なぜ「ひとり焼肉」と言うのに、「ひとりコンビニ」とは言わないのだろうか-「おひとりさま」消費に関する一考察

2025年03月24日

(廣瀬 涼) 消費者行動

本レポートのポイント

・「ひとり」は属性から概念へ
・コロナ禍をきっかけに「おひとりさま」で行動ができるようになったことが「ある」人は21.2%
・「おひとりさま」消費という言葉を使う事への疑問
・「ひとり」行動を阻む「資源」「環境」「自意識」「対応力」の4つのハードルがある

1――「#ぼっち参戦」「#ひとり参戦」

1――「#ぼっち参戦」「#ひとり参戦」

先日、昔読んだ日経新聞のある記事を思い出した。1998年8月1日の「海外旅行、減少の本当の理由――若者が目的失う、「ミエ需要」も一巡」という記事だ。25年前以上前の記事で「若者の旅行離れ」が問題視されていたわけだが、筆者が思い出したのは、当時の二十代の若者の旅行が好奇心の赴くままに旅行はせず、明確な動機を持った「ピンポイント旅行」のフェーズに移行しているという点だ。同記事によるとJTBはその春、ミラノ、フィレンツェのアウトレット店巡りツアーに三カ月で800人もの若い女性を集めたという。参加者の狙いはグッチのアウトレット。JTBは、半日観光や美術鑑賞をコースに組み込まず、買い物に絞ったことがヒットの要因だったと分析している。当時、このピンポイント旅行者は継続的な旅行経験に繋がらないという理由から若者の海外旅行離れの要因の一つとして指摘されていた。しかし、それから20年、2019年にJTB総合研究所からリリースされた調査研究によれば、旅行は「目的」から趣味や自己実現の「手段」になり多様化していることが示唆されている。個人の価値観やライフスタイルの多様化とともに旅行スタイルも変化しており、中でも、その場所でしか消費できないコトがあるからその場所に行く、という目的を達成するケースが増えている。

典型的な例がスポーツ観戦やコンサートへの参加だ。自身の生活圏で観戦できることに越したことはないが、往々にしてイベントが開催される各地の会場に自らが出向かなくてはならない。特にいわゆる推し活と呼ばれるような熱心に自身の「好き」と向き合う層にとっては、推しに会う事ができる「現場(コンサートやイベントの事)」が何よりのモチベーションになっており、足繁く通うし、彼らの中には一人でそのようなイベントに参加するものも少なくない。博報堂生活総合研究所が行った「ひとり意識・行動調査」では1993年と2023年の消費者の「ひとりで行くことが多い場所・どちらかといえば1人で行きたい場所」を比較調査しているが、"コンサート"は「1人で行くことが多い」が11.5%(93年:5.7%)で5.8ポイント、「どちらかといえばひとりで行きたい」が13.6%(93年:8.4%)で5.2ポイント、それぞれ増加している。

現実社会において自分の価値観や趣味を理解したり、同じような熱量で消費している人を探すことは極めて困難なため、一人でイベントに参加したり、現地で同じ界隈(特定の趣味や関心、行動パターンを共有する人々のグループ)の中で仲間を見つける方が楽である。そのため、他に一人で参加している仲間を見つける、もしくは自分を見つけてもらうために、SNSで「#ぼっち参戦」「#ひとり参戦」などのハッシュタグを用いて繋がろうとする1
 
1 一人でも消費できてしまうという自己肯定感の表れとしてポジティブなブランディングとして使用されていることもある。1人で参加することをむしろステータスして肯定する言葉として使用しており、そのようなイベントに行ってみたいけど一緒に誰かが行ってくれないと心細いという層(身体的に困難、年齢的に難しいなどの理由を除く)に対して、本当に好きなら1人でも行くことはできる、という意思の表れにも繋がる。

2――「おひとりさま」という言葉が持つ2つの「いない」

2――「おひとりさま」という言葉が持つ2つの「いない」

このようなイベントへの参加に限らず、「ぼっち飯」や「ひとり○○」「おひとりさま」といった言葉が使われ、鍋・焼き肉は、日本でも一人で食事をすることの難易度が高いものとして扱われている。マーケティング・リサーチ会社のクロス・マーケティングが実施した「おひとりさま消費に関する調査(2022年)」によると、「鍋・しゃぶしゃぶ」「食べ放題」「焼肉」などが"ひとり外食"する際に抵抗感がある飲食店としてあがり、概ね女性はどのジャンルでも"ひとり外食"に抵抗を感じる傾向にあるようだ2
「おひとりさま」を実用日本語表現辞典で調べると、

(1)飲食店などに一人で訪れる客を指す表現。主に店側が用いる言い方。
(2)婚期を逃した女性を指す言い方。いわゆる「行かず後家」のことであるが、独身を謳歌しているというニュアンスを込めて用いられることもある。

