結局はBさんに支給したお金がAさんと銀行を通じてまた戻っているだけだが、これで経済は上手く回る。ただ、こうした
営業自粛状態の経済では、自粛した活動分(映画・食堂での飲食)のGDPが失われ、経済全体のGDP(緑の矢印)は1000円まで縮小してしまう。
なお、給付金の額は、例えば5000円に増額したとしても、Bさんがお弁当を2個(1000円分)までしか食べられないとすれば、4000円は預金にまわってしまう。政府が発行する国債は5000円に増額されるが、Aさんの1000円の預金とBさんの使わなかった4000円の預金の合計5000円で国債が購入される。結局、モノやサービスの交換として使われるお金は1000円でGDPは図表2と変わらない
2。
自粛による供給制約のため、GDPは1000円から増えず、残りのお金は預金されてその分で国債が購入されるという図式は変わらない。
では営業自粛が解除されたらどうなるか。仮にコロナを完全に克服して元の経済に戻ったとすると、GDP4000円の図表1の経済に戻るだけである。自粛時に失ったGDPの3000円は戻ってこない
3。
Bさんへの給付金は、自粛経済の中で、Aさんの売る生活必需品をBさんが買えるようにお金を移動させているだけであり、外の世界から補填している訳ではない。経済を止めても、政府が財政措置を取り続けることができれば、GDP(国の所得)が下支えされるというのは大袈裟で、自粛経済の中で得られる所得を再分配しているだけである。繰り返しになるが、経済対策の主眼は失業や倒産といった不可逆的な変化が生じて、コロナ禍後に被害が波及するのを防ぐ点に置かれている。
命の危険性がある感染症に対して、その拡散を防ごうとするのは当然である。ただし、むやみに経済活動を止めてしまうと、活動を停止した期間中の所得は確実に減ってしまう。経済活動を制限した上での所得の補填が意味を持つのは、自粛経済の中でも活動している人がいて(例えばエッセンシャルワーカー、在宅勤務者など)、自粛経済のもとでも必要なモノ・サービスがあり、それを購入できるようになるからである。
もちろん、強固なロックダウンで迅速に感染を収束させるという短期戦で決着をつけられれば、結果的に経済再開しやすくなる。しかし、感染収束が中途半端な状態で経済活動を再開すると、再び感染が広がり、結果的に長期戦を強いられる可能性も高い。
止めてしまった経済の所得は(リベンジ消費で戻ってくる一部を除いては)失われてしまう。長期戦をにらむのであれば、広範囲かつ厳しい活動制限策は持続力に乏しいことから、経済活動の制限は極力、範囲(地域や業種)を限定した方が望ましいと言えるだろう。
1 シンプルな経済を考えているため、あえて細かい部分は省略する。たとえば、図表1では2000円のお金がAさんとBさんの間で言ったり来たりする。この2000円はどこから来たのか。辻褄を合わせるには、例えば、銀行があってAさんが銀行から2000円借りて映画鑑賞、Bさんにお弁当・バーで2000円売上げた後に銀行に返すなどの想定をする必要がある。GDPという言葉も通常年次単位で考えるが、ここでは日次のような期間とする。また、通常は原材料の仕入がなされるが、ここではAさんは食堂経営に必要な材料をすべて自身で作っており、すべての付加価値がAさんに帰属するとしている。Bさんも同様である。
2 同様に、給付金をAさんとBさんの双方に1000円ずつ渡したとしても、Aさんにはお金の使い道がないため、Aさんは結局2000円を預金することになり、その2000円で国債が購入される。
3 図表2の自粛経済においてAさんは映画を我慢しており、Bさんはビールを我慢しているので、その後の自粛明けの経済で映画を2本連続で見たり、ビールを多く飲んだりとリベンジ消費(ペントアップディマンド)が発生する可能性はある。そのため、リベンジ消費経済においてGDPが一時的に増える可能性がある。しかしリベンジ消費は一過性であり、自粛していた部分の消費をすべて自粛明けに繰り越すことは考えにくい。3000円のうちの一部はリベンジ消費で戻ってくると言えるが、全額は戻ってこない。
なお、図表1(平時の経済)でAさんが預金1000円しているが、銀行がこのお金で国債を買ってしまっているため、政府が国債を償還してくれないとこの1000円は使えない。