日本国債市場は市場機能を回復したか-金融正常化における価格発見機能の構造変化

2025年04月21日

(福本 勇樹) 金利・債券

1――はじめに

2024年3月、日本銀行は長年にわたって実施してきた「長短金利操作付き量的・質的金融緩和政策(以下、YCC)」を正式に解除し、日本の金融政策は大きな転換点を迎えた。YCCは2016年9月に導入され、特に10年国債利回りをゼロ%程度に維持することを目的としていたが、2022年末以降、その柔軟化が段階的に進められ、2024年3月の政策転換によって形式的にも終了を迎えることとなった。
政策の転換はこれにとどまらず、2024年7月には政策金利の引き上げ(0~0.1%→0.25%)と同時に、国債買入額の減額(月額6兆円程度→3兆円程度)が決定された。さらに2025年1月には、2回目の利上げ(0.25%→0.50%)が行われており、日銀の金融政策は正常化のフェーズへとシフトしている。そして、2025年6月には、国債買入れの方針に関する中間的な評価が日銀によって行われる予定である。こうした一連の動きは、異次元緩和とされる政策が終焉を迎え、量・価格の両面で市場の自由な価格形成を促す方向に舵が切られたことを意味している。

こうした政策的変化を受けて、注目されるのは、「日本国債市場は、本来あるべき市場機能を取り戻したのか」という問題である。異次元金融緩和において、日本国債市場は日本銀行による大量の買入れと金利の誘導目標により、需給構造や価格形成が大きく制約された状態にあった。そのような状況下では、市場参加者によるファンダメンタルズに基づく期待形成や裁定的行動が抑制され、情報の価格への反映が阻害される構造にあったといえる。

本稿では、このような制約状況が2022年末以降の政策転換によってどの程度緩和され、日本国債市場が再び自律的に価格形成を行う機能を取り戻しつつあるのかを、定量的に分析することを目的とする。とりわけ、円スワップ市場との比較を通じて、日本国債市場の「価格発見機能」がどのように変化してきたのかを測定・評価することで、2025年6月に予定されている中間評価に向けた実証的な知見を提示したい。

価格発見機能とは、経済環境や市場参加者の期待が、速やかに価格に織り込まれていく市場の能力である。市場機能という概念は本来、価格発見に加えて、流動性や透明性、裁定機能など多面的な構成要素から成るが、本稿ではその中核的な側面である「価格発見機能」に焦点を当て、分析の軸とする。ただし、価格発見は流動性や需給と密接に関連しており、価格発見機能が阻害されている背景には、流動性の低下がその要因となっている場合も少なくない。したがって、本稿では必要に応じて、価格発見機能の変動と流動性制約との接点についても言及していく。

具体的な分析手法としては、円スワップ市場と日本国債市場の金利差である「スワップスプレッド」を対象に「Information Share(IS:情報シェア)」と呼ばれる統計的手法を用いる。ISは、本来価格が裁定によって均衡するはずの複数の市場において、それぞれが価格形成にどれだけ寄与しているかを測定する指標である。理論的には、自由度の高い市場において価格が均衡していればISは50%に近づくため、この考え方を一つの基準として、政策転換の前後でISの数値がどのように変化してきたのかを観察し、日本国債市場の市場機能の回復度合いについて評価する。

分析の対象期間は、2022年12月にYCCの柔軟化が開始された時点から、2025年初頭までの約2年半であり、複数の政策転換点を含む。この期間中に円スワップ市場と日本国債市場の価格形成の主導性がどのように移り変わったのかを可視化することは、今後の政策運営にとっても有意義な示唆を与えるものと考えられる。

2――スワップスプレッドの構造的理解と政策変更に対する反応

2――スワップスプレッドの構造的理解と政策変更に対する反応

日本銀行が2016年9月に導入したYCCは、日本国債市場における価格形成メカニズムに大きな影響を及ぼした。とくに10年国債利回りをゼロ%程度に誘導するという政策方針のもとで、日本国債市場は実質的に日本銀行の買入れによって価格がおおよそ固定され、需給や将来見通しに基づく自由な価格調整プロセスは著しく制限されることとなった。こうした政策運営は、日本国債市場の「価格発見機能」を大幅に制約するものであり、民間投資家による期待形成や裁定行動を難しくしていた。

このような構造的な制約の存在は、日本国債市場単体の動きだけでは捉えにくい。しかし、より市場性の高い金利指標と比較することで、歪みの程度を間接的に観察することが可能となる。典型的には、円スワップ市場との比較が有効である。円スワップ市場では、信用リスクや決済リスクが中央清算機関(CCP)を介した担保付き取引によって大きく低減されており、加えて、取引の自由度が高く、金利上昇・低下のいずれの方向に対してもポジションを取りやすいという特徴がある。

