(3) 自治政府の不満の増大
国内市場法案は、EUと締結した離脱協定への違反という側面だけでなく、英国内では、英国政府と地方政府との権限の分担に及ぼす影響も論点となっている。英国のEU離脱は、イングランドの意思という側面が強く、スコットランド、北アイルランドは残留を支持した。EU離脱は、アイルランドの和平だけでなく、英国の連合王国としての一体性を脅かすおそれは多くの論者が指摘するところだ
12。
英国政府は、国内市場法案は、歴史的にも大きな地方分権の強化と位置付けているが、スコットランド、ウェールズの自治政府は英国政府による権限集中化の動きであり、地方分権の流れに逆行すると反発している。両地域には、相互承認と無差別を英国内市場の一体性を確保するためのルールとする場合、圧倒的な規模のイングランドの規制が支配的になることを警戒する
13。移行期間終了後、英国政府が行う通商交渉が地域経済に不利益をもたらすリスクや、奪還した漁業権をイングランドに有利に配分するのではないかといった英国政府への不信感もある。EU予算を通じた補助金は、農業や低所得地域が対象となるため、イングランド以外の地域に厚めに配分されてきたため、英国政府が権限を取り戻すことによる不利益への潜在的な懸念がある。国家補助の権限も、英国政府が裁量を通じて地域経済へのコントロールを強めると懸念する
14。しかも、国内市場法案には地域を権限の縮小や不利益から保護するメカニズムは十分に盛り込まれていない。
スコットランドとウェールズは国内市場法案への反対という点では一致しているが、両地域のトーンには違いがある。ウェールズは、イングランドと制度的な差異が少なく、独立機運も高くはないため、これまでの権限移譲の範囲も限定されてきた。国民投票では52.5%が離脱を支持し、EU離脱で取り戻した権限を、地方分権の強化につなげることに関心がある
15。
分離独立の機運が高いスコットランドは最も自治が進んでおり、2014 年9月には独立の是非を問う住民投票を実施、2016年のEU離脱の国民投票では62%と明確な過半数が残留を支持した。2014年の住民投票が、55.3%が独立反対という結果に終わったのは、キャメロン首相(当時、保守党)、クレッグ副首相(同、自由民主党)、ミリバンド労働党党首(当時)が、残留を選択した場合の一層の権限移譲を約束したこととともに、独立反対がEU加盟国としての立場を確実にするという訴えが響いたとされる。こうした経緯もあり、EU離脱という選択、さらに離脱が「ハードな離脱」となり、「合意なし」にすらなりかねないことへの不満は強い。
英国議会下院では、スコットランド議会第1党のスコットランド民族党(SNP)は、最大野党労働党に次ぐ議席を有しており、離脱関連法案にも一貫して反対票を投じてきた。しかし、離脱を止めることも、次善の策として北アイルランドのような特区的な位置づけでEUの単一市場に残留することも認められなかった。SNPは、国内市場法案にも、他の野党とともに反対票を投じているが、下院の過半数を握る与党保守党内での大量造反がでない限り、阻止はできない
16。
地域議会の影響力も限定的だ。英国では、地域議会に与えられた機能・権限(devolved matters) に関する法を制定する場合、国会は「Sewel Convention」という慣習で、地域議会の同意を得ることになっているが、自治政府に拒否権はなく、法制定を阻止する拘束力はない。ジョンソン政権は、EU離脱を非常時であり、平時の慣習に従う必要はないとの立場をとる。
苛立ちを募らせるスコットランド自治政府のスタージョン首相は、21年5月6日に予定されるスコットランド議会選挙を、英国からの独立の是非を問う住民投票の再実施を公約に戦う構えを鮮明にする。スコットランドでも、英国との連合を重視するユニオニストは、分断を深める独立の動きへの批判を強める。それでも、世論調査を見る限り、SNPの支持率は過半数を超えており、次回総選挙で圧勝の見通しである。独立の是非を問う住民投票についても、EU離脱後は独立支持が不支持を上回るなど
17、SNPの主張は一定の支持を得ている。
スコットランド議会選挙でSNPが過半数の支持を得ても
18、英国からの独立からEU加盟には幾つものハードルがあり、それらをクリアすることは容易ではない。まず、ジョンソン政権は、2014年のように法的拘束力のある住民投票を認めることはないだろう。独立が認められたとしても、イングランドとの国境の管理、財政、通貨に関する問題を整理する必要がある
19。さらにEU加盟を実現するには、すべてのEU加盟国の賛成を得る必要があり、スペインなど分離独立問題を抱える国は難色を示すだろう。スコットランドの独立は、現実には英国のEU離脱以上の痛みを伴う。
スコットランド議会選挙の結果は独立に直結しないとしても、連合王国内の分断がよりはっきりと浮かび上がることになり、英国政府は真剣な対処を迫られるだろう。
12 例えば、Bogdanor (2019)、「インタビュー 英国、解体の足音 ケンブリッジ大学名誉教授 デイビッド・レイノルズさん」朝日新聞2020年1月18日、「英国に分裂の不安再び 首相、強硬離脱のツケ重く Financial Times 英ポリティカル・コメンテーター ロバート・シュリムズリー」日本経済新聞2020年7月29日朝刊など
13 Cygan, Adam (2020)
14 Wincott, Daniel (2020)
15 Bogdanor (2019) p.217
16 上院の795議席のうち、保守党の議席は255で、過半数に達しておらず、国内市場法案は下院を通過した後、上院で修正が加えられ、下院に返付される見通しである。両院の意思が対立する場合、意見が一致するまで両院を往復する可能性があるが、最終的には下院の優越が適用される。英国の議会制度については濱野(2019)参照。
17 例えば、Survation Political Pollの20年9月2~9日実施分ではSNPの支持率は52.6%、独立支持が53.4%を占める。(いずれも未決定と回答拒否を除いた回答に占める割合)
18 SNPは11年のスコットランド議会選挙では129議席中過半数を超える69議席を獲得し、16年は引き続き第1党となったものの、63に議席を減らし過半数を割り込んだ。
19 スコットランドは、「バーネット・フォーミュラ」という算定方式による包括交付金を英国から受け取っている。同方式はスコットランドに有利とされ、ウェールズが不満を持っているほか(田中(2014))、考案者とされるジョン・バーネット自身がイングランドの北部に不利な制度として働くことを認めている(Bogdanor(2019)p.228)。14年のスコットランドの住民投票時の財政、通貨、EU加盟を巡るスコットランド自治政府と英国の見解の相違についてはニッセイ基礎研レター 2014-09-10「スコットランドの住民投票 独立賛成多数の場合どうなるのか?」をご参照下さい。
4――21年初からの英国とEUの関係-3つのシナリオ