2|社会的障壁とは何か
次に、「社会的障壁」という言葉である。障害者差別解消法第2条二では社会的障壁を以下のように定義している。
障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。
条文を読んでも具体的にイメージできないかもしれないが、一言で説明すれば「障害者が生活するうえで支障となる外的要因」
3であり、車椅子を使う人にとっては段差、視覚障害者にとっては文字、聴覚障害者にとっては音声が社会的障壁となる。ここで「社会的障壁」という単語を分かりやすく理解する一助として、1週間程度の海外旅行に出掛けた事例で考えてみよう。
最初に、羽田空港や成田空港に行く時、駅の乗り換えなどで重い荷物を持って歩くことを苦痛に感じないだろうか。その後、羽田空港や成田空港に着くと、乗り換えはスムーズに進む。こうした差異はなぜ起きるのだろうか。
理由は段差である。普通の駅の場合、乗客が重い荷物を持っていることを想定しておらず、むしろ大都市の場合は通勤ラッシュでの移動を円滑にするために設計されている。このため、多少の段差を減らすことよりも、通路や階段を多く設置することに力点が置かれており、重い荷物を持った際に不便さを感じる。ここでは通勤ラッシュで乗り換える客が多数であり、重い荷物を持つ海外旅行客は少数であるため、多数に便利な設計となっている。
一方、羽田空港や成田空港は段差が少ない設計であり、重い荷物を持っていても移動がスムーズである。これは重い荷物を持つ人が空港を多く使うため、そうした人に便利なように駅や設備を設計しているためである。
では、車いすを使っている人はどうなるだろうか。通常の駅では移動に苦労するかもしれないが、段差が少ない空港ではスムーズに移動できる。
ここで一つの事実に気付く。車いすを使う、または使わないが重要なのではなく、「段差」の有無が不便さを生み出しているのである。この場合、移動に不便さを生み出す段差が社会的障壁となる。
もう1つ事例を挙げる。訪問先(仮に「A国」とする)に着いた瞬間、A国の文字だけでなく、現地の人が話している言葉も理解できない場合、何が起きるであろうか。現地の人とコミュニケーションに苦労し、町に出掛けても途方に暮れる可能性が高い。
では、普段はなぜコミュニケーションに苦労しないのだろうか。言い換えると、日本に住んでいる時とA国滞在中に違いがなぜ生まれるのだろうか。こちらも答えはシンプルである。日本では日本語を使う人が多数であり、A国に行けば日本語を使う人が少数だからである。
次に、この状況を聴覚障害者、視覚障害者と比べると、社会的障壁をイメージしやすくなる。普段は日本でコミュニケーションに不便さを感じていなかったとしても、A国に到着した瞬間、聴覚障害者、視覚障害者と似たような環境に直面する。言い換えると、聞こえないこと、あるいは見えないことだけが不便の原因なのではなく、「日本語の音」「日本語の文字」にアクセスできるかどうかが不便さを決定付けていることになる。この場合は「日本語の音」「日本語の文字」が社会的障壁となり、前者は聴覚障害者、後者は視覚障害者に不便さを強いていることになる。
これらの事例を基に考えると、不便さが生み出される原因は障害者自身の症状や病気だけにあるのではなく、社会が作り出している障壁、つまり段差や日本語の音、文字になる。
障害者差別解消法では、以上のような障壁を「社会的障壁」と呼んでおり、社会的障壁の結果として障害が生じているという考え方を一般的に「社会モデル」と呼んでいる
4。そして社会モデルに依拠すれば、必然的に「社会が障害者のニーズを無視して障害者の機会不均等をもたらしてきたのだから、社会はそれを是正する道徳的責任を負う」という直観的な理解に繋がる
5。さらに、「障害のある人が経験する制約をもたらす社会的障壁に視点を据えることによって、障害問題をいわゆる福祉の問題から人権の問題へとその領域を拡大させることになった」
6ことで、社会的障壁で不便さを強いられている障害者に配慮しないことを「差別」とみなす考え方に基づいている。
では、こうした社会的障壁をどう取り除くのか。ここでのキーワードが「合理的配慮」である。
3 川島聡・星加良司(2016)「合理的配慮が開く問い」川島聡ほか『合理的配慮』有斐閣p2。
4 これに対し、障害が発生する理由を「その人に障害があるから」とみなす考え方を一般的に「医学モデル」と呼ぶ。
5 星加良司・川島聡(2016)「合理的配慮と経済合理性」川島聡ほか『合理的配慮』有斐閣p115。
6 東俊裕(2012)「障害に基づく差別の禁止」長瀬修・東俊裕・川島聡編著『障害者の権利条約と日本』生活書院p41。