第1回のうまくいかない時にこそ「データを用いて意味づけが単純化されている話に飛びつくのはやめよう。簡単に目的達成できる、というビジネスには乗るな」という話の次に、フィルターバブルの話をしたい。
ここに、納豆がちょっと嫌いなAさんがいたとしよう。
あるとき「ネットで」納豆が大嫌いな人の記事を見つけた。納豆の悪口ばかり書いてある。ふーん、と思って読んでみると、隣には同じように納豆嫌いの記事がある。気になったのでそれも見てみた。
この時、ニュースサイトの推薦エンジンは「この人は納豆嫌いの記事をいくつも読んでいる。きっとアンチ納豆記事が好きなんだな」と認識するのである。
以後、納豆嫌いの記事がサイト内で目に付くようにAさんに推薦されるようになる。Aさんは納豆嫌いの記事が並ぶサイトを眺めつつ「意外と納豆嫌いは多いのだな」と思い、納豆の悪口記事ばかりを読んでいるうちに、納豆排斥主義者になってしまったのだった・・・。
これは納豆なら笑い事で済む。しかし、これが度の過ぎた愛国主義や、人種差別主義の記事だったらどうだろう。このように、推薦エンジンの機能によってフィルターがかかりることで特定の記事が多く提示されるようになり、それを読み込むうちにいつのまにか思想や価値観が偏ってしまうことを、「フィルターバブル」という。
株を買う人がたくさんあらわれて、制御がきかないくらい株が暴騰するのと同じように、推薦エンジンが特定の種類の記事のみをフィルタリングして提示するようになることによっておこる、いわば「価値観のバブル」なのである。このバブルにおいて、推薦エンジンにも、記事の発信者にも、悪意はない。悪意のないところから、個人の強い偏見が生まれてくるところがフィルターバブルの怖さである。これに関しては思い当たる読者も多いのではないだろうか。
最近ニュースのトップページにやたら猫の話題が出てくることが多いなあ、グルメのネタが多いなあ、など感じている人は少なくないのではないだろうか。実はそれは自分の過去の検索結果・サイトへのアクセス結果がそう導いているのである。
こういった現象は、なにもインターネットだけに限らない。最近、少年の犯罪が増えた、凶悪犯が増えた、夜道を女性が歩けなくなった、という意見を聞く。
「そういうニュースを聞いたから、よく聞くから」が理由である。しかし、犯罪の統計を見ると、強姦、窃盗、殺人など主な重犯罪は戦後急激に減少して今に至っているのがわかる(図表1)。