このような幸福感の変化は消費に対する価値観をも変化させる。前述した通り、「あるべき論」として上司が勧めてきたものが「二つ返事」で購入されてきた時代があったのも確かである。また、モノを所有することがステータスかのようにマスメディアの広告は消費を喚起させ、必要ではないが生活を豊かにする(生活が豊かであるように見せつける)ことができるモノを人々がこぞって消費していた時代があったのも確かである。しかし、このような消費の根底には「画一化された幸せ」があり、消費によって描けた幸せのビジョンやモノやレジャーに溢れていること自体が幸せだったから成立していた消費の価値観であったともいえる。しかし、お世辞にも景気がいいとは言えない情勢や、そもそも画一化された幸せに対して魅力的であると思わないZ世代も多く、自分が必要としないものに対して消費を行う際に理由や根拠を必要としているように思われる。「ゴルフやれよ」「いい時計つけろよ」と、ある種ステータスを構築する消費を勧められても、「
なんで(生活も苦しいし、欲しいものも買えないし、ステータスを構築した所で進めてくる上司の生活レベルも決して裕福にはみえなくて目標にすらできないのに、見栄を張って)
欲しくもないモノを買わなくちゃいけないんだ?」という疑問が生まれても何らおかしくはない
3。
若者の消費に対する消極的な意識が「○○離れ」という形で揶揄されることもあるが、極論どれもタダでもらえるのならば拒む人などそんなにいないのではないだろうか。だとしたら、そのモノやそのようなサービスが拒まれているわけではなく、自分自身の生活や収入などを考慮したうえで「必要ない」「購入する事が出来ない」と判断し消費行動に移されていないだけにすぎない。お金がないから画一化された幸せに手が届かず、"酸っぱい葡萄
4"の様に
それを幸せであると認めないという見方もできるかもしれないし、画一化された幸せに手が届かないから違う形で幸せを見出しているとも捉える事ができるかもしれない。どちらにせよ、自分たちが生きていく上で、その不必要な消費によって生活が困窮するくらいなら消費しない、という価値観が生まれることは当たり前と言えば当たり前だと思われる。
一方で、Z世代の市場環境はそれ以前の世代と比較すると、ネットの普及や何よりSNSがインフラ化したことで、得られる情報量が圧倒的に増加しており、それに伴って消費したいと思うコトやモノと接触する機会も増えた。今まで知らなかったことに興味をもったり、潜在的な欲求を満たしてくれる商品やサービスに遭遇できる機会も増え、自由に使えるお金は昔より減っているのに、欲しいと思うモノばかり増えていく時代なのである。また、消費した結果をSNSに投稿し、他のユーザーからの反応を得ることを目的とした消費文化が若者を中心に定着していることも否定できない。どんな些細な消費結果でもSNSに投稿されるようになり、SNSには他人の消費結果が溢れている。そのような他人の投稿(消費結果)は消費に対する疑似体験としての側面をもっている。だからこそ、そのような投稿を見て消費欲求が駆り立てられたとしても、投稿と共にタグづけられているハッシュタグを見れば同じような消費結果で溢れており、わざわざ自分で消費(購買)する必要があるか、モノを所有する必要があるか、と検討する過程も、Z世代においては消費行動の一環となっている。SNSに溢れているという事は再現性が高く、言い換えれば誰がやっても同じような結果しか出ないのである。だから様々な消費の疑似体験がSNSに溢れていて、その現象、その商品、そのエンタメなど一つ一つの消費結果は面白そうに見えるからこそ、「わざわざ」自分が消費する必要があるのか探究し、他人の投稿結果の閲覧で満足できてしまえば、消費行動に「わざわざ」移す必要がないのである。ある意味他人を顧みているからこそ、自らの消費行動を顧みて消費の必要性を判断していると言えるかもしれない。ましてやネットのブームのサイクルは早く、皆がこぞって消費している時に真似して消費しても投稿に対する反応は薄くなり、ブームが過ぎたころにやれば今更感が生まれてしまう。もちろんSNSに投稿しなければいいだけの話なのだが、SNSに投稿しないと(可視化されないと)、その消費はないモノと同じという、他人を意識して消費がされるという消費文化は深く根付いているのである。
併せてサブスクやフリーミアムなどを利用し、わざわざ手段に必要なモノを購入せずに目的を達成するという価値観を持つZ世代も増えている。高度経済成長期やバブル期の様にモノを購入する事自体から得られる幸福感、モノに溢れた生活を送ることによる幸福感よりも、モノを使用することで得られる効用そのものに重きを置いているとも言えるだろう。
3 もちろん全ての上司がその様にみられているわけではないだろうが、社会的に見てもバブル時のような景気の良さを伺う事は出来ず、併せて上司世代も老後の生活資金の工面に余裕がないといった話題がメディアを通して発信されており、歳を重ねれば・出世すれば裕福な生活を送れるという楽観的なイメージが抱きづらくなったのは紛れもない事実であろう。
4 イソップ寓話の一つで、狐が自分が取れなかった葡萄に対して、酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると自己正当化した物語が転じて、自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する際に使われる。
4――「消費したくないモノ」「消費したいモノ」