EUの対中国デリスキングの行方-2024年欧州議会選挙を越えて

2024年07月11日

(伊藤 さゆり) 欧州経済

1――はじめに

デリスキング(リスク軽減)は、23年5月に主要7カ国(G7)が広島サミットで合意した中国に関するG7共通の方針である。

デリスキングは、欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員会委員長が、訪中を控えた23年3月30日のEUの対中国政策に関する講演1で用いたキーワードであり、デカップリング(切り離し)を否定するものだ。G7広島首脳コミュニケでは、EUがデリスキングの文言を主導し、G7での合意のために、米国が歩み寄ったとされる2

本稿は、EUの対中国デリスキングを巡る動きを様々な角度から捉え、現状の理解と今後を展望するための視点を提供することを目的とする。続く2項では、EUがデリスキングを打ち出すに至るまでのEU・中国関係の変遷を簡単に振り返る。3項では、2019年の欧州議会選挙後のEUの立法サイクルで整備された中国を念頭においた政策の枠組みとその活用状況と、近年の貿易と直接投資の傾向を確認する。4項では中国でビジネスを展開する欧州企業の環境変化に対する認識と対応について紹介する。おわりにでは、EUの対中国デリスキングの今後について、24年6月の欧州議会選挙を経て、EUが新たな立法サイクルに入る影響も含めて考察した。
 
1 Speech by President von der Leyen on EU-China relations to the Mercator Institute for China Studies and the European Policy Centre, 30 March 2023
2 日本経済新聞電子版「対中国「リスク管理」新時代 「切り離し」論と一線 G7後の岸田外交①de-risking(リスク低減)」2023年5月29日

2――EU・中国関係の変遷

2――EU・中国関係の変遷

1|中国戦略の変遷
(1)2010年代半ばまで-関係強化の局面
中国とEUの前身の欧州経済共同体(EEC)の外交関係は1975年に始まり、以後、天安門事件による一時的な休止期間を経ながら、2010年代の前半までは、関係を強化する方向が探られてきた。

中国とEECは、外交関係樹立から3年後の1978年に「通商協定」を締結、同協定は1985年に「通商経済協力協定(TCA)」に改定され、幅広い領域をカバーするようになった。

中国とEUの関係強化の流れは、EUの中国に関する政策文書からも確認できる。1995年の初の文書での「対話の枠組みの強化」に始まり、1998年の文書では中国との関係を「包括的パートナーシップ」とし、さらに2003年の文書では「包括的な戦略的パートナーシップ」へと引き上げた。2013年の「EU-中国協力のための2020戦略アジェンダ」でも、平和と安全保障、繁栄(経済協力)、持続可能な発展、文化交流の4つを重点分野とし、戦略的なパートナーシップを深めることを確認している。

この間、中国とEUの貿易関係は深まり続けてきた。特に、2001年12月に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟した後、中国とEUの間の貿易は飛躍的に拡大、2005年には中国はEUにとって域外で最大の輸入相手国となった(図表1)。
(2)2010年代半ばの転換
EUのスタンスは2010年代半ばに転換する。2016年の政策文書「新たなEUの中国戦略の要素」では、中国の変容とグローバルなガバナンスへの影響力に警戒を示した。続く2019年の「EU-中国の戦略的展望」では、現在に至るまで維持されている「共通の目標を有する協力のためのパートナー」、「利益のバランスを見出す必要がある交渉のパートナー」であると共に「技術的主導権をめぐる経済的競争相手」であり、「ガバナンスに関する異なるモデルを推進する体制上のライバル」という中国の位置付けが示された。

この時期に姿勢が転換した背景には、貿易不均衡の拡大、市場アクセスの不公平性という長年にわたる問題が解決されないまま、中国資本による直接投資や「一帯一路」地域での建設活動など、中国の経済的な影響力の拡大という新たな問題が目に見えてきたことがある。米国の保守系シンクタンク・アメリカン・エンタープライズ研究所(以下、AEI)とヘリテージ財団が作成する「中国グローバル投資トラッカー(以下、CGIT)」によれば3、対外直接投資の累計額は米国が最も多く、欧州では英国、スイス、ドイツ、フランス向けが多い。その多くが2010年代半ばに実施されたものであることが確認できる(図表2-左)。2016年の美的集団によるドイツの産業用ロボット・メーカーのクーカの買収は、直接投資を通じた中国の影響力拡大の象徴的事例であり、EUの姿勢転換への布石となった。インフラ建設に関わる事例としては(図表2-右)、2012年に中国がEU加盟国を含む中東欧16カ国と立ち上げた協力の枠組み「16+1」、中国海運最大手の中国遠洋運輸(コスコ)によるギリシャのピレウス港の運営事業会社の経営への参画4などがある。

これらの動きは、中国の影響力拡大によって、EUの一体性、単一市場内での競争条件公平性、EUが基盤とする人権、法の支配、民主主義という基本的価値や戦略的な自立性が損なわれるとの懸念を引き起こしたのである。
 
3 1億ドル以上の大型案件を積み上げて作成しているため、カバレッジが狭められるものの、香港、ヴァージン諸島、ケイマン諸島など経由地が高い比重を占める中国商務部の統計と異なり、最終的な資金の向け先がわかる利点がある。
4 前田篤穂(2023)「EU港湾と一帯一路構想の実像 ~ ギリシャ・ピレウス港の事例考察 ~」中曽根平和研究所 NPIResearch Note 2023年3月27日)で詳細が考察されている。
(3)2020年代半ば-デリスキングへ
2020年代に入ってからは、EUの中国に対する警戒はさらに高まり、後述の通り、政策ツールの拡充へとつながった。コロナ禍、香港やウイグルの人権問題、ロシアによるウクライナ侵攻などが複合的に作用した。

2020年12月には、EUと中国は2014年に協議を開始した包括投資協定(CAI)の大筋合意に至ったが、ウイグルの人権問題を巡る対立で手続きが凍結され、現在に至る。

コロナ禍では物流が混乱し、医療防護具の中国依存の問題が露呈、グローバルに広がる供給網の脆弱性が浮き彫りになった。

2022年2月に始まるロシアによるウクライナ侵攻は、EUにとって、価値観を共有しない国との経済的な相互依存関係が、安全保障の強化にはつながらず、リスクとなる現実を突きつけるものであった。

ウクライナ侵攻によって、EUとロシアは無秩序なデカップリングに至ったが、EUと中国の相互依存関係はより幅広く、深いものであり、デカップリングが現実となった場合の影響は甚大なものとなる。

EUと米国ではデリスキングという同じ看板を掲げてはいるが、EUのアプローチは、覇権争いの性格がある米国とは異なる。EUは次項で見る通り、2019年の欧州議会選挙後の立法サイクルで中国を念頭に置いたデリスキングのための政策の枠組みを強化したが、その主な目的は競争条件の公平化にあり、極力、WTOのルールを尊重する姿勢をとっている5。EUのデリスキングは、中期的なレンジで、開放性と多角化に重点を置き、特定の領域での中国への過剰な依存を引き下げることを狙いとする。
 
5 "41th Annual Report from the Commission to the European Parliament and the Council on the EU’s Anti-Dumping, Anti-Subsidy and Safeguard activities and the Use of Trade Defence Instruments by Third Countries targeting the EU in 2022 , SWD(2023) 287 final

経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり(いとう さゆり)

研究領域:経済

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴

・ 1987年 日本興業銀行入行
・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
・ 2023年7月から現職

・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
・ 2017年度~ 日本EU学会理事
・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
           「欧州政策パネル」メンバー
・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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