3|離脱派の主張と試算結果のギャップ
各機関の試算と離脱派の主張はどの点で異なるのか。3つの論点を指摘したい。
1つはEU市場のアクセスが制限されることの英国経済のダメージに関する見方の違いだ。離脱派は、この点についてデータに基づく踏み込んだ議論を展開していないが、各機関の試算では、そろってEUの拠出金の節減効果を上回るという結果だった。
2つめは、EU市場への特権的なアクセスの確保とEUへの拠出やEUルールなどのコスト負担に関する見方の違いだ。離脱派は、離脱によってコスト負担から解放されることをベネフィットとして強調するが、現存する枠組み(図表11)を見る限り、EU市場に特権的なアクセスを確保しようとすれば、ある程度のコスト負担は避けられない。
確かに、離脱派が主張するように、大国である英国は、ノルウェーやスイスよりも有利な条件を得られる可能性はあるが、レベルの高い合意を目指せば、交渉に時間を要するだろう。EUが韓国やメキシコと結んだFTAでは交渉に4年を要し、スイスとの交渉には10年の時間を要した
12。カナダとの包括的経済協定(CETA)は、14年に交渉開始から5年で合意に達したが、まだ、調印・批准には至っていない。EUの中核国であるフランスとドイツが17年に選挙を予定している政治的なサイクルや、英国に続く離脱を阻止する観点からも、内容を吟味する必要があることから、数年単位の時間を要することは間違いないだろう。
3つめは、英国とEU域外の相手国・地域との交渉に関する見方だ。離脱派の主張のように、EU加盟国としてよりも、英国単独の方が、国際社会での発言権が増し、EU域外国とより有利な協定を締結できるとは想定されていない
13。
米国はEUとTTIPを交渉中、日本はEPAを交渉中だが、ともに英国のEU残留を望み、貿易交渉では大市場優先の立場を明言している。オバマ大統領は今年4月の訪英時、「国民投票結果は米国にとっても重大な関心事」であり、「英国は強いEUを先導する助けをしている時が最善の状態」で「EU加盟国であることで英国の権限は強化されている」として、残留が英国の国益にかなうという見解を表明した。一連の発言の中でも、「米国の通商交渉は大市場を優先する。(離脱すれば)英国は最後列に並ぶことになる」とも発言、離脱派の楽観的主張を真っ向から否定した
14。
日本も、16年5月26~27日開催のG7サミットを前に英国を訪問した安倍首相が、5月5日の日英共同記者会見で、「英国がEUに残留」することが「日本から英国への投資にとって最善」であり離脱は「EUのゲートウェイ」としての英国の魅力を損なうと述べている。貿易交渉では「大きな貿易圏であるEUとの交渉を個別国より優先している」ことを明言した。
中国も、日米と同じ残留支持の立場だが、貿易交渉では異なったスタンスをとる可能性がある。15年10月に習近平主席が英国を訪問時、英中首脳会談で「中国は繁栄する欧州、団結するEUを希望する。英国がEUの重要な加盟国として中国とEUの関係深化により積極的で建設的な役割を果たすことを望む」と述べており、公式な立場は残留支持である。
但し、欧州でのFTAに関して、中国は、EUよりも先にEU域外国との締結に動いているため、離脱後の英国がEUよりも先行する可能性はある。しかし、中国と欧州諸国のFTA交渉を見ると、アイスランドの場合で発効まで7年、スイスの場合で5年、ノルウェーは9年経過してもまだ発効に至っていない。英国とのFTAに動くとしても、発効までに年単位の時間がかかると見るべきだろう。英国政府は、中国が提唱したアジアインフラ投資銀行(AIIB)への出資を逸早く表明、10月の習近平主席の訪英時には、複数の原子力発電所の建設計画に中国企業が参加することなどで合意するなど中国への傾斜が目立つ。中国経済は、一時期の勢いを失ったとはいえ、市場の規模と成長性では圧倒している。人民元の国際化もロンドンの国際金融センターとして魅力を高める上で取り入れていきたい思いは強いだろう。こうした背景から、中国との交渉では、英国側の譲歩が目立つという批判もあり、FTAが英国にとって有利な内容にまとまるかは不透明だ。EUから離脱することが、英国企業がフランスやドイツ企業などよりも中国市場へのアクセスで有利な条件を勝ち取ることができるのかどうかは未知数だ。
12 OECD(2016)による
13 CBI/PwCのFTAケースでは米国との貿易交渉の加速を想定している。
14 今年11月に予定される大統領選挙の候補者選びで共和党の指名獲得が確実になったトランプ氏はテレビインタニューで「移民の多くがEUにより押し出された」ことから「EUを離脱した方がずっと良いと思う」と述べている。