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私見
本項では、まず(1)最高裁判決についての評価を述べた上で、(2)そのうえでの考えられる損失の分担について述べる。
(1)最高裁判決についての評価
本件においては、過去2回の行方不明となった経験があることだけを以って、鉄道事故の責任を遺族に追及するものであり、これを否定する最高裁の結論に違和感は無い。しかし、仮に最高裁判決が、家族が通常行われている程度以上の丁寧な介護を行うと、認知症の人の加害行為の結果を家族が引き受けることになるとの趣旨のメッセージを出すものだとすれば、それは最高裁判決の意図するところではないようにも思う
13。また、理屈としても介護への関与の程度を家族の責任の有無の判断基準とするよりは、認知症の人の日常の言動から家族が加害行為を十分に予測できたかどうかということを以って、家族が責任を負うべきかどうかの基準とするほうが合理的なようにも思う。
他方、大谷裁判官や岡部裁判官の補足意見のように本件のような通常行われるレベルの介護について、正面から(準)監督義務者を認めたうえで、免責を広く認めることとし、本件では事実関係をもとに監督を十分尽くしたと判断することには、現実的な損失分担の考え方として評価できる。
ただ、成年後見人は現実として、家族ではなく、司法書士や弁護士などの法律の専門職が就任することが多い
14。これらの成年後見人が日々の介護の現場に働きかけることは期待しにくい。一般論として、成年後見人が法定の監督義務者あるいは準監督義務者になるというのはやはり言いにくいように思われる。
(2)考えられる損失の分担の考え方
そうなると損失の分担をどう考えるべきかであるが、私見としては(b)の民法第709条の問題として処理してはどうかと考える。
(a)の民法第714条の監督義務は親が子に対するような包括的抽象的な監督義務を指すこととされている。しかし、成人については、保護者制度が無くなり、成年後見人の権限も法的な事務処理に限定された経緯に照らせば、現在では、包括的抽象的な監督義務は想定できないと思われる。「障害者の権利に関する条約」で定められている障がい者の身体の自由の確保の観点からも、(準)監督義務者から認知症の人への行動制限を求めることとなる、包括的抽象的な監督責任を想定するのは慎重であるべきと思われる
15。
そこで、(b)の個別的具体的な回避義務を想定する、民法第709条のもとで判断することが考えられる
16。すなわち、個別具体的な危害発生が予見でき、回避することも可能であるのに、回避措置を行わなかったときに限って介護を担う家族に責任が認められると考える。
たとえば認知症の人が家の自転車に乗って人をはねたとする。この場合、仮に過去に家の自転車を乗り回して転倒するなど危なかったケースがあったとすれば、家族は自転車の事故を具体的に予見することができる。そうすると、自転車に乗ることができないように、鍵をかけるか、捨ててしまうような義務が生じると考える。そのような措置をしないまま自転車事故が発生した場合、家族が結果回避のための行動を行わなかったことと、自転車事故の結果には相当因果関係があり、家族は民法第709条の回避義務責任を負担すると考える。このように考えるとすれば、本件では、Aは駅のほうに行ったことすらもないということから、家族にとって鉄道事故が具体的に予見できたとは言いがたく、家族は(b)の民法第709条の回避義務責任を負わないと解する。
なお、前述図表7にあるように、最高裁は準監督義務者となる要件として、⑤精神障がい者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容、⑥問題行動に対応して行われている監護や介護の実態を挙げている。この点は、準監督義務者に該当するかどうかの判断過程において、民法第709条の回避義務責任における個別具体的な予見可能性を問題としているようにも見え、この点に関しての検討がさらに必要になろう。
5――おわりに