公共住宅政策が評価されているシンガポール政府は、手頃な価格の「政府組屋(HDB Flat)」を大量に市場に供給してきた。シンガポールの2020年国勢調査によると、約8割の人が「政府組屋」に居住している
5。「政府組屋」と一般の住宅との主な違いは、組屋の建設用地は政府によって提供されるため、価格が手頃であること、及び、該当する物件は99年間等のリースホールド(借地権)条件による点である。シンガポールのリースホールドは、元々英国領であったことに端を発しており、国が付与した不動産に対する有期の排他的支配権・使用権であり、絶対所有権と同様に売買が可能である。ただし、リース期間が満了すれば国に返還するか、リース契約を更新する必要がある。この制度は、中国の地方政府による土地の使用権譲渡
6や日本の定期借地制度の仕組みと類似している。
シンガポールには、雇用主である企業と被雇用者である従業員が給与の一定額を強制的に積み立て、これを中央積立基金庁(Central Provident Fund, CPF)が運用し、政府が社会保障制度の一環として、老後の資金として支給する、あるいは積み立てた金額の一部を住宅の取得資金として利用できる仕組みがある。この制度は、中国の住宅公積金
7の仕組みと類似しているが、その大きな違いは、シンガポールの政府組屋を初めて取得する世帯
8だけに限り、世帯構成、世帯所得や新築・既存住宅などの条件に応じて、4万~16万シンガポールドルの補助金を受けることができる点である
9。
シンガポールでは上記のように土地制度と別に中央積立基金庁からの資金が連携される形で、低所得者から中所得者まで、多くの市民に対し、手頃な価格で確保できる住宅を供給している。
もうひとつ、中国とは異なる重要な制度の違いは、シンガポールでは、政府が土地の売却を行った場合、その売却による収入を直接政府支出として活用することができない仕組みが採用されている点である。理由は、実際の住宅ニーズよりも財政上のニーズを満たすために、政府機関が高い金額による入札を優先して土地を売却することを回避するためである
10。
入札額が高くなると土地や住宅価格の上昇を招くことに加え、政府が土地売却収益に依存し過ぎることは、景気後退時に政府の歳入不足をもたらす可能性がある。これはまさに現在、中国の一部地方都市で発生している問題の根本的な要因である。
近年、住宅価格の高騰に対応して中国政府は保障性住宅の供給に力を入れているが、期待通りの成果が上がっていない。従来から中国では、一般の持ち家取得が社会的な安定と成功の象徴とされてきており、親族や知人から借金してまで家を購入したいという持ち家志向が強い。このため、低所得者であることを認めて保障性住宅に入居することを拒絶する人が多く、保障性住宅政策は十分に機能していないのが実態である。
また、保障性住宅は開発費用が抑えられているため、建物の性能や質は、一般的に市場で売買される住宅ほど良質ではない。このため、少し高い金額を支払ってでも、より良質な物件に住むことが賢明と考える人が多い。さらに、「孟母三遷」のように、子どもの教育のためには最善の住環境を整えることが大切だ、とする古くからの教えがあり、生活が苦しくても保障性住宅ではなく一般の住宅に入居を希望する人は多い。こうした文化的側面への対応についても、十分に時間をかけながら国民の認識を変えつつ、住宅の性能や質の向上を推し進めることを可能とする住宅政策が必要だと考える。
中国とシンガポールは土地制度及び政府による住宅資金積立制度が存在することに類似点があるが、中国では土地使用権譲渡について大きな課題がある。2023年7月に深セン市は「共有所有権住宅管理弁法」
11を導入し、政府と市民が所有権を共有する新たな保障性住宅制度を発表した。購入価格は同等住宅の市場価格の50%程度、購入後5年間は転売することが制限されており、シンガポールモデルを参考にしたと言われている。このように中国の社会経済システムに調和することを前提に、海外事例なども参考にして、今後の中国の住宅政策方針を策定していくことは非常に有益と考えられる。
次回は中国における不動産登記について解説する。