スタートアップ・エコシステムとして、世界のトップに位置付けられるのは、依然として米国のシリコンバレー(カリフォルニア州)である。隣接するサンフランシスコ(同州)にもスタートアップ企業が集積してきた。中国やインド等、世界中から優秀な人材が集まってきており、人材の流動性も高い。起業家育成に前向きで、優秀な人材や技術シーズを輩出してきたスタンフォード大学等の研究機関もある。有力なベンチャー・キャピタル(VC)が集まり、旺盛な資金需要を支えている。成功した起業家がエンジェル投資家として資金を供給するだけでなく、メンターとして投資先の起業家・経営陣にアドバイスを与える。グーグルやアップル、フェイスブック等、シリコンバレーで生まれた巨大IT企業が本拠地を構えるだけでなく、多くのグローバル企業が拠点を置いている。創業間もないスタートアップ企業を支援・育成するアクセラレーター、スタートアップ企業を専門とする弁護士等、支援者も層が厚い。起業家や投資家等によるコミュニティが形成され、そこで得られた人脈や情報等が新たなビジネスチャンスに繋がっていく。自律的に次々とスタートアップ企業が生まれ、投資家や支援者のサポートを受けながら成長していく。晴れて成功した起業家は、成功で得た資金を元手に、次の起業に挑戦したり、エンジェル投資家として後進を育てたりする。また、成長した企業が、スタートアップ企業に対して投資や買収を行う側に回る。仮に失敗したとしても、その経験や人材等が次の挑戦に活かされていく。こうした「循環」は、豊かな大自然の「生態系(エコシステム)」に例えられ、イノベーションを創出する1つの理想の形とされてきた。米国にはシリコンバレーだけでなく、ライフサイエンス系のスタートアップ企業が集積するボストン(マサチューセッツ州)の他、ニューヨーク(ニューヨーク州)やオースティン(テキサス州)等もスタートアップ企業が集まる都市として認知されている。
一方、中国のエコシステムが近年で急速に発展してきた。清華大学、北京大学等の大学や国の研究機関等を擁し、ハイテク企業を創出している首都・北京、外資系企業が多く集まる国際都市・上海、巨大IT企業アリババのお膝元である杭州(浙江省)等で有力なスタートアップ企業が集積している。また、深圳(広東省)はハードウェア系のスタートアップ企業が集まる都市として脚光を浴びている。エレクトロニクス産業が集積するこの都市からは、世界でもトップクラスのドローン開発・製造企業となったDJI等が生まれ育った。こうした環境が育まれてきた背景を見てみると、中国政府が「大衆創業、万衆創新」を掲げてイノベーション、スタートアップ企業育成に力を入れてきたこと、海外留学から帰国する「海亀族」と呼ばれる優秀な人材がスタートアップ企業に流入していること、キャッシュレス等の新しい技術が社会実装されるスピード感があること等が要因として挙げられる。もちろん、巨大な国内市場、豊富な投資資金も大きなサポート要因となっている。今や、中国国内だけでなく海外で活躍するスタートアップ企業も多い。バイトダンス(北京)の動画共有アプリTikTokは多くの日本の若者が使っているし、ライドシェアを手掛けるディディチューシン(北京)にはトヨタ自動車が出資した。日本にとっても、中国のスタートアップ企業はもはや無視出来ない存在となっている。
テルアビブをはじめとしたイスラエルのエコシステムは、「中東のシリコンバレー」と称される。AIやサイバーセキュリティ等の分野で注目される同国には、グーグルやインテル等のグローバル企業が研究開発拠点等を構え、海外から投資資金が集まる。同国スタートアップ企業の成功事例として有名なのが先進運転支援システム(ADAS)を手掛けるモービルアイである。同社は2014年に米国のニューヨーク証券取引所に上場、その後インテルに約153億ドルという巨額の金額で買収されたことで話題になった。政府のスタートアップ企業振興策も奏功した。代表的なものは、1990年代にVCの振興策として実施されたヨズマ・プロジェクトである。公的資金を投入し、米国等海外の有力VCが参加する10のVCが設立された。資金提供・経営支援を通じた多くのスタートアップ企業の育成だけでなく、民間VCの育成、海外投資資金の呼び込みに繋がり、同プロジェクトは大きな成功を収めたと言われている。また、研究者やエンジニア等、多くの高度人材が集まっているという特徴もある。冷戦終結で旧ソビエト連邦(ソ連)等から多くの移民が移住し、その中に科学者・技術者も多く含まれていた。学校教育でもSTEM(Science,Technology,Engineering,Mathematics)教育に力を入れており、プログラミング教育が進んでいる国の1つである。また、徴兵制により高校卒業後に男性3年間、女性2年間の兵役が義務付けられており、一部の優秀人材は最先端の研究開発を行う部門に配属される等、高度人材の育成に繋がっている面がある。兵役中に築いた人的ネットワークが、将来の起業活動に結びつくこともあるようだ。そして、失敗を許容しチャレンジすることを推奨する国民性も、旺盛な起業活動に繋がっていると指摘される。
東南アジアでもユニコーンが生まれている。ライドシェアを手掛けるグラブ(シンガポール)とゴジェック(インドネシア、ジャカルタ)が有名だ。両社は域内でしのぎを削っており、ライドシェアから食事の宅配サービス、決済サービス等へとビジネスを広げている。両社のスマートフォンアプリは、あらゆるサービスを提供する「スーパーアプリ」として進化しつつある。両社には、海外の投資家や事業会社もこぞって出資しており、グラブにはトヨタやソフトバンクグループ(ソフトバンク・ビジョン・ファンド)等、ゴジェックには三菱商事等の日本企業が資本参加している。
他にも、「スタートアップ・インディア」というイニシアティブを掲げてスタートアップ企業への支援に取り組んでいるインド(ベンガルール等)、2013年から「フレンチテック」と称される支援策を推し進めているフランス(パリ等)のように、様々な国がスタートアップ企業支援、エコシステム形成に注力している状況だ。
3――日本が取り組むスタートアップ・エコシステムの拠点形成戦略