1――はじめに
現在、英国においては、BOE(イングランド銀行)傘下のPRA(健全性監督機構)から、気候関連リスク管理について、監督上の期待の見直しに関する提案について協議文書がだされている。「銀行および保険会社の気候関連リスク管理アプローチの強化の見直し
1」と題する文書で、2025年4月30日に公表され、7月30日まで意見募集中となっている。
気候変動は、洪水や猛暑といった深刻な気象現象を今すぐ引き起こすだけでなく、長期的にも海面上昇の悪影響を引き起こす可能性があり、全体としてみれば、気候変動の影響は時間の経過と共に拡大するものと考えられている。これらの気象現象は、銀行や保険会社に、直接的な損失(いわゆる物理的リスク)と、ビジネスモデルを変革していかざるをえないという影響(いわゆる移行リスク)を及ぼしている。例えば、温室効果ガス排出量削減のための世界的な取り組みは、より深刻な影響を回避するために、やむをえず対応していかざるをえないと考えられているものである。
金融機関は、自らがさらされている財務リスクやオペレーショナルリスクを管理していかなければならない。その中に含まれる気候関連リスクに対しても、効果的なリスク評価と管理能力を持つ必要がある。PRAは2019年に初めて、金融機関の気候関連リスクへの対応につき、期待する基準を設定した。しかし個々の金融機関の進捗にはバラツキがあり、更なる取組が必要であるとともに、金融機関から監督者に対して、より明確な基準と説明を求める声が強まっている。
今回の提案は、こうした状況から得られた教訓や、国際的な動向に基づいたもの、とされており、監督者サイドからの、金融機関がプロポーショナリティを反映しながら、リスク・エクスポージャーを慎重に評価できることについての、期待される水準を記載したものとのことである。なお、今の時点で、以下紹介する提案を規則化しようとするものではなく、より具体的な適用を明確に説明したものとなっているとの位置づけであるという。
またPRAは、気候関連リスクは本来的にシステミックなものであるとし、規模や時期は不確実だとしても、温室効果ガスの排出を放置することにより物理的リスクが増大するか、あるいは何らかの対応により移行リスクが増大するか、のいずれかが起きる、といったようにリスクの増大は予見可能、とされている。さらに、将来のリスクの規模や分布は今の経営行動によって決まるため、手遅れとならないようにする必要がある、とも考えている。
2――提案文書の内容
2――提案文書の内容
本提案文書は、大原則や概論が中心であり、前書きにある「より具体的な適用方法」については明確に示されてるわけではないと、筆者には受け取れるのだが、以下その内容を紹介する。
1|ガバナンスについて
取締役会に提供される気候関連リスク分析が不明確なことが多いので、気候関連リスクの関連情報をさらに提供する、関連した内容の研修を行うことが求められる。
気候関連リスク分析において、ビジネスリスク選好度、リスク管理アプローチ、戦略の適切な設定など事業全体に及ぼす影響について、分析範囲が限定されすぎている。気候シナリオと事業戦略と成果の分析、既存戦略のレジリエンスを取締役会に示すべきである。
事業戦略は、気候変動や移行リスクと関連して決定するべきである。また気候目標の設定や達成を求めはしないが、国や地域の気候目標があるならば、それをどう組み込んだか説明し、成果を実証すべきである。
取締役会から事業部門レベルまで経営の各レベルにおいて、リスク指標や限度枠などについて、合意した運営がなされるべきである。
コーポレートガバナンス構造は、気候関連リスクの特定と管理について明確な報告ラインが確立されつつあるという意味で、かなり進展してきた。しかし、アウトソーシングする場合でも、リスク選好と許容度を、自社が統制できるようになることが必要である。
2|リスク管理について
金融機関が直面する重要な気候関連リスクの特定・評価は、顧客、取引相手、投資先、保険契約者などの範囲を考慮して、定期的に実施されるべきである。
リスク測定と監視については、どんな気候関連指標を使用すべきか、その指標が戦略の決定にどれほど有意義なのかを理解し、定量的なリスクアペタイト指標と限度額を決定すべきである。
内部リスク報告については、かなり進化してきている。今後とも取締役会や関連する小委員会などで定期的あるいは随時報告できる基盤を構築・運用すべきである。
気候条件の変化が、金融機関の業務回復力に影響を与えるリスクが発生する可能性があることを考慮すべきであり、一般的な業務運営と重要な経営方針の実現の両方において、気候関連リスクの影響を評価すべきである。
3|気候シナリオ分析について
過去のデータだけに基づいて調整されたストレステストやシナリオは適切な予測指標とはなりえないが、気候シナリオ分析の科学的な側面も進歩しており、引き続き進歩させる必要がある。
