一方、米ソ冷戦が終結した後の旧東側陣営では、旧西側陣営に共通する価値観だった自由・民主主義が流れ込み、大規模な体制転換(Regime Change)が起きた。1991年にソ連が崩壊すると同時に創設が宣言された独立国家共同体
8(Commonwealth of Independent States、CIS)では、2003年にはジョージアでバラ革命、2004年にはウクライナでオレンジ革命、2005年にはキルギスでチューリップ革命と、独裁政権が倒されて民主化する国が相次ぐこととなった。また、旧西側陣営で進んでいたグローバリゼーションが旧東側陣営に波及して加速し、旧東側陣営や中国などその他の開発途上国の経済発展を促すエンジンとなった。KOFスイス経済研究所(KOF Swiss Economic Institute)が公表している「グローバリゼーション指数
9」を見ても米ソ冷戦後に終結加速したことが確認できる(図表-9)。
旧東側陣営に属した主要国を見ると、ロシアでは米国および国際通貨基金(IMF)が勧めた「ワシントン・コンセンサス
10」にしたがって、「ショック療法(Shock Therapy)」と呼ばれる急進的な市場経済への移行を試みた。しかし、官僚の汚職や犯罪が蔓延することとなり、また価格統制を廃止したことでハイパーインフレーションが発生、1998年には財政危機に陥るなど問題が続出した。石油などの天然資源に恵まれていたため、旧西側陣営よりはやや高い伸びを示したものの、年平均3.9%という相対的に低い伸びに留まった(図表-7、8)。また、旧東側陣営に属していたハンガリーは、1989年に共和国に体制転換、1999年にはNATO加盟、2004年にEU加盟を果たした。体制転換後のハンガリーは、対外開放を積極的に進めたため「旧東欧の優等生」と呼ばれたこともあったが、EU内などの多国籍企業による投資が牽引役で国内企業は政府の発注や補助金に頼り過ぎて起業機運が高まらないという問題を抱えており、1990年以降の伸びは年平均5.3%に留まった(図表-7、8)。同じくポーランドでは、1989年に非社会主義政権が成立、1999年にはNATO加盟、2004年にはEU加盟を果たした。1990年代に前述した「ショック療法」を採用したポーランドでは、企業の破綻と失業の急増で当初は混乱したものの、1990年代半ばには経済発展の勢いを取り戻し、一人当たりGDPの伸びは年平均8.0%と、旧東側陣営の中ではひときわ高い伸びを示している。ポーランドは米ソ冷戦終結後の地域間格差是正を目的に設立されたEU構造基金(Structural Fund)の恩恵を最も受けた国だとされる(図表-7、8)。
また、米ソ冷戦では中立的な立場を取り1993年に社会主義市場経済に舵を切った中国では、一人当たりGDPの伸びが年平均12.8%に達し、グローバリゼーションの恩恵を最も多く受けた国だと評価できる(図表-7、8)。そして、中国が採用した国家資本主義的な経済運営に対する評価も同時に高まり「北京コンセンサス
11」と称されるようになってきた。これから経済発展しようとする開発途上国にとっては、前述の「ワシントン・コンセンサス」と並び称される経済発展のモデルとなったのである。
以上のように、米ソ冷戦終結後にEU加盟を果たした中東欧諸国は、旧西側陣営の資本を取り入れることで、ドイツやフランスの半分から3分の1程度まで発展できた国が多く、EUに加盟した恩恵は大きかったと言えるだろう。しかし、その中東欧諸国でも、前述のように補助金や多国籍企業に依存した経済体質から十分に脱却できていないという問題を抱えており、経済発展の持続性には疑問符を付けざるを得ない。一方、旧東側陣営の盟主だったロシアは中東欧諸国に後塵を拝しており、2018年時点の一人当たりGDPは11,289ドルに留まっている(図表-10)。そのロシアでは、ユーコス事件の起きた2006年ごろから民主主義が後退して強権化し、国家資本主義的な経済運営に転換し動き始めた。そして、2014年のクリミア危機に伴い旧西側陣営の諸国から経済制裁を受けたことを背景に、それが本格化してきている。
また、米ソ冷戦終結後の民主主義指数(Index of Democracy)
12と一人当たりGDPの伸びの関係を見ると(図表-11)、旧東側陣営で一人当たりGDPの伸びが最も高かったのは、共産党による一党独裁の政治体制の下で1986年に「ドイモイ(刷新)路線」を宣言し、市場経済を導入したベトナムだった。ソ連崩壊とほぼ同時に共産党政権が崩壊し民主化を進めた中東欧諸国の一人当たりGDPを見ると、水準という観点では民主化が後退したロシアやCIS諸国を上回っている国が多いものの、伸び率という観点では大きな差異が見られない。そして、CISを中途脱退し民主化を進めたウクライナ(2004年にオレンジ革命、2018年にCIS脱退)やジョージア(2003年にバラ革命、2009年にCIS脱退)の伸びは低迷している。
今後、中国を手本としたようなロシアの国家資本主義的な経済運営が成功する一方、中東欧諸国が多国籍企業頼みから脱却できないような事態になると、旧東側陣営の諸国に留まらず「一帯一路」の沿線にある開発途上国などでは、経済発展モデルを「ワシントン・コンセンサス」から「北京コンセンサス」へ切り替えようとする動きが加速しかねないだけに、今後の展開が注目される。そして、これはここもと米中新冷戦が現実味を帯びてきた背景のひとつでもある。