一方、日本国債市場では取引にあたって現物の受渡しが必要であり、流通在庫や貸借市場の制約から、ショートポジションの構築には一定のハードルがある。加えて、日銀による大量保有が市場流動性に及ぼす影響も無視できず、とりわけ1年以上10年未満のゾーンでは、2025年3月末時点で日本銀行が固定利付国債の発行残高の6割以上を保有している状況にある。こうした制度的背景を踏まえれば、日本国債市場と円スワップ市場が必ずしも同等の市場機能を持っているわけではない。

これら二つの市場の乖離を視覚的に捉えるための代表的な指標が、スワップスプレッドである。図表2はスワップスプレッド(10年)の推移を示したものである。スワップスプレッドとは、同一満期(たとえば10年)のスワップレートと国債利回りとの差(=スワップレート − 国債利回り)ことを指す。円スワップ取引とは、一定期間の無担保コールレート(オーバーナイト物)と固定金利を交換する取引で、日本銀行の金融政策において無担保コールレート(オーバーナイト物)は政策金利としての役割を持っており、先に触れたように信用リスクなどのリスクプレミアムも十分小さい。そのため、スワップレートも国債利回りも、いずれも無リスク金利としての役割や性格を持ち、スワップスプレッドはゼロ%近辺を推移することが期待されるものである。
さらに、スワップスプレッドの水準が大きくゼロから乖離する方向に偏っていた場合は、両市場間の裁定関係を前提として、運用利回りの向上やリスクヘッジ目的によるアセットスワップ取引を通じて、スワップスプレッドが調整される市場構造も存在している。例えば、スワップスプレッドが過度にマイナスとなった場合には、利回りが高い日本国債を買って、円スワップでより低い固定金利を支払うことで利ザヤが得られる。このような取引が一定程度存在する限り、スワップスプレッドは長期的には平均回帰性を持ち、極端な乖離に対しては修正される傾向をもつということである。

したがって、スワップスプレッドを観察する意義は、「金利水準の乖離を見る」ことだけではなく、その背景にある裁定機能や価格調整メカニズムの働き具合を間接的に評価するという点にある。とりわけ、政策変更の前後におけるスプレッドの水準変化、またその回帰スピードを確認することは、日本国債市場が市場原理を取り戻しつつあるかどうかの重要な手がかりを与える。

しかしながら、データを見ると、YCC導入以降は2022年3月くらいまで±0.1%の間を推移していたが、一時0.5%程度まで拡大する局面があった。しかも、2022年12月末のYCCの柔軟化が実施されるまでスワップスプレッドの乖離が修正されることはなかった。これは、海外においてインフレへの対応を企図した利上げが行われる中で日本銀行は従来の政策継続していたためで、円スワップ市場が早々に日本銀行の金融政策の修正を織り込んでいたためだと考えられる。YCCの導入によって、日本国債市場は「価格が動かない」状態にあった中で、スワップ市場が実質的に将来の金利見通しを反映する唯一の場として機能していた象徴的な時期と言える。

逆に2025年1月に実施された利上げ以降、スワップスプレッドが▲0.1%を下回る水準までマイナス方向に乖離するようになっている。この期間は10年金利が上昇局面にある中で、スワップレート(10年)よりも日本国債利回り(10年)の方が上昇の勢いが強いことを意味しており、何らかの市場機能が十分に働いていない可能性を示唆している。

本章では、こうしたスワップスプレッドの構造的理解と政策反応を整理したうえで、次章からの定量分析では、「この裁定の働きやすさ」をより厳密に捉えるための指標としてInformation Share(IS)を導入し、円スワップ市場と日本国債市場の価格発見能力の分担状況を明らかにしていく。

3――Information Shareの理論と手法

3――Information Shareの理論と手法

日本国債市場における市場機能、すなわち価格が自律的に形成される能力を評価するためには、単なる金利の水準や変化だけでなく、「市場がどれだけ情報を取り込んで価格に反映できているか」を測定する指標が必要となる。本章では、そのような目的のために用いられる統計的手法であるInformation Share(以下、IS)について、その理論的背景と本稿が採用した考え方について説明する。

ISは、もともとHasbrouck[1995]1によって開発されたものであり、複数の市場で同一資産が取引されているときに、「どちらの市場がより価格変動を主導しているか(=情報を価格に反映する力が強いか)」を数値化することを目的としている。たとえば、同一の金融商品が別々の市場で取引されているとき、価格変動がどちらの市場で先に起きるかを観察することで、価格発見(price discovery)の主導権を把握できる。ISは、この「情報の反映速度や影響度」を、分散の分担という形で定量的に評価するものである。

