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欧州経済見通し-関税合意後も不確実性が残る状況は続く

2025年09月12日

(伊藤 さゆり)

(高山 武士)

(失業率が低位安定するなか、人手不足感の緩和が継続)
雇用環境は、失業率は低位安定するなかで、製造業中心に人手不足感が緩和する状況が継続している(図表17)。7-9月期の欧州委員会調査ではサービス業の人手不足感がやや悪化したが、製造業の人手不足感の緩和は継続している。

1-3月期のユーロ圏の労働投入の伸びを見ると、就業者数が前期比0.1%(前期:0.2%)、雇用者数が前期比0.1%(前期:0.2%)、労働時間(就業者数ベース)が前期比0.1%(前期:▲0.2%)となった。労働投入の伸びは成長率並みとなり、労働生産性はやや改善し、基調的にみても23年後半を底に緩やかな改善基調にある(図表18)。
( 物価・賃金:インフレ目標をほぼ達成 )
物価は、総合指数・コア指数ともに2%目標付近での推移が続いている。

8月のHICP(速報値)は総合指数が前年比2.1%、コア指数が同2.3%となり、いずれも2%の物価目標付近で推移している(図表19)。
コアインフレ率はサービスインフレがやや高めの上昇率となっていることから、2%より高めの水準での推移となっているが、人手不足感の緩和、ディスインフレの進展、景気減速懸念などから賃金上昇圧力は低下しており、総じて足もとのインフレ圧力は高くないと考えられる(図表20、4-6月の妥結賃金上昇率は前年比4.0%とやや高めだったが、一時的な変動と見られる)。先行きの不確実性は大きいが、ECBのインフレ目標は概ね達成された状況が続いていると言える9
 
9 HICPには持ち家の帰属家賃が含まれていないが、ECBの金融政策を決定する上では考慮に入れることになっている。7月会合時での議論では、持ち家の家賃を含めるとインフレ率がやや押し上げられるとの指摘もあった。ECB, Account of the monetary policy meeting of the Governing Council of the European Central Bank held in Frankfurt am Main on Wednesday and Thursday, 23-24 July 2025, 28 August 2025(25年9月11日アクセス)。
(財政政策:財政リスクに配慮しつつ防衛分野は強化へ)
財政スタンスは、コロナ禍やエネルギー危機を受けた緩和姿勢から健全化を進める一方で、防衛・インフラ分野は拡大路線になる。ユーログループでは、26年の財政スタンスとして防衛力強化が最優先事項の一つであり、債務の持続可能性を維持しつつ、防衛(defence)・安全保障(security)・準備(readiness)を強化していくことが確認された10

防衛費に関しては、NATO(北大西洋条約機構)加盟国では防衛費目標が大幅に引き上げられた11。欧州委員会は国家免責条項を発動することによる6500億ユーロ12の財政ルールの適用除外枠や防衛装備調達促進のための1500億ユーロの融資枠(SAFE)を設定した。7月の閣僚理事会ではEU15か国(ユーロ圏は10か国)に対する国家免責条項が発動され13、SAFEにはEU19か国(ユーロ圏は13か国)から関心表明が行われ、9月に1500億ユーロ全額の暫定配分が通知された(うちユーロ圏への配分は約680億ユーロ)14。防衛費拡大の動きは急速に進展していると言えるが、一方で、国家免責条項の対象となる防衛費以外の分野においては財政ルールが適用されることもあって、財政拡大規模がどの程度になるかには不確実性も残る15

ドイツでは5月に発足したメルツ首相率いる新内閣が25年・26年の予算案を承認した(今後、連邦議会で審議)。憲法に相当する基本法を改正して創設された5000億ユーロ規模のインフラ基金などを活用し年1200億ユーロ前後(対ドイツ名目GDP比2.8%、対ユーロ圏名目GDP比0.8%)の公共投資が予定されている16

一方、過剰赤字手続き(EDP)の対象となっているフランスでは、バイル首相率いる内閣が年金支給額凍結などを含む緊縮的な予算案を作成する方針を示したが、左派、大統領与党連合、右派と三大会派に分裂するなか、野党から予算案への支持が得られず、信任投票が否決されバイル首相が辞任するなど、再び政治の不安定さが顕在化している。
 
