ただ、これらファンタジー系アニメに精通している消費者にしてみると、この「トキメクおやつ部」の商品ラインナップから、その記号が持つコンテクストを抽出、自己解釈をして消費を楽しむ要素として昇華させることができる。例えば批評家の東浩紀が提唱する「データベース消費」
13の様相である。データベース消費とは、物語そのものではなく、その構成要素が消費の対象となるようなコンテンツの受容のされ方を指す。キャラクターを構成する目、耳、髪型、声、服などの様々な断片なパーツから意味を見出し、その要素を消費すると言ってもいいだろう。パッケージに描かれている戦士なら戦士、魔導士なら魔導士と認識できる要素そのものからポジティブな印象を受ければ、描かれているイラストそのものが商品を選好する理由となる。
「夢見る見習い剣士チョコ」という商品名なのに剣士が描かれていなかったり、自分がイメージする剣士でなかったら、いくら「剣士」というネーミング(記号)やシニフィアンがその商品に宛がわれていたとしても「どこら辺が剣士なのか」という解釈の不一致が生まれてしまう。剣士という言葉を使うにあたって、その言葉から消費者間で共有しているコンテクスト=要素(パーツ)をデータベースとして引き出し、それをブリコラージュ
14することでシミュラークルとしての「剣士」を成立させているのである。消費者側もそのブリコラージュ=要素の集合体としての剣士を、剣士と認識することで初めてこの商品のコンセプトに乗っかることができる訳である。
一方で評論家の大塚英志が提唱する「物語消費論」
15の様相も伺える。大塚の言う物語消費とはビックリマンシールやシルバニアファミリーのように、それら商品そのものが消費されるのではなく、それを通じて背後にある「大きな物語や世界観」が消費される消費形態のことである。確かに剣士チョコや戦士グミに描かれているイラスト自体はストーリー(元ネタ)から生み出されたキャラクターではなく、商品名に剣士や戦士というキーワードを名称として宛がう際に必要となった要素であり、前述したデータベース消費の側面を擁しているが、「トキメクおやつ部」は、公式サイト等で実際にそのストーリーが紹介されているわけではないため厳密に言えば物語があるわけではないにもかかわらず、そのシリーズが明らかにファンタジー系アニメというコンセプトの基に展開されており、大概同じ棚に他のシリーズものと一緒に陳列されているため、それぞれのキャラクターの繋がりや同じ世界観の共有の可能性など、消費者はそのコーナーから物語性を汲み取る(創造する)ことができるわけだ。
また、このようなコンセプトが成立しうるのも、過去のファンタジー系アニメジャンルが築いてきた大きな物語(歴史)があるからであり、消費者が物語性を汲み取る(創造する)ことができるのは、その大きな物語の文脈があってのことだ。
併せて、例えば「夢見る見習い剣士チョコ」の剣士と自身の知っている既存の剣士のキャラクターとを重ねれば、このシリーズに登場するイラスト同士の関係性や世界観の解像度も高くなり、想像するそのシリーズに対する物語性も増す。
もちろんプライベートブランドという事もあり価格が比較的安価であることや、おいしそうだからという、価格や商品の直接的価値によって選好される可能性もあるが、このシリーズから「おもしろい」「楽しそう」「気になる」といった興味を見出し選択することができるのは、ネーミングやパッケージのイラストという記号から、そのコンセプトを汲み取ることができるような過去の消費経験が必要である。冒頭で述べた通り、このような商品の多くは、消費者側の経験に基づく想像力に依拠する必要があり、裏を返すと、その消費者の記号に対する解像度や認識さえあれば、商品を説明するディテールは必ずしも必要ではないのだ。それ故、ネーミングにおいて、その商品の実態がわかる記号(情報)が宛がわれてなくとも、その記号が持つ余白=
消費者に委ねられる情報処理によって生み出される遊び でさえも他の商品と差別化する要素になり得るのである。
13 東浩紀(2001)『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』 講談社
14 寄せ集め
15 大塚英志 (1989)『物語消費論』 新曜社