と2つの意味が出てくる。

日常場面ではというと、この「おひとりさま」という言葉には、結婚していない・付き合っている人がいないという「縁がない状態3」と、何かを消費する際に「一緒に消費をしてくれる人がいない状態」の2つの要素が含まれていると思われる。消費の側面でおひとりさまが否定的に捉えられてしまうのは、一人で何かを消費している人を外野が勝手に「一緒にしてくれる人がいない」と蔑んでいるからであり、かわいそうな事として捉えられてしまうのだろう。

状況も知らずに、その人がただ一人で消費しているという状態を見て、自分のために時間や労力を割いてくれる人がいないという交友関係の貧しさ、誰からも気にかけてもらえないという孤立感、「この人と一緒に過ごしたい」と思ってくれる人がいないという「他者からの評価の低さ」などを重ね合わせてしまうため「おひとりさま」=「かわいそう」という関係式が生まれることになる。おひとりさまという言葉を使うのはいつだって、本人ではなく、それを見た他人なのだ。

「縁がない状態」も「一緒に消費をしてくれる人がいない状態」も、「いない」ことに対して否定的に捉えられてしまっている、もしくはそれが特別な事かのように扱われていることが、個人の"選択の自由"や"消費の自由"といった多様性が踏みにじられているような気すらする。

「縁がない状態」という意味でのおひとりさまという言葉も、伴侶やパートナーがいることを良い事(普通)であるという前提に立ち、そうではない状態を否定する意味合いで用いられ、「おひとりさま」であることは「かわいそうなこと」として取り扱われてきた。一方で、マンガやドラマ、アニメに至るまで独身の男女が一人で黙々と食事するだけのシーンも目につくようになり、「おひとりさま」を推奨するようなコンテンツも近年増えてきたが、そもそもそれを敢えて題材にしているという事は、そのこと自体が特別な事であるといった社会的コンテクストが成立しているからであろう。

しかし、そもそもこの言葉を提唱した岩下久美子氏の定義では「「個」の確立ができている大人の女性」「"自他共生"していくためのひとつの知恵」といったように、独身、既婚に関わらず「自立した女性」というポジティブな生き方や哲学が込められている。また、結婚観から見ても適齢期が来たら結婚するのが普通という価値観が定着していた時代があるからこそ4、一人でいることを肯定するためにそのような言葉が敢えて使われていたと言えるだろう5

このように考えていくと、この「おひとりさま」という言葉を使う場合は注意が必要である。一人での消費行動を純粋に消費の一形態として客観的に評価するのはいいが、そこに「かわいそう」などのネガティブな主観的な評価が入ってはいけないと思う。
 
2 クロス・マーケティング「おひとりさま消費に関する調査(2022年)外食編」2022 / 12 / 15
 https://www.cross-m.co.jp/report/20221215alone
3 昨今では伴侶と死別した後の老後という側面で語られることも多い。
4 適齢期には結婚すべきだという偏見がこの令和の時代に残念ながら残っており、その偏見に苦しめられている人がいるという事は留意する。
5 "選んで"一人でいるという個人の権利や選択が理解されないから「おひとりさま」という言葉でラベリングするなど、ポジティブな動機の下、敢えてその言葉が使われていることもある。主に「縁のない状態」で使われるが、消費においても1人で消費する事を他人が理解しないから、それを肯定するために敢えて使うこともある。

3――日本の「ひとり」史

3――日本の「ひとり」史

1970年代は、1億総中流社会と表現されるように、みんなが同じ豊かさを求めていた時代であり、みんな同じ、従ってみんなと異なる行動が難しい時代であった。1980年代に入ると組織や制度から脱却し個性が求められるようになり、「ひとり」という状態がアイデンティティとして成立したり、社会(普通の状態)から逸脱していること自体を特殊な状態として記号化されることもあった。「独身貴族」「家庭内離婚(86)」「成田離婚(90)」「バツイチ(92)」「シングルマザー(94)」などのラベリングがされるようになったのは正に80年代から90年代前半にかけてであり、子どもの個食や家庭内での個食などが問題視され始めたのもこの頃だ6

その後、バブル崩壊や震災を経て、「ひとり」でいることが不安を生み出す要因として捉えられるようになる。この頃には、「ひきこもり(94)」「パラサイトシングル(97)」「便所飯」「ぼっち」「リア充・非リア充」「婚活(09)」「無縁社会(10)」など、一人でいる状態に対するレッテル的造語が多く生まれた。併せて「ひとり」を肯定的に捉える「おひとりさま」が2005年に流行語にノミネートされ、2009年にはTBS系列で「おひとりさま」というドラマが放送された。このような背景から所謂「おひとりさま」市場が拡大し始め、「ひとり○○」というカテゴリーが市場に浸透していき、普通複数人でやる(消費)ことに対して、一人で消費するというコト、もしくは一人で消費できる環境の提供が付加価値となっていった。「ソロ充」「ソロ活」など一人で何かを消費するコトそのものがコンテンツとして成立していった時代でもある。

