トランプ2.0とEU-促されるのはEUの分裂か結束か?-

2025年01月17日

(伊藤 さゆり) 欧州経済

5税制改革
税制面では、減税・雇用法(TCJA)の2025年末期限の時限措置の延長。国内製造業企業の法人税率の引き下げ(21%→15%)などの減税の方針が打ち出されている。

トランプ2.0で予想される政策のうち、通商政策と後述の移民政策はGDPを押し下げ、インフレを押し下げる効果を持つが、税制改革はGDPとインフレをともに押し上げる効果がある。

米国独り勝ちの様相が一段と強まっているが、減税によるGDPの押し上げ効果で、米欧間の成長格差が一段と拡大するおそれがある(前掲図表1)。

他方、インフレの押し上げで、米国のインフレ再燃(図表6−左)、金利高止まりにより、ドル高ユーロ安が進み、欧州におけるインフレ目標収束が妨げられ、利下げを阻み(図表6−右)、景気回復のシナリオを狂わせる可能性がある。
6移民
移民政策はトランプ1.0に続きトランプ2.0でも看板政策である。国境封鎖と移民流入の阻止、さらに数百万人単位での不法移民の強制送還を行うとしている。次期大統領が就任初日に課すとしたメキシコ、カナダへの25%関税は、違法薬物とともに移民の流入への対応を促すことを名目とする。

米国の労働市場は、2022~23年の大幅な利上げにも関わらず、堅調に推移してきた。12月の雇用統計も、非農業部門雇用者数は25.6万人増と市場予想を上回り、失業率は前月の4.2%から4.1%と低下、追加利下げ観測が大きく後退した。

移民対策の強化は、労働供給の減少を通じて米国のGDPを下押しし、労働需給ひっ迫による賃上げ圧力からインフレ率を押し上げる要因となり得る。欧州は、米国の需要鈍化に加えて、ECBの利下げがユーロ安を招くことによる輸入インフレ圧力に直面するおそれがある。

欧州でも不法移民の流入阻止に加えて、難民として認定が受けられなかった移民の送還などの対策の強化が政治的な課題となっている。米国における移民対策の強化は、欧州における対策の一層の強化を求める政治的圧力の増大につながる可能性がある。

前掲図表4のIMFの試算は、移民制限については米国だけでなく欧州も実施する想定で行われている。欧州でもベビーブーマー世代の引退などから働き手の不足が問題となっており、成長を下押しする要因となる。

3――VDL2.0のEU

3――VDL2.0のEU

1VDL2.0のEUの指針
24年12月1日に本格始動したVDL2.0のEUは、トランプ2.0の政策に受動的に対応するだけでなく、脱炭素化と競争力強化の両立と防衛・安全保障面での自立性の向上を能動的に推し進めようとしている。

VDL2.0の欧州委員会の体制20も、執行副委員長として、脱炭素化・循環型経済への移行と競争政策統括 (スペイン/テレサ・リベラ氏)、産業政策統括(フランス/ステファン・セジュルネ氏)、技術主権・安全保障・民主主義統括(フィンランド/ヘンナ・ビルックネン氏)、外務・安全保障政策上級代表(エストニア/カヤ・カッラス氏)を配し、防衛・宇宙担当委員(リトアニア/アンドリウス・クビリウス氏)ポストを新設するなど2つの優先課題に取り組む意欲が伺われる。経済・生産性担当委員(ラトビア/バルディス・ドムブロフスキス氏)には、規制実施・簡素化も割り当てられており、委員長が直轄する。EUの競争力を阻害する要因として過剰規制・官僚主義の見直しが課題とされているためである。

VDL2.0の本格始動にあたり、欧州委は近く、政策指針となる「競争力コンパス」と「欧州の防衛の未来に関する白書」を提示する(図表7)。

うち、「競争力コンパス」は、24年に公表された単一市場の統合深化に関するイタリアのレッタ元首相の報告書(4月公表)21、競争力強化に関するECBのドラギ前総裁による報告書(9月公表)22の提言を叩き台とする。米中とのイノベーション格差の是正、脱炭素化と競争力のための共同計画「クリーン産業ディール」、経済安全保障の強化が3本の矢を構成する。これらの実現には、EUが国境を超えた貿易や投資を妨げる障壁をさらに削減し、産業政策やエネルギー政策での連携の強化、戦略的な分野での共同行動など単一市場としての完成度を高める取り組みが必要になる23

「欧州の防衛の未来に関する白書」では、防衛費の増額のほか、防衛の単一市場、防衛産業の基盤強化、軍の機動性向上、防衛に関する欧州共通プロジェクトなどを盛り込む方向が明らかにされている。加盟国が権限を有する防衛・安全保障の領域で共同歩調をとる力が問われることになる。
EUがこれらの目標を達成するためには、ドラギ報告書に示された試算では2030年までに7500~8000億ユーロにも上る膨大な投資が必要となる(図表8)。IMFは前掲図表4の試算と合わせて、ユーロ圏が公共投資を増やした場合、中国が社会的セーフティーネットの強化に取り組んだ場合、つまりそれぞれの構造問題に取り組んだ場合には、世界経済にとってもユーロ圏にとってもリスク要因の影響を補ってあまりあるだけのプラスの効果が得られることを明らかにしている(図表9)。

膨大な投資資金のファイナンスのため、域内の貯蓄を投資に向かわせるような金融・資本市場の整備が改めて必要とされている。

単一市場を連結するエネルギー・インフラの強化や防衛の共通プロジェクトなどを推進するための共通財源づくりも課題となる。
 
20 European Commission, College of Commissioners
21 Enrico Letta "Much more than a market, Speed, Security, Solidarity" April 2024
22 The future of European competitiveness: Report by Mario Draghi
23 IMFは単一市場内には関税に換算すると製造業で44%相当、サービス業で110%相当の障壁があるとしており、EU圏内の規制等の調和の潜在的な経済効果は大きい。

経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり(いとう さゆり)

研究領域:経済

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴

・ 1987年 日本興業銀行入行
・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
・ 2023年7月から現職

・ 2015~2024年度 早稲田大学商学学術院非常勤講師
・ 2017年度~ 日本EU学会理事
・ 2017~2024年度 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
           「欧州政策パネル」メンバー
・ 2022~2024年度 Discuss Japan編集委員
・ 2022年5月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員
・ 2024年10月~ 雑誌『外交』編集委員
・ 2025年5月~ 経団連総合政策研究所特任研究主幹

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