日本における在職老齢年金に関する考察-在職老齢年金制度の制度変化と今後のあり方-

2025年03月31日

(金 明中) 社会保障全般・財源

III.高齢者の労働市場参加の現状

1970年代までには55歳が一般的だった日本の定年年齢は、平均寿命の上昇や出生数の減少による労働力不足等の影響によって、継続的に引き上げられてきた。政府は高年齢者雇用安定法を改正することで、1985年に60歳定年を努力義務とし、1994年には法を改正して60歳定年を義務化する規定を設け、1998年からは60歳定年を施行した。

2004年の「高年齢者雇用安定法」(2006年4月施行)では、定年が65歳未満の企業に対して、(1)65歳までの定年延長、(2)定年廃止、(3)定年後も労働者を雇用する継続雇用制度(再雇用制度と勤務延長制度)のいずれかを選択して実施することを義務化した。

ただし、企業が継続雇用制度を選択して実施する場合には、継続雇用制度の対象者を選定する基準を労使協定で設定できるようにしたため、希望するすべての労働者が継続して勤務することはできなかった。 また、労働者が実際には継続雇用制度を希望しているにもかかわらず、企業が設定した基準に自分は該当しないと自ら判断し、継続雇用を希望しない事例も頻繁に発生した。

そこで、政府はこのような問題点を改善するため、2013年4月から新しく改正された「高齢者雇用安定法」を施行し、労使協定によって対象者を選定する基準を法的に禁止した。また、2013年の改正では、60歳定年後も引き続き勤務できる企業の範囲をグループ企業まで拡大した。高年齢者雇用確保措置を実施していない企業に対しては、労働局と公共職業安定所であるハローワークが指導を行い、指導後も改善しなかった企業は是正勧告の対象となる。

さらに、勧告を受けた企業は公共職業安定所からの求職活動ができなくなり、助成金の支給も停止される。また、企業が勧告に従わない場合には、企業名が公表される。企業名が公表されると、コンプライアンス(compliance)に対する意識が低い会社として認識され、企業に対する評価が下がり、結果的に優秀な人材の採用が難しくなるため、ほとんどの企業は高年齢者雇用確保措置を実施している状況である。

厚生労働省が2023年12月に発表した調査結果によると、2023年6月1日現在、約99.9%の企業が上記3つの措置のうち1つを選択して高年齢者雇用確保措置を実施していることが分かった。さらに、2021年4月からは、2020年4月に公布された「改正高年齢者雇用安定法」の施行により、70歳まで現役で働くことが可能になった。

改正法の施行により企業は(1)70歳までの継続雇用制度の導入、(2)70歳までの定年の引き上げ、(3)定年制の廃止、(4)70歳まで継続的に業務委託契約を結ぶ制度の導入、(5)70歳まで企業自らのほか、企業が委託や出資等する団体が行う社会貢献活動に従事できる制度の導入のうち、いずれかの措置を講じることが努力義務として追加された。

政府が70歳雇用を推進するなど高年齢者の労働市場参加を奨励する政策を実施する主な理由は、(1)少子高齢化の進展による労働力不足に対応するとともに、(2)社会保障制度の持続可能性を高めるためだ。これまでの政府の高年齢者雇用政策が公的年金制度の受給開始年齢の引き上げとともに実施されてきたことに比べて、2020年の改正では公的年金の受給開始年齢の引き上げがない中で、70歳雇用の努力義務が課された。つまり、これまでは年金の受給開始年齢に合わせて退職する時期を決めていたが、これからは年金の受給開始年齢とは関係なく、高年齢者が個人の希望に合わせて退職する時期を決めることになったのだ。

政府が継続的に高年齢者雇用促進政策を推進した結果、労働市場に参加する高年齢者は年々増加している。60~64歳と65~69歳の高年齢者の就業率は、「改正高年齢者雇用安定法」施行前で、低在老の在職老齢年金について一律に年金の2割を支給停止する仕組みを廃止した2005年の52.0%(男性65.9%、女性39.0%)と33.8%(男性45.0%、女性23.7%)から、2023年には74.0%(男性84.49%、女性63.8%)と52.0%(男性61.6%、女性43.1%)と大幅に上昇した。

