NEW

民間医療保険の健全性強化を図るインドネシア-医療保険規制は医療制度の課題を示す-

2025年07月15日

(磯部 広貴) 保険商品

1――はじめに

インドネシア1は多くの先進国と同様、全国民を対象とする国民皆保険制度を持つ。医療保険と労働者社会保障制度(労災補償、死亡保障、老齢保障、失業保障、年金保障)に大別され、運営を担うBPJS(Badan Penyelenggara Jaminan Sosial、社会保障実施機関の意)も同様に、医療保険はBPJS Kesehatan(クセハタン、健康の意)、労働者社会保障制度はBPJS Ketenagakerjaan(クトゥナガクルジャアン、労働や雇用の意)に分かれている。

この保険・年金フォーカスでは、BPJS Kesehatanが運営する国民医療保険の現状を確認した上で、これを補完する民間医療保険に対する新たな規制の動向について報じたい。
 
1 2019年10月、再選を果たしたジョコ・ウィドド大統領は就任演説において2045年に先進国入りを目指すと表明した。

2――国民医療保険の現状

2――国民医療保険の現状

2014年、BPJS Kesehatanが設置されて医療保険制度がスタートした。以後、段階的に加入者の拡大を進めて、2019年、国民皆保険化に至った。

正式名称としてはSJSN(Sistem Jaminan Sosial Nasional)Kesehatanであるものの、実際には運営主体であるBPJS Kesehatanの名称をもって当該制度を指すことも多い。以下では国民医療保険と称して論を進めたい。

国民医療保険は全国民(6か月以上インドネシアで働く外国人を含む)を対象とし、加入者は原則無料で受診可能である。概要は下図を参照いただきたい。
インドネシアほど人口の多い国で国民医療保険が成立したことは高く評価されるべきであろうが、実際の運営は順風満帆とは言い難い。

加入者の約2割が経済的な事情で保険料を支払っていない、医療機関による過剰診療や不正請求、BPJS Kesehatanから医療機関への支払い遅延などが指摘されてきた。さらには全般的かつ継続的な医療費の上昇が国民医療保険の財政に深刻な影響を与えている。毎年15%前後で医療費が上昇する状況の下、既に政府は2026年に保険料を引き上げる意向を示している。

3――民間医療保険への新たな規制の公表

3――民間医療保険への新たな規制の公表

国民医療保険の課題は財政面だけではない。加入者にとっての利便性、いわゆる使い勝手という視点からは、かかりつけ医を指定し一次診療を受ける必要があること、保険適用はBPJS加盟病院で大臣令に定められた診療に限られることに注意が必要である。外国企業の駐在員のように現地の言語対応に不慣れな加入者にとっては苦慮する局面もあろう。

そこで駐在員や一部富裕層を対象に、国民医療保険を補完するための民間医療保険が存在する。CОB(oordination of enefits、給付調整の意)とも呼ばれるが、民間医療保険会社に保険料を支払う一方で、国民医療保険が対象としていない治療に対して保険給付を受けるものである。

このような民間医療保険に関して、本年5月、ОJK(Otoritas Jasa Keuanganの略、金融サービス庁)は通達(Circular Letter No. 7/SEOJK 05/2025)を発した。これにより、すべての保険会社ならびにシャリーア保険会社2(以下、保険会社と総括)には2026年1月1日以降、健全性強化に向けた取り組みが求められる。特筆すべき点は下記の通りである。

1)保険会社は、堅固なITシステムを持ち、医療機関とのデータ交換、加入者データへのアクセス、契約消滅後も最短10年間のデータ保持などを行う。

2)保険会社は、給付対象となる治療費の最低10%を加入者の自己負担とする。上限は外来については30万ルピア3、入院については300万ルピア4とする。

3)保険会社は、最低1人の医療専門家(免許のある医師)ならびに資格を持つ医療従事者を雇用し、 医療諮問委員会(Medical Advisory Board)を設置する。

これらは結果として民間医療保険の拠って立つ医療制度の課題を示していると言えよう。

規制の求める内容から推察するに、同国の医療機関ではIT化が遅れており、紙ベースなど不確かな情報に基づく事務効率の低さ、それに乗じての不正請求があると思われる。また、加入者へ自己負担を求めることからは過剰診療を抑制したいという意向が透けて見える。自己負担がなければ加入者は医師に言われる通りに治療を受けてしまうからだ。さらには、保険の専門家のみならず医療の専門家によるサポートなくしては、今後も続く医療費の上昇を反映しての保険料設定など諸対策は困難とみているのであろう。
 
2 シャリーアと称されるイスラム教の法体系に適格とされた商品を専業として取扱う保険会社。
3 1ルピア=0.009円として2,700円。
4 1ルピア=0.009円として27,000円。

4――おわりに(規制の延期)

4――おわりに(規制の延期)

ところが6月30日に行われた国会の第11委員会作業部会を経て、今月、ОJKは通達よりも上位の規則にて医療保険制度全体の強化を図るとし、前章で述べた民間医療保険に関する規制はこれに集約されるものとして実施延期を発表した。あくまで延期であり、民間医療保険の健全性強化が不要と断じられたわけではない。

総じてインドネシアでは民間保険の普及が遅れており5、その中でも民間医療保険は外国企業の駐在員や一部富裕層を念頭に置いたもの6である。そのようにマイナーな商品に関する規制が独立して公表されたこと自体が不自然であったと言うべきかもしれない。

とはいえ民間医療保険に関する規制が映し出した課題は、同じ医療制度を前提とする国民医療保険の課題でもある。世の注目は3億人近くが加入する国民医療保険に集まるであろうが、同時にこれを補完する民間医療保険の今後の動向も注視していきたい。
 
5 Swiss Re Institute sigma No 3/2023によれば、生命保険料のGDP比率(2022年)は世界平均が2.8%、新興アジア平均が2.1%のところインドネシアは0.9%にとどまっている。
6 民間医療保険を取り扱う保険会社はすべて外資系とも言われている。

保険研究部   主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任

磯部 広貴(いそべ ひろたか)

研究領域:保険

研究・専門分野
内外生命保険会社経営・制度(販売チャネルなど)

経歴

【職歴】
1990年 日本生命保険相互会社に入社。
通算して10年間、米国3都市(ニューヨーク、アトランタ、ロサンゼルス)に駐在し、現地の民間医療保険に従事。
日本生命では法人営業が長く、官公庁、IT企業、リース会社、電力会社、総合型年金基金など幅広く担当。
2015年から2年間、公益財団法人国際金融情報センターにて欧州部長兼アフリカ部長。
資産運用会社における機関投資家向け商品提案、生命保険の銀行窓版推進の経験も持つ。

【加入団体等】
日本FP協会(CFP)
生命保険経営学会
一般社団法人 アフリカ協会
一般社団法人 ジャパン・リスク・フォーラム
2006年 保険毎日新聞社より「アメリカの民間医療保険」を出版

レポートについてお問い合わせ
(取材・講演依頼)