この手法は、円スワップ市場と日本国債市場という、円金利に関する二つの異なる市場の比較においても応用可能である。たとえば、何かしらの経済指標が公表された直後に円スワップ市場が即座に反応し、金利水準が変動した場合、その水準変更が日本国債市場よりも早ければ、円スワップ市場が情報を先に織り込んだ、すなわち「価格発見において主導的な市場である」と判断できる。逆に、日本国債市場の方が先に反応していれば、日本国債市場のISが高く評価される。

ISの値は0%から100%の間で変動し、それぞれの市場が「価格変動(=ショック)」をどの程度説明しているかを示す。たとえば「円スワップ市場60%、日本国債市場40%」という結果が得られた場合、統計的に見てスワップ市場の方が価格形成により大きく関与していると解釈される。理論的には、効率的な市場において情報が同等に織り込まれ、同等に価格変動している状況にあれば、ISは50%:50%に近づく。このため、本稿では「50%近辺=市場機能がバランスよく働いている状態」と解釈し、そこからの乖離の大小をもって、市場構造の偏りを評価する。

ただし、ここで重要な前提がある。Hasbrouck[1995]によるISの理論的枠組みは、本来「自由市場で、価格が均衡に向かって調整される」という仮定を置いて構築されているものである。つまり、十分な流動性と裁定機会が存在し、すべての参加者が情報を正確に把握し、合理的に取引していることが前提とされている。しかし、実際の日本国債市場では、少なくとも2022年12月のYCC柔軟化までは日銀の大規模な保有と買入れによって、そのような自由市場の条件が長らく満たされてこなかったと考えられる。

この点を踏まえ、本稿ではISを本来の意味から一部「再解釈」し、次のように位置付けることとした。そのような自由市場の条件が満たされていない状況では、ISは「価格発見機能の主導度合い」という本来の意味に加えて、「構造的制約下での情報反映力の偏り」を観測するための手段として再解釈する余地がある、と考える。すなわち、ISは、理論的には価格発見機能の主導度合いを測る道具であるが、現実の制度的制約や流動性の歪みが存在する場合には、それら構造的要因による「情報反映力の非対称性」を可視化するための間接的な観測指標としても使えるという立場をとる。したがって、ISが円スワップ市場に極端に偏っていれば、「日本国債市場の情報反映能力や価格発見能力が抑制されている」状況にあると解釈できるし、逆にISが50%のバランスに近づけば、「両市場の価格発見機能が均衡しつつある」状況にあると見なすことができる。

このようなISの活用は、理論の厳密な応用というよりも、「制度的歪みをどこまで市場が克服しつつあるかを定量的に確認する」ことを目的とした実務的アプローチと言える。特に日本国債市場のように、まだまだ日本銀行の関与が強い市場を対象に分析する際には、従来の理論だけでは捉えきれない問題が存在する。そのため、ISの計算式がもつ「ショック分散の分担比率」という中立的な構造を踏まえたうえで、その結果に対する解釈は、制度や政策の文脈を加味して慎重に行う必要がある。なお、ISの実際の算出にかかる統計モデルの詳細な内容については補論で取り扱う。

次章では、実際にこの手法を用いて、円スワップ市場と日本国債市場が政策変更の局面でどのように情報反映や価格発見にかかる機能を分担してきたのか、ISの推移を計測し、分析を試みる。
 
1 Hasbrouck, J. (1995). "One security, many markets: Determining the contributions to price discovery." Journal of Finance, 50(4), 1175–1199.

金融研究部   金融調査室長・年金総合リサーチセンター兼任

福本 勇樹(ふくもと ゆうき)

研究領域:

研究・専門分野
金融・決済・価格評価

経歴

【職歴】
 2005年4月 住友信託銀行株式会社(現 三井住友信託銀行株式会社)入社
 2014年9月 株式会社ニッセイ基礎研究所 入社
 2021年7月より現職

【加入団体等】
 ・日本証券アナリスト協会検定会員
 ・経済産業省「キャッシュレスの普及加速に向けた基盤強化事業」における検討会委員(2022年)
 ・経済産業省 割賦販売小委員会委員(産業構造審議会臨時委員)(2023年)

【著書】
 成城大学経済研究所 研究報告No.88
 『日本のキャッシュレス化の進展状況と金融リテラシーの影響』
  著者:ニッセイ基礎研究所 福本勇樹
  出版社:成城大学経済研究所
  発行年月:2020年02月

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