10 Eurogroup, Eurogroup statement on the fiscal stance for the euro area in 2026, 7 July 2025(25年9月11日アクセス)
11 従来の目標はGDP比で2%。新しい目標は35年までに従来の防衛費で3.5%、広義の安全保障分野への支出で1.5%に引き上げるとされた。なお、25年は軍隊を持たないアイスランド以外のNATO加盟国は従来の目標2%を達成する見通しとなった。NATO, Defence Expenditure of NATO Countries (2014-2025), 28 Aug. 2025(25年9月11日アクセス)。
12 4年間、最大GDP比1.5%まで基準からの逸脱が免除される(欧州委員会は各加盟国が防衛費をGDP比で1.5%増やすと4年間で6500億ユーロ規模になると指摘している)。
13 ユーロ圏加盟国ではベルギー、エストニア、ギリシャ、クロアチア、ラトビア、リトアニア、ポルトガル、スロベニア、スロバキア、フィンランド、非ユーロ圏加盟国ではブルガリア、チェコ、デンマーク、ハンガリー、ポーランドの国家免責条項が発動した。また、中期財政構造計画の提出が遅れていたドイツが発動を申請している。Council of the EU, Council activates flexibility in EU fiscal rules for 15 member states to increase defence spending, 8 July 2025(25年9月11日アクセス)。
14 ユーロ圏加盟国ではベルギー、エストニア、ギリシャ、スペイン、フランス、クロアチア、イタリア、キプロス、ラトビア、リトアニア、ポルトガル、スロバキア、フィンランド、非ユーロ圏加盟国ではブルガリア、チェコ、デンマーク、ハンガリー、ポーランド、ルーマニアが関心表明した。暫定配分はポーランドが約440億ユーロで圧倒的に多く、次いでルーマニアの約170億ユーロ、フランス・ハンガリーの約160億ユーロと続く。European Coomission, SAFE | Security Action for Europe, 30 July 2025(25年9月11日アクセス)。原則として2か国以上の加盟国(1か国はウクライナもしくはEFTA/EEA加盟国でも可)が、防衛産業投資計画を策定して要請し、欧州委員会が審査する。25年11月30日までに計画とともに正式申請する必要がある。26年2月までの融資開始を予定。
15 現在、ユーロ圏ではオーストリア、イタリア、フランス、マルタ、スロバキア、ベルギーが過剰赤字手続き(EDP:excessive deficit procedure)の対象となっている。非ユーロ圏の国ではハンガリー、ポーランド、ルーマニアが該当。
16 Federal Ministry of Finance, Fiscal foundations for the coming years: German government adopts 2025 federal budget, benchmark figures to 2029 and implementation of the €500bn investment package, 24 June 2025(25年9月11日アクセス)、Federal Ministry of Finance, German government intensifies its investment drive: 2026 federal budget and fiscal plan to 2029 adopted, 30 July 2025(25年9月11日アクセス)
( 金融政策・金利:政策金利は中立金利水準で様子見 )
ECBは24年央から制限的な金融政策からの緩和を開始、6月会合までに8回利下げ(うち24年9月以降は7回連続での利下げ)を実施して、政策金利(預金ファシリティ金利)を4.0%から2.0%まで引き下げた(図表19)。また、その後の7月・9月会合は2会合とも政策金利の据え置きを決めた。メンバー内にはハト派(インフレ下振れリスク懸念派)、タカ派(インフレ再燃懸念派)の双方の意見も散見されるが、最終的に金利据え置きが全会一致で決定している。2%の政策金利水準はECBが試算する中立金利推計(1.75-2.25%)の中央値であり17、また、インフレ率が目標付近で推移していることもあって、ラガルド総裁は現在の金利水準を「様子見する良い位置」と評している。

先行きの不確実性が依然として高いため、会合毎にデータ依存で決定していく方針は維持されているものの、関税政策の影響などによるインフレリスクは上下双方ともに想定される。先行きに関して、経済活動が概ねECBの見通しに沿って進展する場合には、積極的に金利を変更する動機に乏しいと見られる。
ユーロ圏の長期金利は、金融政策やインフレ関連データ、財政スタンス、米金利の動向に左右される展開が続いている。足もと、ドイツ10年債金利の動きを見ると、ドイツの拡張的な財政見込み、米金利の高止まりや追加利下げ観測の後退などを受けて、2%台後半で推移している(図表21)。最近は年限別に見て拡張財政の影響を受けやすい長い年限での金利上昇圧力が強く、タームプレミアム・リスクプレミアムが拡大していると見られる(図表22)。ドイツ以外の加盟国では、対独スプレッドの大幅拡大(いわゆる「分断化」)は見られていないものの、イタリアの政局が安定するなかで、フランスの政局不安が高まっていることを背景にフランス長期金利の対独スプレッドがイタリア長期金利の対独スプレッドとほぼ同水準となっている(図表21)。
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