税負担が生じる年収基準「103万円の壁」の改正を巡り、国会の内外で議論が加熱している。自民、公明、国民民主3党の協議に従って、石破総理が2025年度税制改正で引き上げを明言しているのに対し、国会では、立憲民主党が、社会保険の保険料負担が生じる「106万円の壁」や「130万円の壁」の方が影響が大きいと主張して、社会保険での新たな対策を求めている
1。一方、全国の知事や市町村長たちは、巨額の税収減が生じるとして、大きく反発している。報道では、国と地方の税収減に関するニュースが目立っている。
「103万円の壁」の引き上げは、立場によって影響が異なるため、賛否両論が出るのは当然だが、現在のように議論が紛糾している要因の一つは、この法改正をそもそも誰のため、何のためにするのか、政府与党が明確にしていないからではないだろうか。「年収の壁」を意識して就業調整する主婦たちの働く時間を増やし、人手不足を緩和したり、女性の所得を向上したりするためなのか。あるいは、国民の手取りを増やすことで個人消費を上向かせるためなのか。はたまた、低所得世帯に最低限の生活を保障するためなのか――。11月末に石破総理が国会で行った所信表明演説でも、終盤で「2025年度税制改正の中で議論し引き上げる」と法改正を明言したものの、その狙いについては述べられていない
2。「壁」を動かせば、メリットもデメリットも生じるであろうが、目的と優先順位がはっきりしないために、巨額の税収減という目前の危機に対する関心が、日に日に高まっているようにも映る。
そこで、「年収の壁」の引き上げの目的が、女性の就労時間を増やすことだと仮定して、本稿ではその効果について、筆者の考えを述べたい。結論から言うと、「年収の壁」は女性の就労を妨げる壁の一つだと考えられるが、壁はそれだけではない。もっと大きな壁、根本的要因は、男女役割分業にあると筆者は考えている。従って、女性の就労時間を増やそうとするなら、年収の壁をスライドするだけでは効果は限られるのであり、男女役割分業の見直しを社会全体で進めなければ、根本的な解決にはならないだろう。
確かに、税負担が生じる年収基準を103万円から、国民民主党が主張する178万円まで引き上げれば、一部の主婦は、次の壁である「106万円」や「130万円」の年収に接近するまで、働く時間を増やすと予想される。社会保険の壁と違って、年収が「103万円」を超えても手取りの逆転現象は起きないので、理屈の上では「103万円の壁」はないはずだが、東京大学の近藤絢子教授らの調査によって、既婚女性の給与年収は「103万円」や「130万円」の目前の階級に突出して多く分布していることが判明した
3。これには、夫の勤務先で配偶者手当等が支給される条件と関係している可能性もある。いずれにせよ、一部の既婚女性たちが「103万円の壁」や「130万円の壁」を意識して就業調整していることは明らかである
4。
しかし、上述したように、これよりも大きな主婦の就労の「壁」は、男女役割分業にある。つまりに、家事育児などの負担が夫婦のうち妻に偏っていることが、妻が職場で就労時間を増やす障壁になっていると考えられる。
連合が2022年、非正規雇用で働く女性を対象に行ったインターネット調査によると、有配偶女性(n=500)では、「今の就業形態を選んだ理由」(複数回答)という問いに対し、「就業調整(年収や労働時間の調整)をしたいから」という回答は5位で、15.8%だった(図表1)。それに比べて、2位の「家事に時間が必要だから」は33.8%、4位の「育児や介護に時間が必要だから」は24%と、より割合が大きかった。また3位の「通勤時間が短いから」(30.2%)という回答も、家庭の仕事との調整という意味合いが含まれると考えられる。つまり、主婦の働き方に対しては、家事育児や介護という家庭の仕事の制約の方が、就業調整という制約よりも大きいと言える。