上記より得られる教訓は2つある。1つは、外生ショックからのインフレ加速という現象は同じでも、それが生じた世界経済の好不況の違いにより、日本企業の経営行動は変わるということ。そして、もう1つは、厳しい環境に置かれたときこそ、企業体質の強化や成長分野への投資が、企業の持続性や成長力を高めるうえで不可欠だということである。
1つ目の外部環境による企業行動の違いについては、1970代前半・後半を見ることで理解される。1970代前半のインフレは、デマンドプル・インフレにコストプッシュ・インフレが重なって起きたインフレだったと言える。もともと、世界経済が同時拡大して、旺盛な需要がある中で起きた外生ショックであり、強烈なインフレ下でも企業は、売上高数量の増加を期待することができた。そのため、投入コスト増分を産出コストに価格転嫁することが容易で、賃上げにも応じる余地があったと理解される。ただ、1970代前半は政策的な対応の遅れもあって、価格転嫁がホーム・メイド・インフレを誘発し、金融当局の強力な引き締めを招き、企業業績が大きく落ち込むことになったと言える。
一方、1970年代後半は、内外経済が緩やかに拡大する中で起きたコストプッシュ・インフレだったと言える。社会的には以前の経験で学習効果があったとは言え、そもそも世界的に旺盛な需要が無い中では、企業は売上高数量の増加を期待できず、価格転嫁を積極的に進めにくい状況にあったと言える。そこで企業は、投入コストの増分の一部を吸収し、コスト削減で利益を確保したと理解される。企業としては、厳しい対応を迫られたと言えるが、その反面、マクロ的には外生インフレの国内への波及を限定し、経済への悪影響(企業業績の悪化)を小さく留めることに成功したと言える。
1970年代前半の経緯をまとめれば、外部環境の違いが企業行動を分けることになり、その後に辿るマクロ反応も異なるということだろう。
2つ目の企業体質の強化や成長分野への投資の不可欠性については、1970年代後半の経緯から言うことができる。1970代後半は、一部のコストを内部吸収し、投入コストの増分を引き受ける一方、製造工程を見直すことでコスト効率を改善し、省エネ技術に磨きをかけて、消費者ニーズに応じた商品の開発につなげた。そして、最先端技術であるエレクトロニクスに投資を続け、生産性の高い領域に人員をシフトしたことで、競争力ある産業基盤を確立することができたと言える。
1970年代後半の経緯をまとめれば、外部環境に期待できない時こそ、企業自らの意思でビジネス構造を改革し、製品の高付加価値化を進めることが重要だということだろう。高付加価値化で価格引き上げへの納得感を高め、より収益率の高いビジネスモデルを形成して行く。そのためには、成長分野に投資し続けることが必要だということである。
上記の教訓は、今次局面においても活かされるべきものである。これまでの経過をみると、今次局面は1970年代後半に近いと言える。日本経済はコロナ禍からの回復途上であり、米国経済は力強いものの、欧州や中国の経済には弱さもある。少なくとも、世界が同時的に景気拡張に向かう状況にはない。企業行動も価格転嫁の動きが鈍いなど、1970年代後半に近い動きとなっている。これは、日本企業がバブル崩壊以降、得意としてきた「耐える経営」の延長線上にある行動を取っていると言える。
ただ、足元では、これまでにない動きも顕在化しつつある。それは、中長期の経済構造の変化であり、企業にとって経営コストの持続的な上昇につながる変化となる。企業はこの変化の中にあって、新たな価値を創出すること、すなわち新商品を投入し、新たな市場を開拓していくこと、付加価値を実現していくことを求められている。そこで重要になるのは、企業体質を強化し、成長分野に投資を続けていくという2つ目の教訓だろう。
第2部(
インフレ時代の企業経営(2))では、足元で顕在化しつつある構造の変化を確認し、企業の成長力や持続性を高める、企業経営の在り方について考察する。