( メイ首相「敗北」の理由:リーダーシップを強調する戦略のミス。底流には緊縮疲れ )
6月8日の下院選挙は過半数を握る政党のない「ハング・パーラメント」という結果になった。保守党は解散前の330から318に議席を減らした。労働党は262と解散前から議席を30増やした。
メイ首相は、北アイルランドの地域政党で10議席を獲得した民主統一党(DUP)からの閣外協力を得て政権を樹立する方向に動き出したが、政権の舵取りは困難を極め、保守党の党首選、早期再選挙の可能性も取り沙汰されている。
今回の選挙は、メイ首相が、離脱協議を有利に進める基盤固めのために、従来否定してきた解散総選挙を決めたもので、議席の大幅な積み増しを狙ったものだった。第1党になっても議席減・過半数割れという結果は事実上の「大敗」。メイ首相の「強く安定的なリーダーシップ」を前面に打ち出すキャンペーンだっただけに責任は免れない。
メイ首相の最大の誤算は、多くの有権者が、EU離脱の戦略自体よりも、より身近な社会保障の給付と負担のバランスに関心を持ったことだろう
(注5)。有権者の関心は、EU離脱の結果が生活にどう響くのかにあると言うこともできるかもしれない。保守党は、格差是正策としての最低賃金引き上げのほか、国民の関心が高いNHS(国家医療サービス)の充実などを盛り込んだ。ただ、15年の総選挙で保守党が公約とした国民保険料や所得税の凍結の方針を撤回し、特に高齢者の在宅介護サービスの自己負担の引き上げや基礎年金の上昇率の保証制度の見直し、年金生活者に対する冬季の燃料費補助の見直しなどを盛り込み、年金生活者や介護サービスを利用している世帯の不安と懸念を引き起こした。介護サービスの自己負担に関する公約の早々の軌道修正を迫られたことは、「強く安定的なリーダーシップ」というイメージを大きく傷つけた。
メイ首相は、労働党のコービン党首のリーダーシップの欠如を批判したが、キャンペーンを通じて支持を広げたのはコービン氏だった。大企業増税・富裕層増税を財源とする社会保障の充実、大学授業料無料化、子供手当ての拡充といった分配重視の公約をビジネス界は警戒したが、若年層は支持した。
保守党の公約が反発を招き、左派色の強いコービン党首率いる労働党の支持率が急回復した底流には、英国社会に広がる緊縮疲れがある。第1次キャメロン政権が発足した2010年以降、英国では歳出削減に重きを置いた緊縮が続く(図表25)。それでも財政赤字は解消しておらず、保守党は財政緊縮継続の方針を掲げた。社会保障の自己負担の引き上げにより世代間の不公平の問題に取り組むというスタンスは間違っていないが、有権者に丁寧に説明する姿勢を欠いた。
さらに、選挙期間中、マンチェスター、ロンドンのテロでキャンペーンの中断に見舞われたこともメイ首相に逆風になった。EU離脱という争点への関心が薄れると同時に内相時代の警察官の2万人削減がクローズアップされてしまった。
EU離脱戦略は、直接の争点ではなかったが、有権者の判断に大きな影響を及ぼしたと思われる。若年層の労働党支持は、より穏健なEU離脱への意志表明かもしれない。EUに加盟した後の英国に育った若年層はEUへの支持が高い。域内の学業や労働の自由のベネフィットを感じるからだ。他方で、離脱キャンペーンを信じて離脱に票を投じた有権者の中には、EU離脱でEUから財源を取り戻すことでNHSの充実が図られるはずが、なぜ自己負担の引き上げなのか、という思いを抱いた人もいたのではないかと思う。
議席予想を公表していた期間の中で、ハング・パーラメントを予測したのは、若年層に広がった労働党支持の動きを織り込んだユーガブだけだった。メイ首相ばかりでなく、政治の専門家も有権者の意識や行動を的確に把握できていなかった。
(注5)公約の概要については「6月も続く欧州の政治イベント」Weeklyエコノミスト・レター2017-5-22 (http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=55769?site=nli)をご参照下さい。