1|国民皆保険の成立に至る経緯
日本の公的医療保険制度の歴史は1922年の健康保険法制定に遡る。最初に創設されたのは健康保険組合と政府管掌健康保険(現在の協会けんぽ)
6であり、当初は「女工」と呼ばれた女性工場労働者が紡績工場など劣悪な環境で働かされていたため、その健康問題の解決を主な目的としていた。
その後、被用者保険の対象者がホワイトカラーなどに拡大されたほか、戦時期の国家総動員体制の下で、農林水産業従事者や自営業者をターゲットに据えた国保(1938年)、船舶従事者を対象とした船員保険(1940年)が相次いで創設され、戦中、敗戦直後の混乱期を挟み、公的医療保険の対象者は徐々に拡大して行った
7。つまり、図1で言うと、右側のオレンジ色の部分から制度が形成され、左の青色の部分にまで対象を拡大させることで、国民皆保険を完成させたのである。
その際、勤め人を中心とした被用者保険の枠組みと別に国保を創設した理由の一つとして、稼得形態の違いがある。勤め人は事業主と雇用契約を交わした上で、一定額の月給を毎月得ているのに対し、自営業者や農林水産業従事者の収入は不安定である。さらに被用者保険と異なり、自営業者や農林水産業従事者には事業主や労働組合のような枠組みが存在しない。このため、被用者保険と同様に取り扱うのは難しいという判断の下、国保が創設され、現在の分立体制の基礎が出来上がった。
さらに、1961年の「国民皆保険」の樹立に際して、中小事業所で働く勤め人の取り扱いが焦点となった。これが良く分かる国会答弁
8が残されているので、下記に紹介する(下線は筆者)。
今、社会保障制度の網の目に漏れている人が非常に多い。例えば健康保険におきますと、5人未満の従業員をもつて事業に従事している者がすっかり省かれていることから考えても、日本のように非常に小さい企業の多い国においては不平均な状態がたくさんあると思う。もう一つ数字を調べると、疾病保険(注:健康保険)についても国民の35%に当たる3,089万人が適用されていない。こういうことを是正いたしまして、日本全体に不公平のないようにしたいと痛切に考え、それには大幅な予算を得ましたら、その漏れているところを埋めて行きたいと思う。
つまり、従業員5人未満の中小企業に勤める従業員と家族が公的医療保険の「網」から外れている点を問題視していることが分かる。ここに出ている「網」から漏れた「35%の3,089万人」には国保を創設していない市町村に住む農林水産業従事者や自営業者も含まれており、1961年の国民皆保険を創設する際、こうした「網」から漏れた人に対し、どうやって公的医療保険の「網」を被せ、どこの公的医療保険に適用させるかという点が課題となった。
このうち、自営業者や農林水産業従事者に関しては、市町村に対して国保の設置を義務付けることで、解決が図られた。一方、5人未満の零細事業所の勤め人に関しては、(1)被用者保険に加入させる、(2)健康保険組合や政府管掌健康保険とは別に「第2健保」を作る、(3)国保に加入させる――というアイデアが議論され、最終的に厚生省(現厚生労働省)は(3)の選択肢を採用することで、1961年に国民皆保険をスタートさせた。
その時の判断に関して、当時の厚生省幹部は「企業の実態なりあるいはそこに働いております人々の賃金の形態とか雇用形態とか、(略)異動性等を調べて参りますれば、なかなか今の被用者保険そのまま全部一緒に包括していくというには無理のある実態が相当ある」と述べている
9。つまり、被用者保険に加入している勤め人と比べると、中小事業所における賃金や雇用の形態が多様である上、転職や転居などが頻繁で人の流動性も高く、被用者保険と一括りに取り扱えにくい点を指摘している。
さらに厚生省幹部OBによる回顧では「被用者サイドから『事務能力という点でもあるし、所得の把握という点でも五人未満では手が及ばない』という話があり、結局、国民健康保険でカバーすることを決断した経緯がある」
10、「(筆者注:もし被用者保険で対応していると)中小企業が反対して潰れたかもしれません。そこまで考えていなかったけど、結果的には市町村で頑張ったから通った」
11といった証言が残されている。要するに、中小事業所に被用者保険を拡大すると、所得捕捉などの点で国の事務能力が追い付かず、事業主負担を嫌う中小企業が反対した可能性もあるとして、国保に取り込んだと説明している。
これらの説明や証言を総合すると、当時の厚生省としては、所得捕捉を含めた事務処理の容易さや実現可能性という観点に立ち、5人未満の中小事業所で働く勤め人を国保に加入させる選択肢を選んだと思われる。こうした判断は当時、国民皆保険を早期に樹立する上で止むを得なかったと言えるが、勤め人が国保と被用者保険に分かれる矛盾を作り出す遠因となった。
6 健康保険法の制定以前にも主に公務員を対象とした共済組合が一部で発足していたが、ここでは詳しく論じない。
7 戦前の国保は組合形式だったのに対し、敗戦後に再建された国保は市町村による直営に変わった。なお、国保の歴史に関しては、2018年1月5日の拙稿「発足80年を迎えた国保の大改革」を参照。
8 第21回国会会議録1954年12月17日衆議院厚生委員会における鶴見祐輔厚相の発言。
9 第28回国会会議録1958年2月27日衆議院社会労働委員会における高田正巳保険局長による発言。
10 幸田正孝ほか編著(2011)『日独社会保険政策の回顧と展望』法研p17における幸田正孝元厚生労働事務次官の発言。
11 国民健康保険中央会編(1998)『国民健康保険中央会50年の歩み』国民健康保険中央会p31における伊部英男元社会保険庁長官の発言。