は66円引き上げの1,121円となった(図表2)。引き上げ幅が最も大きいのは熊本県で82円の引き上げの1,034円となった。引き上げ額が大きいため、6県は準備期間を確保するために発効日を2026年としている。このように、最低賃金の引き上げは政府が目指す方向に進んでいるものの、中小企業にとっては負担増となるため、影響を懸念する声2もある。
各企業にとってコスト上昇要因となっているのは、賃金などの労務費だけではなく、原材料費やエネルギー費の上昇の影響も受けている。そこで、中小企業におけるこれらの価格転嫁の状況を確認する(図表3)。

2022年3月と2025年3月を比べると、価格転嫁率の平均は41.7%から52.4%に上昇、「転嫁率10割・転嫁不要」の割合は28.6%から41.1%に上昇しており、価格転嫁が進んでいることが分かる。一方、「価格転嫁率がゼロ・マイナス」の割合は22.6%から13.4%と低下しているものの、価格転嫁ができていない割合が一定水準あるため、価格転嫁対策の継続が必要である。
中小企業と大企業では、賃上げが利益に及ぼす影響への対応余力や価格転嫁するための交渉力などには差があると思われる。上述の中小企業庁の資料は、調査対象が中小企業に限られているため、大企業と中小企業の双方が調査対象となっている日本銀行の全国企業短期経済観測調査(短観)を用いて、両者の差異などの分析を試みる。

販売価格は、原材料費(仕入価格)、労務費(雇用状況)、需給による影響を受けると考えられるため、短観の各種判断(DI3)のうち、これらに関連する「販売価格判断(販売価格DI)4」、「仕入価格判断(仕入価格DI)4」、「雇用人員判断(雇用人員DI)5」、「国内での製商品・サービス需給DI(需給DI)6」の4データを用いる。なおDIは、価格の上昇率などの実数ではなく、上昇・下落や過不足などの状況や変化の方向性を示すものである点には留意が必要である。
 
1 中小企業庁「中小企業白書 2025年版」
2 日本商工会議所 小林会頭のコメント(一部抜粋)「物価や賃金の上昇が続く中、最低賃金の引上げ自体には異論はない
が、問題はその引上げ幅とスピードである。今回の結果は、公労使で議論を尽くし、法定三要素のうち賃金・物価の大幅な上昇を反映したものだが、地方・小規模事業者を含む企業の支払い能力を踏まえれば、極めて厳しい結果と言わざるを得ない。」
3 DI(Diffusion Index)調査結果を分かりやすく表す一般的な指標のひとつ。上昇・下落などの異なる方向感を持った回答の選択肢がある場合に、それぞれの回答構成比を差し引いて算出して変化の方向性を示す。
4 「上昇」との回答会社構成比-「下落」との回答会社構成比。プラスであれば価格上昇、マイナスは価格下落。
例えば、販売価格が上昇しているのと回答会社構成比が40%、下落が10%の場合は、DIは30(=40-10)となる。
5 「過剰」との回答会社構成比-「不足」との回答会社構成比。プラスであれば人員過剰、マイナスは人手不足
6 「需要超過」との回答会社構成比-「供給超過」との回答会社構成比。プラスであれが重要超過、マイナスは需要不足

<販売価格DIとその他DIの関係について>

販売価格DIと、仕入価格DI、雇用人員DI、需給DIそれぞれとの関係について、製造業・非製造業の別、企業規模別に確認する。なお、分析は4DIのデータを取得できる1990年12年~2025年6月の期間で行った。
(1)販売価格DIと仕入価格DIの関係(図表4-1、4-2、4-3、4-4)
製造業、非製造業ともに販売価格DIと仕入価格DIの相関7(関係性)は高く、仕入価格と販売価格の動きは似ていることが分かる。但し、両者の水準は異なるため、差をとることにより販売価格と仕入価格の関係を表す「ビジネス環境(仕入価格DI)8」との指数を作成する。これは、製造業、非製造業ともにマイナスの期間がほとんどであり、仕入価格の上昇による影響の販売価格への転嫁は十分ではなかったと思われる。また、ビジネス環境(仕入価格DI)のマイナス幅は、大企業より中小企業の方が大きいため、中小企業の方が仕入価格の上昇を販売価格に反映できない厳しい状況であったと推察できる。
 
7 相関は、2つの変数の関係性を表しており相関係数により定量化する。相関係数は+1~-1の値をとり、+1は両者の関係性は高く、-1は負(逆)の関係性(例えば、プラスとマイナスの関係など)が高い、関係性が無い場合は0(ゼロ)となる。
8 ビジネス環境(仕入価格DI)=販売価格DI-仕入価格DI。マイナスの場合は、販売価格DIより仕入価格DIが高く、厳しいビジネス環境である可能性を表している。

総合政策研究部   上席研究員

新美 隆宏(にいみ たかひろ)

研究領域:

研究・専門分野
金融・経済政策、企業年金、資産運用・リスク管理

経歴

【職歴】
 1991年 日本生命保険相互会社入社
 1991年 ニッセイ基礎研究所
 1998年 日本生命 資金証券部、運用リスク管理室
 2006年 ニッセイ同和損害保険(現 あいおいニッセイ同和損害保険)
 2011年 ニッセイ基礎研究所
 2015年 日本生命 特別勘定運用部、団体年金部
 2025年 ニッセイ基礎研究所(現職)

【加入団体等】
・日本証券アナリスト協会 認定アナリスト

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