保険の社会的サステナビリティ-「差別」が「差別化」に入り込まないようにするには…

2024年12月03日

(篠原 拓也) 保険計理

4――アクチュアリーの保険数理的対応

前章に挙げた社会的サステナビリティへの対応は、保険数理やリスク管理の面で、さまざまな問題を引き起こしかねない。本章では、その解決策について検討してみたい。
1|真のリスクを超えるリスクについて引受を制限
富裕層がセカンドハウスの取得のために住宅ローンを活用する場合に信用生命保険に加入することがある。ペーパーでは、こうした保険は、真のリスクを超えるものとしている。そして、こうした保険ばかりを取り扱う保険会社があれば、自社と業界の評判を深刻に傷つける可能性があるとしている。

解決策として、保険業界にさらなる規制を導入して、真のリスクを超えるリスクについて引受を制限することが考えられる。ただし、こうした制限が広がると、保険会社のリスク分担能力が低下してしまう恐れがある点にも、留意が必要と考えられる。
2|差別を防ぐためにリスク区分について慎重な検討が必要
(1) 相関関係や因果関係の検討
健康保険で、過去の健診データや診療データの分析を踏まえて、危険選択を行い、保険料を差別化することが、差別につながらないようにする必要がある。そのためには、アクチュアリーと引受査定者は、リスク区分とリスクを示すデータの相関関係や因果関係を検討する必要がある。例えば、顧客の住所を表す郵便番号を危険選択に用いることは、結果的に富裕層の暮らす地域と貧困層の暮らす地域を区分することにつながる場合がある。そして、貧困層の顧客にとっては好ましくない保険料の上乗せを行うことになりかねない。

(2) 顧客にとってのコントロールの可能性
また、保険会社は、リスク区分の要因が顧客のコントロール可能なものか、合理的なコントロールができないものかを見極める必要がある。例えば、性別、民族的背景、遺伝や、洪水発生の可能性が高い地域での居住はコントロール困難であろう。一方、自動車等の運転行動、喫煙習慣、健康的なBMIの維持は、比較的コントロールしやすいものとみられる。なお、性別と民族的背景は、いわゆる保護属性(protected attributes) として、不公正バイアス混入の原因とされるものであり、いくつかの国ではこうした属性に関するデータの収集や分析が禁止されている。婚姻状況、性的指向、宗教、政治的見解も保護属性として含まれることが一般的とされる。

(3) 既に定着している慣行
さらに、既に使用され、市場慣行として定着している料率設定要因の中にも、新たな研究や理解によってバイアスがあることが明らかになり、見直すことが求められることがある。例えば、米国では、自動車保険、健康保険、生命保険のリスク評価に、信用スコアシステムが用いられるが、これには、人種的偏見が含まれているとされるため、使用を再考する必要があるとの見解もある。

(4) 間接的な差別
直接的な差別に加えて、間接的な差別も存在する。これにより、保護属性に代わって意図せずに差別が行われることもある。例えば、自動車保険で、保険の対象となる車の色をリスク区分に用いる場合を考えてみる。一般に車の色は性別で好みが分かれることが多く、この場合は車の色が性別の属性を代理することとなる可能性がある。また、健康保険のリスク区分として、被保険者の名前を用いるとする。名前は、民族的背景を映す可能性が高いため、民族的背景を代理してしまう恐れがある。
3|保険の包摂には、適度な保障のシンプルさが必要
(1) 保険の包摂の原動力
欧州における、がん生存者の忘れられる権利のような、保険の包摂についても検討が必要となる。ペーパーによると、保険の包摂の原動力として、保険の加入可能性、加入の容易さ、手頃な保険料の3つの要素があるという。これらを高めるためには、保険サービスを利用しにくい層のリスク研究を進めるとともに、募集チャネルの多様化や加入プロセスの簡素化、諸規制の整備などが必要となる。

(2) 包摂の確保と引受けリスクの増大
なお、保険の包摂の確保と、引受リスクの増大には、一般に連動性があるものとみられている。

保障内容や加入手続きがシンプルな保険商品ほど、加入がしやすく包摂が高まりやすい。一方、そうした保険商品には、リスクの高い顧客が混入しやすく、引受リスクが増大しやすい。リスクの増大に対応して、保険料を引き上げれば、手頃な保険料での加入に支障が生じかねない。

この場合、他の保障とセットで加入する(例. 死亡保険と生存保険のセット販売)ことにより、リスクの相殺を図ることも考えられる。ただし、これは顧客にとって不必要な保険への加入を促進してしまう可能性があり、保険会社のコンダクトリスクを引き起こす恐れがある。

アクチュアリーや商品開発担当者は、保険の包摂を踏まえた保険商品開発を模索する必要がある。

5――おわりに (私見)

5――おわりに (私見)

本稿では、保険の社会的サステナビリティについて見ていった。保険業界や保険会社に求められるESGとして、保険引受の社会的サステナビリティを高めることは必須の要素になっていくものと考えられる。

今後も、保険業界や保険会社のさまざまな取組みを注視していくこととしたい。

(参考文献)
 
"Social Sustainability in Insurance : What, Who, and How"(AAE, Feb. 2024)
 
「ESG情報開示枠組みの紹介 SASBスタンダード」(日本取引所グループホームページ)
 
「関連法務トピックス(2024年1月) -欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)-」(ESG/サステナビリティ関連法務ニュースレター, PwC Legal Japan News)
 
「世界人権宣言 (全文)」(アムネスティ日本ホームページ)
 
"Report on strengthening Europe in the fight against cancer – towards a comprehensive and coordinated strategy"(European Parliament, 2022)
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