人手不足がインフレ要因であるとするとき、「労働需給のひっ迫→賃金上昇(企業の投入コスト上昇)→物価上昇(物価への転嫁)」という経路が想定されていると思われる。
欧米ではコロナ禍以降、これら労働需給のひっ迫、賃金上昇、物価上昇が見られた。また、例えば後半の矢印(→)である企業の投入コストを物価への転嫁することについては、コスト負担以上の値上げを行って利益を増加させようとする姿勢が「強欲インフレ(greedflation)」と呼ばれ、インフレ助長要因として中銀から警戒された。
ただし、人手不足がインフレの直接的な要因になっているかについては、より慎重に判断すべきだろう。
経済理論には「古典派の二分法」という考え方がある。この考え方では、物価は労働市場や財市場などの実体経済の状況とは独立して(無関係に)動く。物価の影響が加味される名目値も実質値と独立して動く。この視点では、実体経済の変化である人手不足(つまり労働需給のひっ迫)はインフレ(物価の変化)とは関係なくなる。
実際には、物価も実体経済と密接に関係しているし、最近はインフレへの注目度が高まっていることは指摘した通りである。ただし、長い視点で見た時に、労働市場や財市場での需給が最終的に及ぼす影響は、物価の影響を除いた「実質値」であると考えることはできる。
この視点では、仮に労働市場の需給ひっ迫により、労働市場の価格の上昇を通じて需給が調整されるように働く場合(「労働需給のひっ迫→賃金上昇」)は、実質の賃金が上昇する。つまり、労働の価値がモノの価値と比較しても上昇し、インフレ率を超えるような賃金上昇圧力を生む。「労働需給のひっ迫→賃金上昇」という経路では「実質」賃金が上昇する。
この考え方をもとにすれば、「労働需給のひっ迫→賃金上昇圧力→物価上昇」という経路を「労働需給のひっ迫→実質賃金上昇」という実体経済の関係をあらわす部分と、そうでない「賃金上昇→物価上昇」という部分に分けられる。また、実体経済が変化しない場合、物価上昇が起きると実質値に影響を与えないように、物価上昇分だけ賃金も上昇することになる(「物価上昇→賃金上昇」)。つまり、物価と賃金は同じように上昇する(「物価上昇⇔賃金上昇」)。
人手不足がインフレの直接的な要因になっている場合には、「労働需給のひっ迫→実質賃金上昇」が観察されると見込まれるが、「実質賃金上昇」は日本やユーロ圏では生じていない。コロナ禍以降の実質賃金上昇率は依然としてマイナスで、コロナ前と比較した購買力は減っている。そのため、名目の賃上げ圧力は強いが、単に「物価上昇→賃金上昇」という物価上昇分だけ賃金が上昇しようとする動きから生じている可能性もある。賃金上昇が労働需給のひっ迫を解消させようとする動きから生じているのか物価へのキャッチアップなのか、現段階では区別が難しいと思われる(図表2・3)
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