吉本 光宏(よしもと みつひろ)
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1958年生まれの私にとって、今ほど戦争を身近に感じたことはありません。平和がいかに尊いものか、認識を新たにしています。おそらく会場の皆さまも同じではないでしょうか。
そんな時代にあって、芸術や文化をとおした国際交流、相互理解がかつてないほど重要になっていることは間違いありません。なぜ、芸術や文化なのか。私は3つのポイントを指摘したいと思います。
1つ目は、芸術や文化には政治や経済から独立した国際交流が可能だということです。仮に国同士が政治的に対立していたとしても、あるいは両国の間に経済的な摩擦が横たわっていたとしても、文化を通じた交流と相互理解は可能です。芸術家たちは政治や経済情勢に束縛されることなく、自由に国境を超え、芸術活動を展開します。
国力や経済力は競争や争いの種となりますが、芸術や文化には競争はありません。ピアノコンクールや映画祭のコンペティションなどはありますが、それは競争が目的ではなく、よりよい作品を生みだし、才能溢れるアーティストを見出すための仕組みで、その芸術的な成果は広く世界に還元されます。
2つ目は、今後、ますます重要になる都市間交流において芸術や文化は必須だ、ということです。なぜなら、芸術や文化はその都市の価値や魅力を象徴する存在だからです。韓日中3ヶ国の文化大臣の合意で2014年に始まった「東アジア文化都市」は、まさしくそれを具現化したものです。
その最初の年、韓国は光州広域市、中国は泉州市、日本は横浜市が文化都市に選ばれ、私は横浜市の企画部会の委員長を務めました。光州市との交流はスムーズに始まり、横浜のアートNPO BankARTが「東アジアの夢」と題した大規模な展覧会を開催しました。その一環として「続・朝鮮通信使」という事業も展開されました。その実現には釜山文化財団の大きな協力があったと聞きます。
それに対し、泉州市との交流は、当初とても心配でした。なぜなら当時は尖閣諸島の問題で日中関係が最悪の状態だったためです。それが過熱化し、中国の書店から日本人作家の書籍が引き上げられたとき、作家の村上春樹氏は文化や芸術家たちの交流を「魂の行き来する道筋」だと形容し、それを「ふさいではならない」と新聞紙上で警鐘を鳴らしました1。
ところが、横浜市の関係者が泉州市を訪問したところ大歓迎を受け、国家間の政治的な問題に関係なく文化交流を力強く推進しましょうとなり、両市は数多くの文化交流事業を展開しました。
まさしく、私が一つ目に指摘したとおり、国レベルの政治的な対立を超えて、都市間の文化交流が行われたのです。釜山市も2018年に東アジア文化都市に選ばれています。
3つ目は、文化は民間同士、とりわけ個人と個人の間に深い友情や信頼関係を育むということです。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」ご存じのとおり、これはユネスコ憲章の冒頭の一文です。まさしく、個人と個人が国境を超え、文化を通して理解し合い、互いの違いを尊重し合うことが平和の礎になる、と思うのです。
平和を標榜する日本の国際的な文化事業の代表例をひとつ紹介します。それは、1990年に音楽教育フェスティバルとして始まったパシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌、PMFです。これは、米国の著名な指揮者レナード・バーンスタインの提唱で始まったもので、毎年世界中からオーディションで選ばれた約100名の有望な若手演奏家たちが札幌に集まり、夏の1ヶ月間、寝食をともにし、ウィーンフィルやベルリンフィルなど世界トップレベルの演奏家の指導を受けます。
バーンスタインは、米国マサチューセッツ州で1930年代に始まって、大きな成果を残していたタングルウッド音楽祭と同じような教育音楽祭をアジアでも創設したいと考え、当初は北京での開催を計画していました。しかし、1989年の天安門事件で北京開催は断念せざるを得なくなりました。そこで、急遽、札幌市が候補となり、同市が受け入れを英断して、実に短期間の準備で開催にこぎ着けました。
以来、約30年間、PMFの修了生は、世界77ヶ国・地域の3,600名以上にのぼります。韓国からの参加は日本に次いで多い234名で、ウクライナやロシアからの参加もあります。彼らは卒業後も交流を続け、お互いに励まし合いながら世界中のオーケストラで活躍しています。
私はPMFの評議員を務めていますが、昨年2月にロシアのウクライナ侵攻が始まった直後の評議員会でこんなことがありました。ロシアをオーディションから排除すべきではないかという意見が出たのです。私は、平和をかかげる音楽祭だからこそ門戸を閉ざすべきではないと申し上げ、実際、オーディションは通常どおり行われました。
バーンスタインの死後、音楽監督を引き継いだ指揮者のクリストフ・エッシェンバッハは、2019年に再び音楽監督を務めた際、「音楽は、政治も宗教も肌の色もすべてを超えて、世界中の人々の感情に話しかけ、人々を一つにする」と語っています。
繰り返しになりますが、芸術や文化は、1.政治や経済から独立していること、2.都市間交流に欠かせないこと、そして3.個人と個人の深い信頼関係を生み出すこと、その3つが芸術や文化が国際平和になくてはならない理由なのです。
韓国と日本の間には、不幸な歴史が横たわっています。私は日本人の一人としてそのことに対する反省を忘れてはならないと思っています。しかし、6世紀に百済を通じて日本に仏教が伝来するなど、遥か昔から日本は朝鮮半島、韓国から入ってきた文化を起源に自らの文化を育んできたことを私たちは知っています。江戸幕府は「朝鮮通信使」として二百年以上、朝鮮半島から500人規模の「文化使節団」を招いていました。韓国との文化交流がなければ、現在の日本の文化は存在していなかったとすら言える。私はそう思うのです。
この釜山文化会議は、百年、千年を超える韓日交流の歴史の中では、ほんの一瞬のことかもしれません。しかしこの会議をとおして、韓日が文化からの友好を深め、それが国際的な平和構築へとつながっていくことを切に願っています。
どうもありがとうございました。
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