はじめに
前回までの2回の研究員の眼で、「巨大数」について説明した。実はこの後、無限に関係するトピックについて紹介していきたいと思っていたのだが、まずはその前に巨大数(大きな数)の紹介とのバランスを取って、「小さな数」について紹介しておこうと思っている。
「小さな数」あるいは「極めて小さな数」という概念についても、明確な定義があるわけではないと思われる。その意味では、感覚的なものに近いといえるのかもしれないが、取りあえず小さな数を表現する数詞等について紹介することにする
1。
1 限りなく小さい数を意味する「無限小(infinitesimal)」に関する話題については、今回は触れていない。
涅槃寂静
「
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という言葉を聞かれたことがある方もおられると思われる。通常は、「煩悩をなくして、悟りの境地に到達すること」を意味する仏教用語で、「涅槃」はあらゆる煩悩や苦しみから逃れた安らぎの境地、「寂静」は、もの静かな様を指している、とされる。
ところが、この「涅槃寂静」は、漢字文化圏における数の単位として使用されており、名前が付与されている数では最小の単位になっている。まさに、巨大数において説明した「
無量大数(むりょうたいすう)」に対応するものとなっている。この「涅槃寂静」についても、いくつかの考え方があるようだが、一般的には10
-24を指している。また、「涅槃寂静」に至るまでの数詞は、以下の図表の通りとなっている。
大きな数を表す場合の数詞については、「万」以降は、4桁ごとに新たな数詞が付与される「万進法」が採用されていたが、小さな数の場合には、1桁(10分の1)ごとに新たな名前を付与する「十進法」(これを「下数」と呼んでいる)が用いられている。また、10
-12を表す「獏(ばく)」までは漢字一文字で表されているが、その後は漢字二文字、さらに小さくなると漢字三文字となり、「涅槃寂静」のみが漢字四文字で表される形になっている。
「
虚空(こくう)」というのは、何も妨げるものがなく、全てのものの存在する場所を意味しており、「
清浄(しょうじょう)」というのは、煩悩などがなく心清らかなことを意味している。「
阿頼耶(あらや)」は仏教用語の「阿頼耶識(あらやしき)」、「
阿摩羅(あまら)」は仏教用語の「阿摩羅識(あまらしき)」から来ているようだ。
さて、上記の数詞で使用されている漢字は、日常生活の中で使用されているものも多い。いくつか紹介すると、以下の通りとなる。
「分(ぶ)」は、まさに分けるという意味で、「九分九厘」、「五分五分」、「腹八分目」といった表現がある。なお、野球の打率については、「3割5分2厘(=0.352)」といった言い方をするが、ここでの「分」や「厘」は、割の10分の1や100分の1という意味合いで使用されている。
「繊(せん)」は、細い、細かい、という意味で、「繊細」、「繊維」等の用語がある。「沙(しゃ)」は「すな」と訓読みされ、砂やいさご(砂子)を意味しており、「沙汀」、「黄沙」といった表現がある。「塵(じん)」は、「ちり」と訓読みされ、ちりやごみを意味しており、「粉塵」、「微塵」といった用語がある。「埃(あい)」は、「ほこり」と訓読みされ、細かいちり、飛び散るようなごみ、ほこりを意味しており、「塵埃」、「綿埃」等の用語がある。「獏(ばく)」は、果てしなく広々としている様や取り留めがなくはっきりしない様を表現しており、「砂漠」や「漠然とした」といった用語がある。
「模糊(もこ)」は、ぼんやりした様を表しており、「曖昧模糊」という用語がある。「逡巡(しゅんじゅん)」は、ためらう、決断できずにぐずぐずする、という意味がある。「刹那(せつな)」は、「刹那的」というような形で、きわめて短い時間、瞬間を意味している。これはまた、時間の最小単位であり、1回指を弾く間に60ないしは65の刹那があるとされている。「刹那」の10倍の数詞が、仏教で指を弾くことを意味する「弾指(だんし)」となっている。
英語の場合の小さな数の表現
巨大数に関する研究員の眼で、英語の命数法には、「short scale」と「long scale」と呼ばれる2種類があり、short scaleでは、1,000倍ごとに新しい名前が付与され、long scaleでは、1,000,000倍ごとに新しい名前が付与されることを紹介した。英語で小さな数を表現する場合には、同じことが当てはまる。
具体的には、以下の図表のようになる。このように、小さな数を表すための特別な数詞があるわけではなく、分数の形で表現されていくことになる。
国際単位における接頭辞
巨大数に関する研究員の眼で説明した「キロ、メガ、ギガ」等は、国際単位系の接頭辞として知られている。これには大きな数だけでなく、小さな数を表すものもある。前回に紹介した大きな数を表すためのものを含めた接頭辞は、次ページの図表の通りとなっている。
ここで、例えば「ヨタ(Yotta)」や「ヨクト(Yocto)」は、ともに数字の「8」を意味するラテン語の「オクト(octo)」又はギリシャ語の「ὀκτώ(oktṓ)」に由来している。ヨタは1000
8に、ヨクトは1000
