キャッシュレス化が進展すると、「誰が」「いつ」「どこで」「なにを」「どれぐらい」買ったのかという購買履歴データが正確にかつ効率的に収集できるようになる。特に、スマートフォンを活用したキャッシュレス化が進展すると、位置データを組み合わせたデータ利活用が可能となる。今般の感染症の拡大に対抗していく上で、スマートフォンから収集されるビッグデータの利活用が実際に重要な役割を果たしているとみられる。
BISの報告書
12では、新型コロナウイルス感染症拡大に対抗する手段として「遠隔診療(telemedicine)」「フローモデリング(flow modelling)」「位置追跡(location tracking)」「接触追跡(contact tracing)」の4つの技術が効果的であったと指摘している。
「遠隔診療」とは、スマホアプリやウェブサイトを介して、診断、ケア、その他の緊急性のない医療ニーズのための遠隔で医療相談を提供するものである。遠隔医療は過去にも電話などで行われていたが、パンデミックの間に利用が拡大した。
「フローモデリング」とは、ある地域を何人の人がどのくらいの速さで通過するかなど、人の動きを分析する技術である。多くの場合、スマートフォンから匿名で集計された位置データを使用することで分析を行う。
「位置追跡」は、個人の位置情報を利用して、人々が規制や要請に従って行動したかどうかを確認するものである。そのため、感染リスクの高い地域から戻ってきた人や、以前に感染者と接触したことのある人など、特定の個人の行動に焦点を当てて分析を行う。
「接触追跡」とは、感染者と他の人との接触点を追跡し、感染の可能性があることをスマホアプリのユーザーに警告する技術のことである。
キャッシュレス化が進んだ中国や韓国などでは、購買履歴データや位置データなどのスマートフォンから収集したビッグデータが感染症拡大を阻止する目的で利活用された。公衆衛生上の観点で、キャッシュレス化のメリットを最大化するには、様々な場面においてビッグデータ収集することでこれらの技術をうまく利活用していけるのかが重要なポイントになる。
先に紹介したBISの報告書によれば、位置データなどのビッグデータを有効活用することで3か月以内の爆発的な感染拡大を阻止するには、80%の人口をカバーする程度でデータを収集する必要があるとしている。スマートフォンの利用率が高い国でなければ、これらの新技術の利活用は難しいが、仮に利用率が高くても、人口の80%程度のカバー率でデータを独占的に収集できる主体がなければならない。海外事例では、データを収集する主体は政府の場合もあれば、民間企業の場合もある。中国や韓国は、人口カバー率が十分な程度にキャッシュレス化が進展していた点も、データ利活用による感染症の拡大阻止の意味で寄与したと考えられる。
一方で、データを独占的に収集できる主体があったとしても、平時に戻れば、個人のプライバシーにかかわる情報の取り扱いの問題がクローズアップされることになる。先のBISの報告書では、感染症の拡大期のような緊急事態下にある場合と、平時の場合とでデータの保有の考え方を分けることを提案している。海外と比較して、日本の場合、個人に関わるデータを国や企業に提供することに対して肯定的ではなく、抵抗感が強い。そのため、緊急時と平時でデータの保持する方法を変えたとしても、データを独占的に保持する主体に対する信頼が構築されない限りにおいて、分析するのに十分に有効な量のデータ収集や有効な利活用は難しくなることも想定される。
キャッシュレス化の問題に限らず、個人情報保護と利便性のトレードオフ問題は、必ず直面する課題である。しかしながら、今後到来することが予測されている感染症拡大の第2波、第3波がやってきた際に、経済活動をある程度維持しながら新型コロナウイルスの感染拡大を抑制できるかどうかは、これらのデータ利活用に関する海外の知恵を有効活用していけるかどうかがカギを握っているともいえる。緊急事態宣言が段階的に解除されつつある中で、日本が競争力を維持・向上させていくためにも、日本の国民性に沿った形でのデータ収集や利活用の方針について戦略的かつ実行性のある議論を行う段階にきているのではないだろうか。
12 Cantú, Cheng, Doerr, Frost and Gambacorta. "On health and privacy: technology to combat the pandemic." BIS Bulletins (2020).