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米EU関税合意-実効性・持続性に疑問符

2025年08月04日

(伊藤 さゆり) 欧州経済

対EU関税率は15%。自動車・同部品、半導体、医薬品を含む

7月27日、米国とEUの関税交渉は、日本や韓国と同じ相互関税率を15%で決着した。7月31日にトランプ大統領が署名した大統領令により、15%の関税は8月7日に発効する。

大統領令は国家緊急経済権限本法(IEEPA)に基づく相互関税を対象とするが、米EU関税合意では、通商拡大法第232条に基づく分野別関税も合意の対象となった(図表1)。ホワイトハウスの「ファクトシート」(以下、文書と記載)1とEUの合意内容の説明文書2によれば、発動済みの自動車・同部品のほか、今後の発動が予定されている半導体、医薬品も15%の適用範囲となるが、自動車関税の引き下げの時期については現時点では不明である。
 
1 The White House "Fact Sheet: The United States and European Union Reach Massive Trade Deal", July 28, 2025
2 European Commission "EU-US trade deal explained", July 29, 2025

鉄鋼・アルミ・銅は関税率50%が継続。

鉄鋼・アルミ・銅は関税率50%が継続。供給網の安全確保の関税割当制では米欧に温度差

分野別関税のうち、発動済みの鉄鋼・アルミニウム・銅は15%関税の適用除外とされ、当面は50%関税が適用される。

今後については米国とEUの間に温度差がある。ホワイトハウスの文書には、50%の関税率を維持しつつ、供給網の安全確保について協議するとの記載がある。EUは、この3分野について、非市場的過剰生産能力に対処するためにEU製品への歴史的水準の割当枠を設定し、50%の関税を引き下げるとより踏み込んでいる。EU側の交渉官を務めたショフチョビッチ貿易担当欧州委員は、この枠組みを「金属アライアンス(metals Alliance)」と表現した。米国とEUの間で、供給網の安定の観点からの協議はされているのであろうが、両者の認識には、かなり距離があると見て良いだろう。

WTOルールとある程度整合的

WTOルールとある程度整合的な「関税ゼロ協定」を提案したEU

EUはトランプ2.0との関税交渉にあたり、当初、相互に工業製品の関税をゼロに引き下げる「関税ゼロ協定」を提案したとされる。

相互関税は、米国内でも違憲性・違法性を巡る審理が行われている最中だが、世界貿易機関(WTO)の貿易自由化交渉で合意した譲許関税率への義務、最も有利な待遇をすべての加盟国に適用する最恵国待遇(MFN)原則に違反する。WTOルールを無視する米国と関税交渉に臨み、合意を受け入れること自体が、自由貿易体制を揺るがすリスクを冒すことになる。

「関税ゼロ協定」の提案は、MFN原則の例外として認められる「自由貿易協定(FTA)」の要件を満たす3合意とすることで、双方にとって不利益となる関税引き上げと報復の連鎖を回避すると同時に米国によるWTOルールの破壊に加担することを回避したいとの思惑もあったと推察する。

欧州中央銀行(ECB)は、3カ月に1度改定する経済見通しの最新版(6月予測)で、「ベースライン」の予測の他に、双方が関税を撤廃する「マイルドな代替シナリオ」と、相互関税の全面適用とEUの報復という「シビアな代替シナリオ」の予測を公表している(図表2)。マイルドなシナリオの場合、ベースラインよりも成長率は高くなるが、シビアなシナリオでは成長率もインフレ率(HICP)も下振れる。

全世界に対して大幅に関税を引き上げる打撃は米国に最も大きいため、回避の圧力が働くという期待もあったかもしれない。独キール経済研究所の試算では、7月に提示した新関税率が発動された場合、向こう1年間で米国のGDPを1.2%、EUのGDPは0.5%押し下げる(図表3)。
 
3 域外に対して障壁を高めないことや、域内での障壁を実質上のすべての貿易で撤廃すること等が要件。経済産業省「2024年版不公正貿易白書」第16章

EUは複数の理由から自らの交渉上の立場

EUは複数の理由から自らの交渉上の立場は他の貿易パートナーより強いと考えていた

EUが、米国に互恵的な協定を提案した背景には、自らの交渉上の立場は、他の貿易パートナーよりも強いと考えていたことがある。

EUが自らは特別と考える理由は複数ある。別稿で触れた通り4、EUは、輸出入の両面で米国の最大のパートナーである。財の貿易ではEU側が黒字だが、サービス貿易では米国が赤字で全体ではバランスの取れた関係にある(表紙図表左)。米EU間の直接投資の残高も、概ね同水準とバランスがとれている(表紙図表右)。ECBのシュナベール理事は、今年5月の講演で、ユーロ圏の対米輸出品目の上位は医薬品、機械、車両であるが、医薬品を中心に代替が難しい高度に差別化された製品の割合が高いことを示した上で(図表4)、「ユーロ圏の輸出業者はより高いコストを外国の輸入業者に転嫁できる」との見方を示した。

米国とEUの関係は互恵的で補完的であるために、高関税政策は、米国にとっての打撃が大きい、それ故、他の米国の貿易パートナーよりも、有利な合意を得ることができると期待された訳だ。
 
4 ACIの概要については、伊藤さゆり「トランプ関税へのアプローチ-日EUの相違点・共通点」Weeklyエコノミスト・レター2025-4-18

報復措置が利用可能であること

報復措置が利用可能であることも立場の強化につながると考えられていた

報復措置が利用可能であることも、EUの交渉上の立場を強くすると考えられていた。EUは8月1日の期限までに合意が実現しない場合、8月7日に報復措置を発動する準備を進めていた(図表5)。

しかし、930億ドル相当の製品に30%の関税を課すというEUの報復措置は、米国の関税措置に比べれば遥かに控えめだった。EUは「最終兵器」である経済的威圧に対抗する措置を規定した反威圧的手段(ACI)規則に基づくデジタルサービスや金融サービスへの規制などに進む選択肢は温存していた。

報復措置を用意しつつも、控えめなものに留めた理由は、合意への圧力としては効果を発揮しない一方、関税引き上げと報復措置の連鎖を恐れたからと考えられるだろう。トランプ大統領は、7月に新税率を通知したEU宛ての書簡で、EUが「報復」を実施した場合には、さらに30%の追加関税を課す方針を表明していた。

EUにとっては、WTOルールに適合しないような合意を受け入れるのか、合意なしで報復合戦がエスカレートする事態を容認するのかは、2つの悪いもののどちらか一方を選ばなければならないジレンマを表現するフランス語の慣用句「ペストかコレラかの選択」だった。

経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり(いとう さゆり)

研究領域:経済

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴

・ 1987年 日本興業銀行入行
・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
・ 2023年7月から現職

・ 2015~2024年度 早稲田大学商学学術院非常勤講師
・ 2017年度~ 日本EU学会理事
・ 2017~2024年度 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
           「欧州政策パネル」メンバー
・ 2022~2024年度 Discuss Japan編集委員
・ 2022年5月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員
・ 2024年10月~ 雑誌『外交』編集委員
・ 2025年5月~ 経団連総合政策研究所特任研究主幹

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