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過去の研究成果:国内外の研究の紹介
家計破綻リスクの分析には、これまで欧米を中心とした学術的・実証的研究の蓄積がある。代表的なものとして、Gross & Souleles (2002)
2は米国の消費者信用市場を対象に、個人破産や延滞行動の決定要因をパネルデータで分析し、所得や資産・負債水準、金利環境、失業や健康ショックといった要因が家計破綻リスクに大きく影響することを示した。また、Lusardi & Mitchell(2014)
3は世界規模で金融リテラシーと家計行動を調査し、金融知識や計画性の高さが債務管理能力や破綻回避につながることを実証している。
家計破綻のリスク評価については、企業倒産分析に端を発するマートン型資産価値モデルや信用スコアリングが、家計分野にも応用されてきた。これらの理論は、家計の資産(金融資産・実物資産・人的資本)の現在価値と負債残高の関係から、「資産が負債を下回る」「将来フローで返済が不可能」といった閾値をもとに、破綻リスクを定量的に評価する枠組みを提供している。また、伝統的な分析はフロー(収入-支出)の赤字継続や、クレジットスコアによる確率的なリスク評価に依拠してきたが、近年はストック(資産-負債)の観点も加わり、より厳密なリスク分析が進んでいる。
一方で、既存研究にはいくつかの課題も指摘されている。第一に、家計のバランスシート構造、特に人的資本や親族支援など「見えにくい資産」の評価が十分ではない。第二に、金融リテラシーや行動経済学的要因が破綻リスクに与える影響が、標準的な信用モデルに十分反映されていない。第三に、資産・負債・所得の格差や社会構造的な排除・包摂の問題が、実証研究において十分に接続されてこなかった点も挙げられる。
本稿では、これらの先行研究の成果と課題をふまえ、家計のバランスシート理論を基礎に、ストック脆弱性(資産・負債構成のアンバランス)、フロー脆弱性(収入-支出の赤字継続)、人的資本バッファ(将来の稼得力・再挑戦力)、社会的資本バッファ(親族・公的支援等)といった複数の観点から破綻リスクを多面的に評価する分析枠組みについて検討する。さらに、金融リテラシーや行動経済学的な「バイアス」といった、家計の意思決定やリスク管理に関わる要素も含めることで、家計が直面するリスクの本質と多様性をより実態に即して捉えることを目指す。
なお、家計破綻リスクの低減策に関しては、人的資本の向上や資産形成、収入と支出のバランス維持、金融リテラシー向上やナッジ的な行動介入、公的セーフティネットの活用など、国内外の研究で有効性が示されている。ただし、教育・就労機会や健康状態などの違いから、すべての家計が等しくバッファを高められるわけではなく、家計間の経済的格差や社会的背景の影響も無視できない。こうした包摂的な政策的課題や、非合理的な意思決定を前提とした現実的なサポート体制の必要性についても、改めて後述することにする。
2 Gross, David B., and Nicholas S. Souleles. "An empirical analysis of personal bankruptcy and delinquency." The Review of Financial Studies 15.1 (2002): 319-347.
3 Lusardi, Annamaria, and Olivia S. Mitchell. "The economic importance of financial literacy: Theory and evidence." American Economic Journal: Journal of Economic Literature 52.1 (2014): 5-44.