2|なぜ70歳で区切ったのか、なぜ老人福祉法で対応したのか
ただ、老人医療費無料化が「バラマキ」と判断されている理由もあります。この点については、「なぜ『70歳』で区切ったか」「なぜ老人福祉法で対応したのか」という2つの問いで見えて来ます。
まず、70歳で区切った理由で考えると、現在は「65歳」以上の人を高齢者と定義しており、前期高齢者と後期高齢者の区分も「75歳」で設定されています。さらに、当時も厚生年金の老齢年金は60歳、国民年金の老齢年金と健康診査の年齢は65歳、福祉年金は70歳で、それぞれ年齢が区切られており、「70歳」で線引きした理由は見えにくいし、当時の国会でも整合性が話題になっています。
これに対し、厚生省(現厚生労働省)の担当局長は「(筆者注:先行的に導入した自治体の制度が)70歳以上であるという現実をとらえまして、そして都道府県と一緒にやるわけでございますから、客観情勢がそうなっている」「財政的な問題が非常に大きな問題になります」といった点を挙げた上で、「最初とにかくスタートするということで、70歳以上ということに区切った」と説明しています
6。つまり、実質的な「取り組みやすさ」が重視されたわけです。
もう一つの「なぜ老人福祉法で対応したのか」という疑問についても、「取り組みやすさ」が優先された面があります。老人医療費の無料化に際しては、各種保険制度の上に乗せるような形で、税財源(国3分の2、自治体3分の1)を用いて患者負担分を軽減する仕組みが採用されたのですが、患者負担の根拠を定めている健康保険法などの改正ではなく、高齢者福祉をカバーする老人福祉法の改正で対応しており、些か奇異に映ります。
この点については、当時の厚生省が置かれた環境に原因があると考えられます。当時、厚生省は医療保険制度の「抜本改革」の検討を進めており、前年の1971年には「抜本改革が進まない」という大義名分の下、日医が保険診療のボイコットに当たる「保険医総辞退」を1カ月間、仕掛けた経緯がありました。このため、厚生省は医療保険制度の抜本改革の議論も別に進める必要に迫られており、保険局の負担を減らすため、社会局(現社会・援護局)の所管である老人福祉法で対応することにしたと思われます。その証拠として、当時の幹部は「保険医総辞退があり、『いま保険局にそういう作業をさせるのは大変だ。社会局で公費負担の形で老人福祉法の一部改正で行うように』という大臣(筆者注:当時は斎藤昇厚相)指示が下った」と振り返っています
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つまり、70歳で区切った点とか、老人福祉法で対応した点に関しては、特段の背景があったわけではなく、「取り組みやすさ」が優先されたと言えます。この点については、別の厚生省幹部が「結果的に政治サイドの要求も強くて、スタートした」「高度成長時代をバックにした、迎合福祉の最初」と当時の様子を語っています
8し、入省直後だった厚生省官僚も「医療費の問題は社会局ではぜんぜん関心がない」「保険局はもともと無料化に反対していましたが、政治的に押し切られた」と述べています
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こうした発言や経緯を踏まえると、革新自治体に対抗したい自民党のプレッシャーが強く、「とにかく制度をスタートさせたい」という事情で老人医療費無料化が始まった様子を看取できます。こうした見切り発車的な状況が現在、「バラマキ」と批判されている理由なのかもしれません。
6 第68回国会会議録1972年4月26日、27日衆議院社会労働委員会における厚生省の加藤威二社会局長による答弁。
7 『週刊社会保障』2000号における厚生省社会局長だった加藤氏の発言。
8 『週刊社会保障』No.1465の座談会における厚生省年金局長だった北川力夫氏の発言。
9 中村秀一(2019)『平成の社会保障』社会保険出版社p42、60。