2023年における労働力人口のうち65~69歳の者は394万人、70歳以上の者は537万人であり、労働力人口総数に占める65歳以上の者の割合は13.4%と長期的には上昇傾向にある。

IV.在職老齢年金と高年齢者の就労との関係

IV.在職老齢年金と高年齢者の就労との関係

1.在職老齢年金の支給停止が高年齢者の就労意欲に与える影響
2024年4月時点の在職老齢年金は、60歳以降に老齢厚生年金を受け取りながら働く場合、「老齢厚生年金の基本月額」と「総報酬月額相当額月」の合計額が50万円を超えると、年金が減額されることになっている。ただし、この金額には老齢基礎年金は含まれず、働く場合でも全額支給される。一方、厚生年金の支給開始年齢は2025 年(女性は 2030 年)から 65 歳になるので、65歳以上の人の在職老齢年金は2025年で終了し、65歳未満の人のみ在職老齢年金が適用されることになる。
在職老齢年金は一定以上の収入がある高年齢者の場合、働くほど年金が減額・停止されるため、在職老齢年金制度が高年齢者の就労意欲を削いでいるとの指摘も少なくない。実際、2018年度末時点で65歳未満の在籍している年金受給権者120万人のうち、基準額28万円を超えて年金支給が停止された人は67万人で在職受給権者の55%を占めた。一方、2022年度末時点で65歳以上の在籍している年金受給権者287万人のうち、当時の基準額48万円を超えて年金支給が停止された人は49万人で在職受給権者の17%を占めており、支給停止対象額は約4,500億円に至った。
厚生労働省年金局(2019)が厚生年金を受け取る年齢になったときの働き方について聞いたところ、「年金額が減らないように、収入が一定の額に収まるよう就業時間を調整しながら働く」が46.8%で最も高く、「老後どのように働くかどうかと、年金額が減ることは特に関係ない」の25.4%を大きく上回った。「年金額が減らないように、収入が一定の額に収まるよう就業時間を調整しながら働く」と回答した割合を年齢階層別にみると、49歳以下が57.5%で最も高く、若い世代ほど年金額の減少が就業に負の影響を与えていることが分かった。
また、2024年3月に内閣府が公表した「生活設計と年金に関する世論調査」によると、「厚生年金を受け取る年齢になったとき、どのように働きたいと思うか、また、既に厚生年金を受け取っている場合は、現在の就労状況に近いものはどれか」の問に対し、44.4%の方が「年金額が減らないように、就業時間を調整しながら会社などで働く」と回答しており、厚生労働省の2019年調査とほぼ同じ結果となっている。

ただし、「働かない」と回答した割合は2024年調査が23.6%で、2019年調査の「年金額が減るのを避けるため働かない」(4.9%)を大きく上回った。特に、60~69歳と70歳以上はそれぞれ25.9%と41.3%に高く、高年齢者にとって在職老齢年金制度の存在は他の年齢階層と比べて「労働市場進入の壁」になっている可能性が高いことが伺える。

生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中(きむ みょんじゅん)

研究領域:社会保障制度

研究・専門分野
高齢者雇用、不安定労働、働き方改革、貧困・格差、日韓社会政策比較、日韓経済比較、人的資源管理、基礎統計

経歴

プロフィール
【職歴】
独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職

・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
・2015年~ 日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
・2021年~ 専修大学非常勤講師
・2021年~ 日本大学非常勤講師
・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
・2022年~ 慶應義塾大学非常勤講師
・2024年~ 関東学院大学非常勤講師

・2019年  労働政策研究会議準備委員会準備委員
       東アジア経済経営学会理事
・2021年  第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員

【加入団体等】
・日本経済学会
・日本労務学会
・社会政策学会
・日本労使関係研究協会
・東アジア経済経営学会
・現代韓国朝鮮学会
・韓国人事管理学会
・博士(慶應義塾大学、商学)

レポートについてお問い合わせ
(取材・講演依頼)