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コラム

「静かな退職」と「カタツムリ女子」の台頭-ハッスルカルチャーからの脱却と新しい働き方のかたち-

2025年05月19日

(金 明中) 社会保障全般・財源

最近、「静かな退職」や「カタツムリ女子」という言葉をよくマスコミから耳にする。Quiet Quittingを日本語に訳すと、「静かな退職」となるが、職場を静かに退社するという意味ではなく、職場で任された仕事だけを最低限にして、必要以上に働かないことを意味する。
 
「静かな退職(Quiet Quitting)」が注目され始めたのは、2022年に20代のニューヨーク在住のエンジニアが、TikTokに次ぎのような17秒の動画メッセージを発信してからだ。
 
"I recently learned about this term called quiet quitting, where you're not outright quitting your job, but you're quitting the idea of going above and beyond. You're still performing your duties, but you're no longer subscribing to the hustle culture mentality that work has to be your life. The reality is it's not. And your worth as a person is not defined by your labor."
 
この文章を日本語で訳すると、「最近、「静かな退職」という言葉を知った。これは仕事を辞めるわけではなく、必要以上の努力をやめるという考え方だ。業務はきちんとこなすけれど、「仕事が人生のすべてであるべきだ」というハッスルカルチャーの考え方からは距離を置くということだ。現実として、仕事が人生のすべてではない。そして、人としての価値は労働によって決まるものではない。」

という意味になる。
 
つまり、「静かな退職」は、与えられた職務をこなすことに変わりはないが、仕事が人生のすべてであり、仕事を全力で頑張る「ハッスルカルチャー(Hustle Culture)」には、もう従わないという姿勢である。
 
一方、「カタツムリ女子」は、英語の「Snail Girl」で、「成功を追い求めるよりも、自分を大切にしながらマイペースで働く女性」を意味する。女性起業家や、ビジネスにおいて主体的に活躍し、リーダーシップを発揮する女性を指す「ガールボス(Girl Boss)」とは反対の概念だ。
 
「カタツムリ女子」という言葉は、オーストラリアのビジネスウーマンであるシエナ・ラドビー氏が2023年に『Fashion Journal』誌に寄稿した記事「"Snail girl era": Why I’m slowing down and choosing to be happy rather than busy(カタツムリガール時代:私が忙しさよりもスローダウンし幸せであることを選択した理由)」に由来する。
 
ラドビー氏は、装飾用バッグのブランド「Hello Sisi」を立ち上げた人物である。記事の中で、元「ガールボス」と自認する彼女は、ガールボス的なスタイルを捨て、よりゆったりとした生活ペースを選ぶようになったと述べている。彼女は「カタツムリ女子」について、「依然として野心はあるが、自分のペースで歩み、成功のために身体的・精神的な健康や幸せを犠牲にしない生き方」だと説明する。幸せと自己ケアを最優先する「カタツムリガール」のライフスタイルは、若い女性の間で広がりつつあり、TikTokやInstagramなどのソーシャルメディアには、森を歩いたり、ビーチや部屋でリラックスしたり、本を読んだりする彼女たちの動画がアップロードされている。
 
以上で説明した「静かな退職」や「カタツムリ女子」は、昔とは異なる新しい働き方であり、日本でも少しずつ認知され始めている。
 
株式会社マイナビが20~59歳の正社員を対象に2025年4月に実施した「マイナビ 正社員の静かな退職に関する調査2025年(2024年実績)」によると、正社員の44.5%(「静かな退職をしていると思うか」という質問に対し、「そう思う」14.5%と「ややそう思う」30.0%と答えた人の割合の合計)が「静かな退職」をしていることが分かった。年代別には、20代が46.7%で最も高く、次いで50代(45.6%)、40代(44.3%)、30代(41.6%)の順であった。
 
また、「静かな退職」をしている人の57.4%が「静かな退職」で「得られたものがある」と回答した。得られたものとしては、「休日や労働時間、自分の時間への満足感」(23.0%)、「仕事量に対する給与額への満足感」(13.3%)、「職場内の良好な人間関係」(12.7%)が上位3位を占めた。

一方、2025年3月に企業の中途採用担当者を対象に実施した調査結果によると、「静かな退職」について、賛成(「賛成」14.1%と「どちらかと言えば賛成」24.8%の合計)が38.9%で、反対(「反対」14.6%と「どちらかといえば反対」17.5%の合計)の32.1%を6.8pt上回った。業種別には「IT・通信・インターネット」、「金融・保険、コンサルティング」、「運雄・交通・物流・倉庫」で反対より賛成が多かった。一方、「不動産・建設・設備・住宅関連」、「流通・小売」では賛成より反対が多いという結果が得られた。以上の結果は、「静かな退職」に対する評価が業種特性や職場文化によって大きく異なることを示唆している。
日本国内で人手不足が深刻化する中、女性の労働市場への参加は着実に進展している。こうした状況を踏まえると、今後は「カタツムリ女子」と呼ばれる新たな働き方の重要性が高まる可能性がある。ただし、日本において出産や育児を経験した女性が「カタツムリ女子」として働くためには、依然として多くの課題が残されている。特に、依然として「長時間労働・高報酬」といった「どん欲な仕事」がキャリア成功の鍵とされているため、仕事と家庭の両立は依然として困難な状況にある。
 
残業や休日出勤、深夜勤務によって収入が増える一方で、会社に長時間滞在するほど評価されるような現行の仕組みは、「カタツムリ女子」としての働き方を望む女性たちの労働市場への参加を妨げる要因となっている。男性の長時間労働を減らし、家事や育児への参加時間を増やすとともに、男性の働き方も、仕事や成功を最優先とする「どん欲な仕事」から、育児や家事に柔軟に対応しつつ労働市場に参加できる「柔軟な仕事」へと変わっていく必要があるかもしれない1
 
「静かな退職」や「カタツムリ女子」という価値観は、従来の「仕事中心の人生」から、「自分らしさ」や「心の安定」を重視する生き方への移行を象徴している。特に若い世代を中心に、キャリアの成功だけでなく、プライベートの充実や精神的な余裕を求める傾向が強まっており、企業側もこうした変化に対応した柔軟な働き方を模索する必要があるだろう。
 
1 「どん欲な仕事」と「柔軟な仕事」という用語は、クラウディア・ゴールディン (2023)『なぜ男女の賃金に格差があるのか:女性の生き方の経済学』慶應義塾大学出版会(鹿田昌美翻訳)を参考。

生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中(きむ みょんじゅん)

研究領域:社会保障制度

研究・専門分野
高齢者雇用、不安定労働、働き方改革、貧困・格差、日韓社会政策比較、日韓経済比較、人的資源管理、基礎統計

経歴

プロフィール
【職歴】
独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職

・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
・2015年~ 日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
・2021年~ 専修大学非常勤講師
・2021年~ 日本大学非常勤講師
・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
・2022年~ 慶應義塾大学非常勤講師
・2024年~ 関東学院大学非常勤講師

・2019年  労働政策研究会議準備委員会準備委員
       東アジア経済経営学会理事
・2021年  第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員

【加入団体等】
・日本経済学会
・日本労務学会
・社会政策学会
・日本労使関係研究協会
・東アジア経済経営学会
・現代韓国朝鮮学会
・韓国人事管理学会
・博士(慶應義塾大学、商学)

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