現代消費文化において、民俗行事や神事であった七夕はエンターテイメント化し、マーケティングの一部として利用され消費対象となっている。我々は七夕からロマンチック性を見出しており、現代の七夕は「恋愛成就」のお願いの意味合いが強い。後漢時代の古書である『四民月令』の記載にある「織姫彦星の二人に子宝を願う」ような、原点回帰の行為を無意識に行っているわけである
1。
ディズニーにおいても「ディズニー七夕デイズ」は、エンターテインメント性のあるイベントにしか過ぎない。そしてこのエンターテインメント性の背景には、七夕を表面的なもの、または単純すぎるものに変容させるプロセスがあり
2、ディズニーにおける七夕は、ディズニーが提供したストーリーの下に初めて成立する。ディズニーにおける七夕は、ミッキー、ミニーが織姫彦星で、二人が人力車に乗せられ、パレードルートを一周回る。その後ろには歴代ディズニー長編映画に出てくるお姫様と王子様が仲良く手をつないで歩き、音楽はディズニー風にアレンジされた童謡「たなばたさま」、ピノキオの「星に願いを」、ピーターパンの「右から2番目の星」が流れている。ディズニーの七夕のコンテクストは、ロマンチック性を下に再構成された織姫彦星伝説であり、七夕にディズニーのテーマ性とロマンチック性が付与されることで七夕はディズニー化し、消費の対象になるのである。
七夕というテーマがパークに付与されることで消費は促される。特に「ディズニー七夕デイズ」は日本限定のイベントである点、開催期間が最も短いプログラムの一つである点、和が欧米文化であるディズニーと折衷するユニークな点などの要因により、世界各国から多くのゲストが訪れる。また、パークが浴衣来園を推奨しているため、浴衣で来園するカップルに「擬似的な夏祭り」というロマンチック性を提供している。この結果、消費対象としての「七夕」がパーク内にあふれている。これを「ディズニー化」
3と呼ぶが、我々の生活における多くの分野もディズニー化(エンターテインメント化)している。
例えば株式会社三越伊勢丹ホールディングスでは、銀座三越において、「イケメン!?「彦星」が現れる!~銀座三越の七夕~」と題して、2018年6月20日~7月7日までイベントを行っていた。このイベントでは7月7日に銀座三越館内にて買い物した客が、「ぎんみつ彦星(銀座三越彦星の略)」に扮する白人男性と、織姫気分で写真を撮ることができるというイベントであった。また、ディズニー同様に「七夕願い事フォトジェニックスポット」とよばれる笹飾りを設置し、星形の短冊を来客者に配布していた。このイベントの企画者にインタビュー調査を行ったところ、「ディズニーが行っているロマンチック性をテーマとした七夕演出を参考にして、「イケメン」をテーマとした彦星を準備した。客層が女性が多い点と、白人イケメンと写真を撮るという非日常がロマンチック性を演出できると思ったから採用した。短冊に関しては短冊の形に形式が存在しないことを確認し、東京ディズニーランドがミッキーの形の短冊を配布していることを参考に、星形を発注した。」と回答を得た。
大手百貨店においても、浴衣を着た接客、七夕限定の甘味の販売といった、従来の七夕販促から、テーマ化を主として新しい価値観を提供するいわゆるコト消費の側面を大きくした七夕イベントが展開されている。
ディズニーにおける七夕イベントや仙台七夕祭りからもわかるように、七夕は民俗的な行事としての形を残しながらも、その本質は変容して、エンターテインメント化した。そして、これは同時に、七夕が「消費対象」になったことを示している。その結果、我々は知らず知らずに消費をすることを仕向けられている。例えばスーパーマーケットでは、6月を過ぎると七夕の音楽を流し、店頭に笹竹や短冊を用意し、七夕メニューの提案、七夕をモチーフとしたデザートや「昔から七夕には素麺が食べられていました!」と宣伝し、目に付くところに素麺を過度に陳列する。(筆者はスーパーマーケットでの9年間のバイト経験があり、この時期になるとそうめんとめんつゆの補充に追われていた。)我々はそれが当たり前であるかのごとく受容し、「七夕」を消費している。我々は与えられたコンテクストに従って受動的に七夕を行い、それを消費しているといえるだろう。
ディズニーにおいては、七夕というイベントが消費機会を提供し、ゲストが消費することでそのテーマ性(七夕)が保たれることとなる。そして、その消費機会は、ゲストが七夕を感じることが出来る対象である。言い換えればイベント限定のマーチャンダイジングやフードがゲストにとっての目的の一つに成りえるのである。その顕著な例が、ウィッシングカードに「コレクション性」を持たせたことである。ウィッシングカードはイベントを通して数種類配布される。ディズニーランドとディズニーシーではそれぞれ絵柄が違い、レストランで食事をしないと手に入らないもの等、多い年は6種類ほど配布されている。多様なウィッシングカードを求めて、消費が促されるだけでなく、毎年七夕が来るとウィッシングカードを集めるという習慣がゲストに生まれ、惰性的に消費が促されるのである。
さて、本題に戻るが、ディズニー化している「ディズニー七夕デイズ」において、唯一ディズニーランド外でも同様に行われてきた七夕の慣習がある。それは短冊の慣習である。ディズニーランド外でも、我々は短冊に願い事を書く機会が多々あるだろう。この短冊を書く主体である我々自体は、ディズニーランドにいくことで非日常に身を置くが、我々自身は、ディズニー化はされていない。ディズニー化されていない我々が、ディズニー化された七夕を主体的に行うことができるのが、ウィッシングカードなのである。このことから筆者は、非日常空間であるディズニーランド
4内と、ディズニーランド外の現実世界での七夕に対する関わり(行動)の違いを、短冊から比較できると考えた。
1 近江恵美子.2004.「仙台七夕の伝統と継承」『東北生活文化大学東北生活文化大学短期大学部紀要』35.
2 Bryman、A. 2004. The Disneyization of Society, SAGE, 能登路雅子監訳.2008.『ディズニー化する社会 文化・消費・労働とグローバリゼーション』明石書店.
3 Bryman、A. 2004. The Disneyization of Society, SAGE, 能登路雅子監訳.2008.『ディズニー化する社会 文化・消費・労働とグローバリゼーション』明石書店.
4 便宜上ディズニーランドと表記しているが、ディズニーシーも含まれる。
3――短冊のリサーチ