-8に等しくなっている。なお、「otta」とすると、その記号が「o(オー)」で「0(ゼロ)」と混乱しやすいことから、頭に「y」が付与されているとのことである。
また、ヨクト(記号y)は、素粒子の質量を示すために使用され、例えば、統一原子質量単位(unified atomic mass unit(記号:u))であるダルトン(dalton:Da)については、
1 Da ≒ 1.6605391×10
−27 kg(=1.6605391 yg )
となっている。
「マイクロ」や「ナノ」という接頭辞は、「マイクロチップ」、「ナノテクノロジー」等の用語で耳にする機会も多いと思われる。「ピコ」はイタリア語で「小さい」という意味のpiccoloに由来しているが、X線の波長が1 pm ~10 nm 程度となっている。
小さい数
それでは、実際に身近(?)に見られる小さな数としては、どのようなものがあるのだろうか。
これについては、例えば以下のようなものが挙げられる(巨大数の時と同様に、一部の数値については、各種の幅がある中での1つの例示数値を挙げているので、あくまでも1つの近似値と思っていただきたい)。
1.生物等の大きさ
・人の卵子 直径 約120μm
・毛細血管の太さ 5~20μm
・大腸菌 幅 0.5~1.5μm 長さ 2~6μm
・インフルエンザウイルス 0.08~0.12μm
・DNA α螺旋の直径 2nm
・アミノ酸 0.8nm
・水素原子の直径 0.1nm
2.各種の発生確率
・ポーカーで配られたものがロイヤルストレートフラッシュである確率(=4/ 52C5 )
約65万分の1(≒=1.5×10-6 (0.00015%))
・麻雀で、親の配牌が天和である確率(天和(テンホー)というのは、親の配牌の時点で既に和了(ホーラ、あがり)の形が完成している状態)(=麻雀牌136枚から無作為に14枚選んだものが和了の形になる確率)
約33万分の1(≒3.3×10-6 (0.00033%))
・宝くじの当選確率
ジャンボの1等 約1千万分の1(=10-7)
LOTO6の1等 約6百万分の1(≒1.667×10-7)
MEGABIG(メガビッグ) 約1,678万分の1(≒5.959×10-8)
無限の猿定理
なお、最後に「無限の猿定理(infinite monkey theorem)」というものを紹介しておく。これは、「十分長い時間をかけてランダムに文字列を作り続ければ、どんな文字列でも殆ど確実に作成できる」という定理である。比喩的に「猿がタイプライターのキーをランダムに叩きつづければ、いつかはウィリアム・シェイクスピアの作品をも打ち出せる」と言われることもあるため、この名称が付与されている。これについては、巨大数のテーマで紹介してもよかったのだが、そこでは紹介できなかったので、ここで述べておく。
例えば、タイプライターのキーがちょうど100個あるとすると、ランダムにキーを叩いて、「ハムレット(Hamlet)」の英語の6文字がこの順番でタイプされる確率は、(1/100)6=1兆分の1 となる。
同様に、作品「ハムレット」は句読点やスペースを含めると約20万字弱で書かれているとのことであるので、ランダムにキーを叩いて、「ハムレット」の作品ができる確率は、
(1/100)200000 =10―400000
ということになる。巨大数で説明した「無量大数」や「googol」を分母とした確率よりも遥かに小さいが、「不可説不仮説転」や「googolplex」を分母とした確率よりも遥かに大きいことになる。
「無限の猿定理」については、確かにその通りなのかもしれないが、現実的な意味があるものなのかは多くの人が疑問に思うであろう。我々が生きている世界においては、起こりえないこととして、実質的に確率がゼロのものと見直しても全く問題がない、と多くの人が感じるのではないかと思われる。
実際に、「『偶然』の統計学」(デイヴィッド・J・ハンド(著)、松井 信彦(翻訳)、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)によれば、フランスの数学者で、ボレル測度等で有名なエミール・ボレル(Émile Borel)は、「ボレルの法則」あるいは「偶然独自の法則」を提唱し、「確率が十分に低い事象は決して起こらない」と述べているようだ。
数学的には確かに確率はゼロではないかもしれないが、現実的な実用的な世界においては、どの尺度で対象の事象を考えるのかにもよるが、一定程度以下の確率事象については無視できる、としなければ世の中が成り立たなくなってしまう、ということだろう。
最後に
今回は、小さな数を表現する数詞等について紹介してきた。巨大数に比べると、今一つしっくりこない印象を持たれたかもしれない。やはり、目に見えないミクロの世界はイメージが湧きにくい面があるし、人間の感性として、縮小よりも拡大を好む傾向も反映されてくるのかもしれない。
次回以降の研究員の眼では、これまで紹介してきた巨大数や小さな数の延長(?)として、無限に関するトピックを採りあげていきたいと考えている。
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