2|保険契約の無効(25条)
(1) 保険事業法25条1項は保険契約が無効になる場合を定めている。それは以下の通りである。なお、保険法では保険契約が無効とするといった条文の書き方を一般には行っていない(=取消や解除とする、あるいは条文解釈によって無効となる)ので、保険事業法に特徴的な規定となっている。
a) 保険契約締結時に保険契約者が被保険利益を有しないとき
―被保険利益とは「保険事故が発生することにより被ることのあるべき経済的利益」として定義される
5。契約時点で被保険利益が存在することが要求されるのは、保険契約成立段階において、保険契約者に不当な利得が生ずる可能性を排除するための原則とされる。この原則は保険法3条の「損害保険契約は金銭に見積もることができる利益に限り、その目的とすることができる」という条文にあらわされており、日本でも保険事業法と同じ原則として規定されている。
b) 保険契約締結時に被保険者を有しないこと
―本条文の英訳文・和訳文ともに不明瞭で、上記a)と同様のことを異なる言葉で規定しているように見える。推測に過ぎないが、たとえば他人所有の財物に財産保険を付するようなケースを想定しているものと考える。したがってa)の一場面を規定していると思われ、日本法では上述保険法3条の規定がカバーしていると考える。
c) 保険契約締結時に保険事故が既に発生していることを保険契約者が知っているとき
―これは日本では遡及条項についての規定として説明される(保険法5条、39条、68条)。保険法では
保険契約締結前の保険事故をも給付対象とする保険契約を締結する場合において、保険契約時点で保険契約者がすでに事故発生を知っている場合は、遡及して補償するという定めについては無効となるとされている。なお、遡及条項のない一般の保険契約では保険期間以前に発生した保険事故は保険契約者の知・不知にかかわらず、補償対象外である。保険事業法が遡及条項について規定しているわけではないとすると、日本とは異なる解釈を取っていると考えられる。
d) 保険契約の目的と内容が法に違反し、社会的倫理に反するとき
―たとえば保険金殺人を企図して他人を生命保険に加入させるようなことが考えられる。このような場合、保険法では重大事由による解除権を保険企業等は行使できる(保険法30条、57条、86条)。ただし、保険法では具体的に死亡させようとしたといった事情がないと適用できない点で保険事業法と異なる。ただ、そういった行動がなくとも加入時の状況等から死亡させようとする意図が明らかな場合は、日本では民法の公序良俗違反の契約として無効とすることも可能となる(民法90条)ので、法的な結論として日本とベトナムで相違はないものと考えられる。
e) 保険企業等と保険購入者が虚偽の保険契約を締結するとき
―保険法には該当する条文はないが、日本ではこのように保険者と保険契約者が通じて虚偽の法律行為を行うことは通謀虚偽表示として、民法94条1項により無効とされている。結論として日本とベトナムで相違はない。
f) 保険契約者が未成年、意思能力のない者、認知および行為能力の困難な者、行為能力に制限がある者が保険契約者であるとき
―これらの意思能力や行為能力に制限のある人の取扱いについては民法に規定がある(3条の2、5条、9条等)。保険法には該当する条文はないが、保険業法施行規則53条の7第2項では被保険者が15歳未満の場合は、保険金の限度額その他引受けに関する定めを設けなければならないとする。保険業法の規定は
被保険者が未成年の場合の取扱いであるが、この場合に保険金額の設定に一定の基準を設けることを保険企業等に求めるものである。
g) 保険契約締結の目的を達成できない当事者により締結された保険契約。ただし、保険契約締結の目的が既に達成できた場合あるいは、当事者が直ちに事態を収束させて保険契約締結の目的を達成できるものとしたときはこの限りではない。
―目的達成が不能な場合の取扱いについては日本では民法542条に定めがある。この場合は、保険企業等あるいは保険契約者は、目的を達成できない契約相手方に対して催告を要せず、契約解除ができる。保険法には該当する条文はない。
h) 詐欺によって保険契約が成立したとき
―保険契約締結にあたって詐欺行為が行われた場合には、日本では民法96条によって詐欺の被害者は取消ができることとされている。他方、保険法では、保険金請求にあたって詐欺行為が行われた場合に契約解除できるとする規定がある(30条2号、57条2号、86条2号)。
i) 脅迫、威圧によって保険契約が成立したとき
―日本では保険契約者は民法96条によって取消ができることとなる。
k) 保険契約者が保険契約を締結することを知らず、かつ理解できていないとき
―これはそもそも保険契約者に契約意思が存在しないので、契約は不存在であると日本では解釈されるものと考えられる。
l) 保険証券が保険事業法18条(保険証券の発行)の要件を満たさないとき
―保険法では保険証券の発行は任意規定であるため、保険証券が保険契約の成立の有無には影響を及ぼさない。法定要件を満たさない保険証券の発行(あるいは未発行)が保険契約の無効事由となるのは保険事業法の特徴と言える。
(2) 保険事業法25条2項では、保険契約が無効の場合は、保険企業等は受領した保険料を払戻しなければならない。また、損害を生じさせた当事者はその損害を賠償しなければならないとする。
―保険事業法では取消や解除といった契約当事者の意思表示を必要としないような書きぶりになっている。ただ、実務的には保険企業等または保険契約者からの無効主張により、手続が進むことになると思われる。無効になった場合は、日本でもそれぞれの制度の趣旨に基づき払込済保険料の返還あるいは解約返戻金などの支払が行われるので、日本と大きな相違はないと考える。
5 山下友信「保険法」(有斐閣、2005年)p247参照。
3――保険契約の効力(26条~27条)