気候シナリオ分析の役割については、構築の難しさや、それを用いたリスク評価が複雑であることが最も大きな課題である。そのため、自社が直面する気候関連リスクが充分に理解されていないことも多く、意思決定やリスク管理に適切に生かされるようには、必ずしもなってない。すべての重要な気候関連リスクを捕捉するよう努めるべきであり、どのように意思決定に役立てているか、結果を利用する際の限界や不確実な部分につき、文書化する必要がある。
現在使用されている気候シナリオのモデルは発展の途上にあるため、気候関連リスクの及ぶ全範囲と規模をとらえきれていないのは明らかなので、それよりも大きなリスクにさらされることを充分認識して、結果を解釈し活用することを目指すべきである。
事業計画と意思決定に気候シナリオ分析を組み込むためには、さらなる進歩が必要であるが、将来的には、様々な目的(例えば、事業戦略の見直しやリスク選好と管理、リスク評価と内部資本の決定、流動性管理ソルベンシーへの影響など)のために、気候シナリオ分析が適切に活用されることが期待される。また、保険会社がリバースストレステストを実施することで、事業の脆弱性をより深く認識できるようになると考えられる。
気候シナリオについては、その分析、キャリブレーション、ガバナンス、コントロール、レビュー、もとになるデータガバナンスなどの面において、一部の金融機関では外部サプライヤーに任せきりであり、提供されるツールの前提や限界を含めて、気候シナリオを充分に理解していないといった例がみられる。自社において気候シナリオ分析モデルを十分に理解し、誤った結論につながらないようにすべきである。
4|気候関連リスクとその対応の開示について
開示について今回提案することはない。すでに別途TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)を引き継いだISSB(国際サステナビリティ基準審議会)の開示基準があり、またそれに基づく英国サステナビリティ報告基準があり、それらに準拠する。
むしろ複数の規制当局の新たな開示の急増が銀行等の業務負担になっており、そのために開示の質が低下して、利用者の要求に沿わなくなることを懸念する。
5|銀行特有の問題について
銀行は、物理的リスクと移行リスクから生じるリスク規模の推計の経緯について十分な背景情報を提供すべきである。また、流動性と資金調達のリスクに、気候関連リスクの影響を組込むべきである。
気候関連信用リスクの管理については、銀行によって管理能力に大きなバラツキがある。どの銀行も、明確なプロセスと方針を策定すべきである。気候関連市場リスクの管理についても、信用リスク同様銀行によってバラツキがある。どの銀行も、気候関連リスクがどのように市場リスクへと転化するかを理解すべきである。また、風評リスクにおける気候関連リスクの影響を理解すべきである。
6|保険会社特有の問題について
ガバナンスに関しては順調な進歩があるが、リスク管理とシナリオ分析においてはまだ大きな進歩が見られない。保険会社は気候変動の影響を過小評価している場合が多い。気候関連リスクが責任準備金や資産に与える影響について、明確に意識してリスク評価に反映すべきである。
気候関連リスクへの対応として投資方針や引受業務のあり方を変更する場合、そう判断する根拠となる指標を明示し、ORSAに充分反映するべきである。ソルベンシー資本要件(SCR)にも気候関連リスク由来の各リスクへの影響を反映すべきである。
また、例えばソルベンシー基準におけるマッチング調整の恩恵を受ける場合には、気候関連リスクの状況を考慮しても適用可能であることを証明しなければならない。それにより、保険会社のソルベンシーにおいて、資本状況が過大に評価されることがないことが望まれる。
3――おわりに
3――おわりに
このあと、気候関連リスクの反映等にかかる費用と便益の分析や、他の気候関連政策や規制との整合性、などにつき、この提案全体が問題ない(ようにする)ことが述べられている。
全てがこういったトーンで、金融機関の監督者の立場としていうべき点をすべて言った、という印象である。しかし、実務上の実現可能性には課題も残されていると考えられる。気候変動のメカニズムなど、前提となることが全て解明できていないことは本文中でも触れられている通りである。また、気候変動は超長期の事象であり、すべてに今すぐ対応する必要があるのだろうか?金融機関が経営資源をここに集中できるのだろうか?次には生物多様性への対応などが控えていると思われるが、同じ調子で対応する余力があるのだろうか?
本提案には妥当性があると考えられる一方、実務での対応可能性についても引き続き検討が必要であると考えられる。今後の議論の動向が注目される。
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