近年、調査や研究の現場においても、生成AIの活用が急速に広がっている。壁打ちツールとして自身の思考を深めたり、要点を整理したりするだけでなく、これまで視野の外にあった論点や視座に気づかされる場面も増えてきた。一方で、生成AIが出力する情報の真偽を確認し、事実関係を検証するために相応の時間を費やすことになり、本当に「効率化」と呼べるのか、疑問を感じる場面も少なくない。
こうした体験のなかで思い至ったのが、「生成AIとは情報のデリバティブ(派生物)である」という比喩である。金融分野の人間からすると、生成AIの構造を金融商品に例えると理解が深まる場面が多い。この構造は、金融の世界における「デリバティブ(金融派生商品)」と非常によく似ている。
デリバティブの構造と役割
金融における「デリバティブ」とは、株式や債券、金利、為替、原油などの「原資産」の価格や変動性に連動するよう設計された金融商品を指す。先物取引やオプション、スワップなどがその代表格である。
たとえば、将来の金利上昇リスクに備える企業が金利スワップを用いる場合、それは「金利」という原資産の動きに基づいて損益が決まる商品を売買していることになる。デリバティブそれ自体は直接的な価値を持たず、あくまで基盤となる原資産の動きに依存して価値が形成される。ゆえに「派生商品」と呼ばれ、原資産との連動性が確保されてはじめて合理的な意味を持つ。
生成AIと情報の派生性
生成AIもまた、事実そのものを直接提供しているわけではない。学習した過去の文献や公開情報、インターネット上の文章などをもとに、統計的な傾向を捉え、「もっともらしい出力」を構成して提示している。したがって、生成AIが生み出す回答や文章は、それ自体が情報の「原資産」ではなく、過去の情報に基づいて構成された派生物である。
重要なのは、ここで言う「原資産」がいわゆる一次情報(観察、取材、統計データ等の未加工情報)だけではなく、二次情報(解説記事、要約、報道)や三次情報(SNSの感想、AIの出力内容など)も含まれている可能性があるという点である。学習の過程で、これら異なる層の情報が区別されるわけではない。したがって、生成AIは「一次情報のデリバティブ」というよりも、膨大な情報群を圧縮し再構成した「複合的デリバティブ」と見るほうが妥当であろう。
デリバティブと生成AIの構造的類似性
以下の図に示すように、デリバティブと生成AIにはいくつもの構造的共通点がある。
このように、どちらも「基礎となる現実からの距離」が問題となり、その乖離を補正するには人間による介在が不可欠である。
ファクトチェックという「裁定取引」
金融市場において、デリバティブ価格(市場価格)が理論価格と大きく乖離すると、その差を利用した「裁定取引(アービトラージ)」が行われる。これは、割高な商品を売り、割安な商品を買うことでリスクのない利益を得ようとする行為であり、結果的に市場価格を本来のあるべき水準へと戻す力となる。
同様に、生成AIの出力が事実から乖離している場合、それを是正する行為、すなわち「ファクトチェック」こそが、情報環境の健全性を維持する裁定機能といえる。もちろん、情報の正しさは単純な数式で測れるものではないが、その差を埋めようとする営みの重要性において、両者は通じるものがある。とりわけ生成AIは、文体の整った出力を返す能力に長けているが、それが事実と異なっていても一見すると説得力を持って見える。この「もっともらしさ」が、誤情報の潜在的リスクとなる。
技術の価値は設計と運用に宿る
こうした議論から、読みようによっては、生成AIに対する不信感を助長するように思われるかもしれないが、それは本稿の意図ではない。デリバティブがリーマンショック以降、危険視された側面はあるものの、本来はリスク管理や市場の効率化に資する極めて有用なツールである。問題は「使い方」や「設計」にあり、道具そのものが悪いわけではない。
生成AIもまた、適切な使い方をすれば極めて強力な支援ツールとなる。重要なのは、それを過信せず、「裏付けのある一次情報」への意識を常に持ち続けること、そして出力された情報の真偽を検証する姿勢を失わないことである。
原資産の健全性に求められる倫理
最後に強調したいのは、生成AIという「情報のデリバティブ」の信頼性が、原資産たる一次・二次情報等の情報ソースの健全性に強く依存しているという点である。金融市場において原資産の不正がデリバティブ市場に対する信頼を揺るがすように、情報社会でも一次情報の劣化は生成AIの出力品質の低下に直結する。
だからこそ、「ファクトチェックという裁定取引」が必要であり、情報空間における真偽の調整の役割を果たす必要がある。これは、生成AIと共に生きる社会において、ユーザーに求められる最も本質的な情報リテラシーの姿であろう。
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