一連の世論調査が示唆するのは、16年国民投票で残留を支持し、今も残留が望ましいと考えていたり、国民投票で離脱を支持したことを後悔していても、離脱という結果を覆すことまでは望んでいない人が一定割合いるということだろう。
しかし、EU離脱の結果に強い不満を抱き、覆そうという動きが、連合王国の分裂へと発展するリスクが高まっている地域がある。完全離脱と共に関税区域は英国、財の規制ではEUの単一市場に残留する特区的位置づけとなった北アイルランドと、16年の国民投票で残留支持が62%と圧倒的多数を占めたスコットランドだ。
北アイルランドの特区化には、アイルランド国境の厳格な管理を回避し、英国の連合を重視するユニオニストとアイルランド統一を望むナショナリストの緊張の高まりを防ぐ目的があるが、これまでのところ上手く機能しているとは言い難い。グレート・ブリテン島からの物流に、通関手続きが必要となり、生鮮食品の出荷の遅延、不足が発生している。ユニオニストにとっては、特区化された恩恵よりも、完全離脱の犠牲となって英国から切り離された痛みを感じやすくなっている。
1998年の「ベルファスト合意」では、北アイルランドとアイルランド共和国の双方で民意が示された場合には統一を認め、統一後、北アイルランドがEUの一部になることで合意が成立している。
但し、投票が、向こう5年以内に実施される可能性は低い。アイルランド政府は2025年までの任期中の実施を否定、英国政府も同意している。北アイルランドでも、現時点で、早期の実施を主張している地域政党はない。
北アイルランドの地位見直しの機運は時間の経過とともに高まるだろう。英紙サンデー・タイムスの委託により連合王国を構成する4地域で実施した世論調査
29では、北アイルランドの地位に関する住民投票(Border Poll)を実施した場合、「英国の一部」を支持する割合が46.8%と、「統一アイルランドの一部」の42.3%を上回る。しかし、18~44歳の年齢層では「統一アイルランドの一部」が47%で、「英国の一部」の46%を逆転する。5年以内に住民投票を「実施すべき」とする割合も50.7%で「すべきでない」の44.7%を上回った。さらに、10年以内に北アイルランドが独立し、アイルランドと統一する「可能性が高い」と見る割合は48%で、「可能性が低い」の44%を上回った。
他方、スコットランドでは、独立の是非を問う住民投票への動きが具体化しつつある。今年5月6日の議会選挙で、独立の是非を問う住民投票を掲げる与党・スコットランド民族党(SNP)は地滑り的な勝利を収める見通しだ。住民投票に関わる世論調査では、調査ごとにばらつきがあるものの、直近まで21回連続で、独立賛成派が反対派を上回っている。英紙サンデー・タイムス委託の4地域での世論調査
30においても、スコットランドは独立国となるべきかへの回答では「はい」が52%、「いいえ」が48%で、特に16~34歳の若年層では「はい」が71%を占め、逆に、55歳以上では「いいえ」が62%を占める傾向も顕著に顕れた(いずれも「わからない」を除いたベース)。
2014年9月のような法的拘束力のある住民投票の実施には、英議会からスコットランド議会への権限委譲(Section 30 Order)
31が必要になるが、ジョンソン首相は拒否している。SNPのスタージョン党首は、権限委譲を受けて行う住民投票を「プランA」としつつ、それが認められない場合、「プランB」として、諮問的な住民投票を強行し、そこで示されたスコットランドの民意の合法性について、裁判所に判断を仰ぐ構えもみせている
32。議会選挙で、SNPが大勝した場合には、ジョンソン政権が権限移譲を却下し続けるだけで、事態を収拾することは難しいと見られている。
スコットランドの独立機運を削ぐ有効な手段はあるのだろうか。
14年の住民投票は、英政府が自治権拡大の方針を示すとともに、独立はスコットランドの経済的な豊かさにも、EUの再加盟にもつながらないという説得が効果を発揮した。直前の世論調査では、独立賛成が反対を7ポイントも上回るような場面もありながら
33、最終的に反対55.3%という結果に落ち着いた。原油高を前提とする独立推進派の財政見積もりは甘く、独立は年金の減額につながるリスクがあること、スコットランドの財の輸出入の6割を占める連合王国との結び付きが重要であること、通貨の面では、英国政府は、ポンドの継続利用を前提とする独立推進派の方針を否定、独立した新規加盟国としてEUに加盟すればユーロ導入が義務になり、主権が制限されることも示唆した。そもそも独立国としてEUに加盟しようとしても、スペインのように分離独立問題を抱える国は、飛び火をおそれてスコットランドの加盟に反対するため、加盟国の全会一致の要件が満たされることはない、つまり独立はEUからの離脱につながると警鐘が鳴らされた。
しかし、EU離脱を強制された現在では、独立は、EU再加盟の道を拓く希望となる。ジョンソン政権は、自治権の拡大や連邦化は否定しており、スコットランドの独立阻止の明確な戦略があるとは言い難い。ジョンソン政権内の内紛で、連合王国の求心力維持のために立ち上げた「連合ユニット」のトップに就任した首相の側近が僅か2週間で辞任に追い込まれるなど体制も定まらない。
そもそも離脱キャンペーンを主導した首相とその側近らが、スコットランドのつなぎ留めに役立つと考えることに無理がある。世論調査でスコットランドにおける独立支持が不支持を上回るようになったのはEUを正式離脱した後であり、スコットランドの民意を切り捨てた離脱の強行が、ジョンソン首相の政治手法やコロナ対策への不満も加わって、スコットランドの独立機運を高めていると考えられる。
スコットランドの独立は経済的な打撃が大きいという独立反対派の主張は今も基本的に正しいが、財政や年金、経済への打撃に関する試算は、独立阻止のための嘘と見る独立賛成派もいるだろう。「経済的打撃は独立して主権を取り戻すコストとして敢えて受け入れる」という判断が加われば、独立支持が過半を上回る可能性は十分にある。ちょうど英国が、主権の奪還のために、EUからの「ハードな離脱」へと進んだように。
16年のEU離脱の是非を問う国民投票では、ジョンソン首相らが率いた離脱キャンペーン団体は、EU離脱のコストを強調したキャメロン元首相らの残留キャンペーンを「恐怖プロジェクト」と揶揄した。
そのジョンソン政権が、スコットランドの独立機運を削ぐために、独立の経済的なコストを強調する「恐怖プロジェクト」に訴え、却ってスコットランドを独立に近づけてしまう皮肉な展開になるのだろうか。