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インフレ時代にオフィス市場で普及が進むと期待されるCPI連動条項

2025年06月23日

(佐久間 誠)

(オフィスビル総合研究所 主任研究員 松尾 和史)

1990年代半ば以降、横ばいで推移してきた日本の物価は近年上昇に転じ、日本経済は持続的インフレ局面へと移行しつつある。東京23区では、2023年12月以降、大規模オフィスビルの募集賃料が上昇傾向にあるものの、その伸び率は物価上昇や建設工事費の上昇と比較して限定的である。不動産は一般にインフレに強い資産とされるが、オフィス市場がその恩恵をどの程度享受できるかは依然として不透明である。こうした環境のもと、市場関係者の間では、インフレに対応した賃料設定や契約慣行の見直しが模索され始めている。なかでも、賃料を消費者物価指数(CPI)に連動させる等によって機械的に改定するグローバルスタンダードな契約方式であるCPI連動条項に対する関心がオフィス市場にも波及しつつある 。

本稿では、インフレ時代におけるオフィス市場の見方と、CPI連動条項の導入におけるポイントについて、アナリストの視点から解説する。

1――「失われた30年」からの脱却。インフレの時代へ

1――「失われた30年」からの脱却。インフレの時代へ

主要国のCPIを比較すると、多くの国が年2~3%の水準で上昇を続けているのに対し、日本のCPIは長年にわたりほぼ横ばいで推移してきた(図表1)。2013年に日本銀行が物価安定の目標としてインフレ率2%のインフレターゲットを導入したが、日本の物価は中々上向かなかった。しかし2022年以降、日本においてもインフレ圧力が高まり、CPIは2%を超える伸びを示すようになった。2025年4月時点においてもCPIは前年比3%超の伸びを記録しており、日本でもインフレが常態化する可能性が高まっている。

インフレが当たり前の時代では、オフィス市場においても、従来のデフレ的な経済観にもとづく戦略や分析手法を再検討する必要がある。

2――"名目"賃料は上昇傾向に

2――“名目”賃料は上昇傾向に、しかし“実質”的には割安な状態が続く

東京23区における大規模ビル(1フロア面積200坪以上)の募集賃料は2025年5月に27,419円/坪と、2023年12月以降、上昇傾向が続いている。これは、堅調なオフィス需要を背景に空室率が低下し、賃料引き上げの動きが広がっているためである。しかし、物価が上昇している状況下では、こうした賃料の上昇がどれほど市況の回復を反映したものなのかどうか、捉えるには注意が必要である。

オフィス市場の実勢を的確に捉えるには、物価変動の影響を除いた実質賃料に着目することが重要になる。本稿では物価の基調的な変動を考慮するため、天候に左右されやすい生鮮食品の影響を除いたコアCPI(全国、生鮮食品を除く総合)を用いて名目賃料を実質化した。2000年から2022年までの期間においては、コアCPIがほぼ横ばいで推移したため、一般に参照されることが多い名目賃料と、物価変動を考慮した実質賃料の間に大きな差はなかった(図表2)。しかし、2022年以降、名目ベースでは賃料が上昇した一方で、コアCPIが上昇に転じたことで実質ベースでは横ばい圏を維持しており、両者の乖離が広がっている。

従来の賃料上昇局面は、主として需給環境の改善に伴う市場の実力を反映した動きだと考えられる。しかし、今回の名目賃料の上昇が、市況の回復によるものなのか、それとも単に物価上昇を反映したものであるか、あるいはその双方の要因が混在しているのかについては、慎重な分析が必要である。少なくとも、実質ベースでの賃料が上昇していないという事実は、市場の回復が力強さを欠いている可能性を示唆している。このように、オフィス市場における賃料変動を評価する際に、従来の需給バランスに加え、物価動向についても考慮に入れることが重要になっている。
インフレが常態化している米国では、賃料は景気循環や賃貸市況の変動に応じてサイクルを描きながらも、長期的には物価に連動するかたちで上昇してきた(図表3)。今後、日本においてもインフレが定着すれば、米国と同様に、物価の上昇トレンドに沿った新たな市場サイクルが形成される可能性がある。日本でも、名目賃料の上昇率がインフレ率を上回るか否か、さらには賃料水準が過去のピークを更新するかどうかが、オフィス市場がインフレ環境に適応しているかを判断する上での重要な節目となる。

3――インフレ時代における賃貸借契約

3――インフレ時代における賃貸借契約:CPI連動条項とは

日本においては、インフレの恩恵を享受するためには、賃貸借契約の形態についても再考する必要がある。国内で一般的に用いられる賃貸借契約では、原則として契約期間を通じて賃料は一定であるため、期間中に物価が上昇した場合、その実質的な負担はオーナーが抱えることになる。期間内に賃料を改定することが契約上は可能な場合が多いものの、その際は借主と貸主による"協議"が必要となり、合意に至らなければ賃料の改定は実現しない。そのため、賃料が廉価な時期に入居したテナントが、その後も市場賃料を下回る水準で長期に渡り入居するようなケースもある。今後、インフレが持続的に定着した場合には、こうしたギャップがさらに拡大する可能性がある。

一方で、インフレを前提とした制度設計がなされている海外においては、既存テナントの賃料をCPIに連動させる等によって自動的に改定する条項を賃貸借契約に盛り込むことが一般的である。具体的な内容は契約によって様々であるが、基本的な考え方は、インフレ環境下において賃料の実質的な価値を維持するため、インフレに合わせて賃料を機械的に変更するというものである。

日本国内においても、契約期間が長期に及ぶ物流施設では、CPI連動条項の導入が進みつつある。物流不動産に特化したREITであるGLP投資法人では、ポートフォリオ全体の62%でCPI連動条項を導入しており、インフレ対応に向けた取り組みを進めている(2025年2月末時点)。

オフィスにおいても、CPI連動条項の導入に向けた検討が活発化している。現時点では、CPI連動条項を実際に導入した事例は非常に限られているが、大企業や外資系企業を中心に、CPI連動条項に関する交渉が各所で進められている。

オフィスビル総合研究所 主任研究員 松尾 和史

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