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貨幣数量説
最も単純な貨幣数量説によると、名目総需要に関して以下の方程式が成立する。
ここで、
Mt:貨幣数量、
Vt:貨幣流通速度、
Pt:物価、
Yt:実質GDPである。この式は、右辺(名目総需要)は貨幣が何回使用されたかに等しい、という関係を説明している。この関係から、貨幣数量と物価が一定の場合、キャッシュレス化により社会の効率性が高まることで貨幣流通速度(貨幣が一定期間に何回取引に使用されるか)が上昇すると、短期的に実質GDPが上昇すると期待できる。
例えば、Zandi et al.(2016)
1では、電子決済の普及によって商品やサービスを購入する際の効率性が高まり、カード決済が増えると消費額が増えると説明している。70か国・地域を対象とした彼らの分析では、カード決済が普及したことで、2011年から2015年にかけて世界のGDPを年率0.1%押し上げたと報告している。また、GDPの上昇率に対するカード決済の寄与は新興国よりも先進国の方が大きく、これはカード決済のインフラが相対的に先進国の方が整っていることが要因とのことである。彼らの分析では、日本における2011年から2015年のカード決済の増加によるGDPへの平均的な寄与は年率0.04%で、世界平均の0.1%よりも低い。
Oyewole et al.(2013)
2は、キャッシュレス決済を含む電子決済の採用がナイジェリアの経済成長と貿易にプラスの影響を与えていることを発見した。しかしながら、経済成長に寄与したのはATMのみで、その他の電子決済手段はマイナスに寄与したと結論付けている。この点はZandi et al.(2016)の電子決済のインフラの整備状況に依存するとの説明と一致する。新興国では、銀行口座の保有率が低い状態でカード決済の利用率が増えることよりも、まずは銀行口座の保有率を向上させて安全にATMが利用できる社会環境を整備することの方が経済成長への波及効果の方が大きかったということであろう。この点、新興国の中には、銀行口座を保有せずとも決済できるような携帯アプリを活用して金融包摂を進めている国もある。カード決済額のみを分析対象とした場合、このような政策をとる新興国においてキャッシュレス化の効果を過小評価している可能性がある点には留意した方がよいものと思われる。
一方で、貨幣数量説の方程式から、電子決済の増加が実質GDPの増加ではなく物価上昇に寄与する可能性も考えられる。この点について、Al-laham and Al-tarawneh(2009)
3やEzuwore-Obodoekwe et al.(2014)
4は電子的な決済手段が広く流通するようになり、中央銀行によって電子的な決済手段の影響を加味した形で貨幣数量のモニタリングが適切に行われなくなると、中央銀行の通貨供給量をコントロールする能力が弱まり、貨幣流通速度が上昇して物価上昇を招く可能性があると指摘している。ただし、これらの議論は、電子マネー等の電子決済手段で使用される「貨幣」の増加がマネーストック(現金や預金など)を減少させる効果を持つ、さらには電子決済手段が与信機能を持ち大幅に拡大するなどの想定から、電子決済手段の「貨幣」の量が現預金等のマネーストックから大きく乖離する可能性があることが前提になっている点に留意する必要がある。
1 Zandi, M., Koropecky, S., Singh, V., and Matsiras, P. "The impact of electronic payments on economic growth." Moody's Analytics (2016).
2 Oyewole OS, El-Maude JG, Abba M, Onuh ME (2013) "Electronic payment system and economic growth: a review of transition to cashless economy in Nigeria." Int J Sci Eng Technol 2:913–918
3 Al-Laham, M., Al-Tarawneh, H., & Abdallat, N. (2009). Development of electronic money and its impact on the central bank role and monetary policy. Issues in Informing Science and Information Technology, 6, 339-349.
4 Ezuwore-Obodoekwe, C. N., Eyisi, A. S., Emengini, S. E., & Chukwubuzo, A. F. (2014). A critical analysis of cashless banking policy in Nigeria. IOSR J Bus Manag, 16(5), 30-42.