そして2020年には新型コロナウイルスが流行したことで、コロナ禍における「3つの密(密閉空間、密集場所、密接場面)」によって人との接触を回避するために、一人で行動することが推奨され、「ひとり」消費がさらに定着していった。
 
6 博報堂生活総合研究所(2024)『「ひとりマグマ」に関する講演に「「個」の時代の新・幸福論」』「日本の「ひとり」史」,p22を参考に執筆。詳しくはhttps://seikatsusoken.jp/miraihaku2024/data/ を参照されたい。

4――「さーて、今から一人で焼肉に行っちゃうぞ~!!」

4――「さーて、今から一人で焼肉に行っちゃうぞ~!!」

飲み会などでも自分が席を外している最中に自分の陰口を言われたくない、自分がいない場で盛り上がっていたら嫌だという疎外感は不安となってトイレに行くのすら難しいと考える者も多い。一人で消費できる人がいれば、一人では消費できない人がいるのであり、一人で消費できなくても悪いことではなく、それは個人の選択であり尊重されるべきであろう。ただ、複数人で消費するコトを肯定するあまり、一人で消費するコトや、消費している人を蔑んだり、ラベリングしたり、特別なモノとみなして、一人でいる状態を異質なものとして考えることはやめるべきである。

筆者が一人消費に対するネガティブ感覚に否定的なのは、筆者自身がそれこそ飲食店などに一人で訪れる客、を指す表現としての「おひとりさま」としての消費機会が多く、ひとり焼肉、ひとり海外旅行、ひとりテーマパークなど、「ひとりである」ということを好む消費者であり、なによりその合理性を知っているからである。そのような所謂「ひとり○○」を行う時に、「さーて、今から一人で焼肉に行っちゃうぞ~!!」なんて心構え7はしてはいない。隣で食べている家族連れ同様に、ただ焼き肉を食べに来ただけであって、それ以上の意味など存在しない。

今や消費者の大半が何かしら大なり小なりの「ひとりで消費活動」を行っており、普通ではないとレッテルを貼ること自体ナンセンスだ。性別や年齢、婚歴の有無といったカテゴライズの前に、我々は個人であり、一人の消費者である。自身の資源(金・時間)を有効に活用し、効用を最大化し、機会損失を防ごうとするためには、一人で消費した方が合理的なことも多いはずだ。

1950年代にテレビが家庭に普及し始めた当時、一台のテレビを家族で、場合によっては近所で共有していたため「チャンネル争い」が絶えなかったという。その場にいるすべての人が満場一致で見たいモノを視聴するという事は困難であった。

他人と共同するということは、楽しみや話題を共有出来たり、孤独でないという状態に安心感を得ることができる。また、費用を割り勘することができたり、安全の側面から見てもリスクの軽減につながるといったメリットがあるのも確かだ。

また、誰かと時間やお金を消費するコトは、帰属欲求や共感欲求を充足することに繋がる。何を消費するかよりも「誰」と消費するかが重視されることもある。この時、消費の目的はもちろんその消費によって見出される直接的効用ではあるが、その人と過ごした時間が付加価値を生み出している。場合によっては、その人と時間を過ごすために何かを消費するという直接的効用がおまけになっている時もある。

しかし、先ほどのテレビの例に限らず、友達や家族で出かけたとしても、行き先や食べるモノ、そこで費やす時間や、そこで使える予算が一致しない結果、ストレスやもどかしさを感じることはないだろうか。そのような面からみると、ひとりで消費するということに対して、他人がその光景から"一緒に消費してくれる人がいない・いなかった"、と勝手に解釈し、それを「記号化」し、寂しい人、孤独な人、変わっている人といった具合に、社会が構築したネガティブなコンテクストを勝手に付与するのはお門違いで、あえて一人という選択をしているという、消費の仕方の多様性の側面から解釈されるべきであろう。冒頭で挙げた、コンサートに行きたいのに一緒に行ってくれる同じ趣味の人がいないから諦めるというのも、自分自身の趣味であるのに、他人の存在に依存しなくてはいけないことになり、非合理的だ。
 
7 このような心構えの下行われる消費はどちらかといえば「1人である」という事に付加価値を見出したコト消費的であると筆者は考える。1人であることにエンターテインメント性を見出しているのだ。

生活研究部   研究員

廣瀬 涼(ひろせ りょう)

研究領域:暮らし

研究・専門分野
消費文化論、若者マーケティング、サブカルチャー

経歴

【経歴】
2019年 大学院博士課程を経て、
     ニッセイ基礎研究所入社

・公益社団法人日本マーケティング協会 第17回マーケティング大賞 選考委員
・令和6年度 東京都生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課広報関連審査委員

【加入団体等】
・経済社会学会
・コンテンツ文化史学会
・余暇ツーリズム学会
・コンテンツ教育学会
・総合観光学会

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